なぜイヤな記憶は消えないのか

心理学者が20年にわたりライフワークとして続けてきた研究を書籍化!

なぜ同じような境遇でも前向きな人もいれば、辛く苦しい日々を過ごす人がいるのか。出来事ではなく認知がストレス反応を生んでいる。そう、私たちが生きているのは「事実の世界」ではなく「意味の世界」なのだ。


著者について

●榎本 博明:心理学博士。1955年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。川村短期大学講師、カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授を経て、MP人間科学研究所代表。心理学をベースにした研修・教育講演を行う。

心理学博士が教える、イヤな記憶を「塗り替える」劇的な効果とは

20年以上、心理学研究を進めてきた榎本博明先生。新刊『なぜイヤな記憶は消えないのか』(角川新書)では、「よい人生の鍵は、財産の多さでも環境でもなく『記憶』である」と書いています。同じような境遇でも前向きな人もいれば、つらく苦しい気持ちになってしまう人もいるのは、その人の記憶の持ち方の違いによるそうです。ここでは前向きになれるヒントを紹介します。

心理学博士が教える、イヤな記憶を「塗り替える」劇的な効果とは pixta_44879884_S.jpg

思い通りにならないことばかりの人生だと嘆く人が多い。

気がつくと、これまでに経験した嫌なことばかり思い出して落ち込んでいる自分がいるという人は、失敗したときのことや嫌な思いをしたときのことを思い出すと気分が落ち込み、元気がなくなるから、思い出したくないのだが、いつの間にかそうした記憶を反芻(はんすう)しているのだという。

そのせいで、すべてに消極的になってしまう。失敗した記憶や頑張ってもうまくいかなかった記憶ばかりがあるから、何をするにも「どうせうまくいくわけがない」と投げやりになってしまうのだという。

そして、「自分はダメ人間だ」「何をやっても中途半端になってしまう」「こんな自分が嫌でたまらない」と嘆く。できることなら人生をやり直したいけど、今さらどうにもならないしと、諦(あきら)め顔で語る。ほんとうにどうにもならないのだろうか。

過去のことを思い出すと気分が落ち込むから、過去は振り返らないようにしているという人もいる。それもひとつの自己防衛の手段だが、自分史を振り返れない人生というのもちょっと淋(さみ)しい。

自分の過去とは、自分の成立基盤であり、いまの自分の成り立ちを説明する材料が詰まっている。そこには自分の原点が含まれている。それに蓋(ふた)をして、自分の過去の記憶とのふれあいを断ち切るということは、自分自身を見失うことにつながる。

そこで考えるべきは、過去に蓋をするのではなく、過去についての記憶を塗り替えることだ。

過去に蓋をするのではなく、過去を塗り替える

記憶を塗り替えるなんて、非常にいかがわしいことを言い出したのではないかと思われるかもしれない。

嫌な出来事なのに、その受け止め方をポジティブにしようなどというのは、一種のごまかしなのではないか、といった疑念を抱く人もいるかもしれない。だが、これはけっしてごまかしなどではない。

そもそも、出来事そのもの、生の現実などというものがどこにあるのだろうか。私たちが経験できるのは、自分の目に映る現実の姿、自分の視点から評価した出来事のもつ意味である。私たちが生きているのは、物質で成り立つ客観的な世界ではなく、意味で満たされた主観的な世界である。

同じ経験に対しても、人によって意味づけの仕方はいろいろと違ってくる。冗談っぽくからかわれて、「人のことをバカにしやがって」と真っ赤になって怒りだす人がいるかと思えば、「親しみを感じてくれてるんだな」と嬉(うれ)しくなって冗談っぽく言い返す人もいる。大事なのは、出来事そのものよりも、それに対する意味づけなのだ。

懐かしい記憶を拾い集めよう

では、厳しい状況に陥ったとき、「何とかなる」と思うか、「もう無理だ」と思うかは、何で決まるのか。それは、過去の経験、つまり自伝的記憶(※)である。厳しい状況でも諦めずに頑張り抜くことで、何とか状況を好転させることができたという記憶が喚起されれば、「何とかなる」と思うことができる。だが、厳しい状況を何とか好転させようと頑張ったけど、どうにもならなかったという記憶が喚起されると、「もう無理だ」と思ってしまう。

※自伝的記憶…自叙伝をつづるように物心ついてからのありとあらゆる出来事やそれにまつわる思いが刻まれていて、現在も日々新たな経験が刻み込まれていく記憶のこと。

そこで大切なのは、明るい未来につながる前向きの記憶をつくっておくことである。未来に明るい展望を描くことができれば、今の自分の生活がどんなに苦しくても、そこで頑張り続けることに意味や張り合いを感じることができる。

そのような記憶とのふれあいを多くするには、下に挙げたような方法でときどき思い出す時間をもつことが必要だ。気分の良いときに過去を振り返る。すると心地良い気分に馴染(なじ)む記憶が引き出される。それを繰り返すことで、心のエネルギーが湧いてくるような記憶へのアクセスが良くなる。

前向きな気分で日々快適に過ごせるように、懐かしい記憶の掘り起こしに挑戦してみたらどうだろうか。そして日記を付けるように、懐かしい出来事とそれにまつわる思いを記録してみるのもよいだろう。

<心のエネルギーが湧いてくる記憶とのふれあいを多くするコツ>

●故郷を歩いてみる
故郷には、思い出せなくなっている自伝的記憶を呼び覚ます力がある。

●青春時代を過ごした街など懐かしい場所を訪ねてみる
懐かしい場所に出かけてみて、懐かしい気持ちに浸ると、前向きな気持ちになれる。

●アルバムを開いてみる
私たちにとってアルバムはとても貴重な心の財産になっている。

●旅の記念品、家族の遺品など思い出の品を取り出してみる
思い出の品の中でも、遺品は懐かしい人にまつわる記憶を喚起する抜群の威力を持つ。

●日記をひもといてみる
若き日の日記を読むのは気恥ずかしいものだが、そこにはかつての自分が息づいている。

●昔読んだ本を読んでみる
かつて自分が読んだ本の中には、当時の状況や内面を知る手がかりがちりばめられている。

●昔聴いた曲を聴いてみる
若い頃に聴いた曲を聴くと久しく思い出さなかった出来事や自分の状況を想起したりする。

●旧友との語らいの場を持つ
学生時代の友達と会うと、「これじゃいけない」と頑張る気持ちになれる。

 


 

思い出したくない「嫌な記憶」を科学的に忘れる方法3選 – ココロジー (cocology.info)

 

「人は誰でも自分の物語を生きている」

人生を、後悔だらけだと振り返る人もおれば、まあ満足だったと肯定する人もいる。そのカギを握っているのが記憶だという。「人生は記憶である、といってもよいくらいに、私たちの人生は記憶に依存している」と著者は強調する。確かに楽天的な人は嫌なことがあっても気分転換したり、忘れたりしやすい。逆に悲観的な人はマイナスの記憶にとりつかれやすい、ということは誰でも思い当たる。

榎本さんは20年ほど前から、人生の良しあしはその人の記憶の中にしか存在しないのではないかと考えて研究を続けてきた。「人は誰でも自分の物語を生きている」という前提のもと、心の中で眠っている自伝的記憶を引き出す自己物語法という面接法を開発、いくつかの学会で発表してきた。本書はそうした科学的・学術的な成果をベースに、人生を前向きに生きるためのヒントを提示している。

学校の勉強とも共通する

本書は6章に分かれている。多くの読者のためになりそうなのは4章の「前向きになるための記憶健康法」だ。

「心の中に刻まれている言葉を書き換える」

「ものごとの受け止め方をタフにする方法」

「ポジティブな記憶でネガティブな気分を緩和する」

「落ち込みやすい人は、記憶とのつきあい方を間違えている」

など、示唆的な話が並ぶ。いつまでも嫌な記憶から逃れられないと悩んでいる人は、この章を熟読するといいかもしれない。

著者は「前向きに生きている人はネガティブな出来事からもポジティブな意味を読み取ろうとする心理傾向をもつ」と書いている。この指摘はまさにその通り。大変なトラブル、失敗などの後で単に自分を責めるだけの人と、そこから教訓を掴み取り、次のステージに生かそうという人の違いを言い当てている。

このあたりは学校の勉強とも共通するかもしれない。問題が解けないことが続くと、自分が馬鹿ではないかと落ち込んでしまう。しかし、なぜ解けなかったかをフォローし、次に同じ問題が出たときは必ず解けるような備えをする人は、自信を回復する。人生はそういうことの連続なので、ネガティブな出来事こそ自分を成長させてくれる・・・。

個人の記憶が「集合的な記憶」にとりこまれる

理論的にはそういうことになるが、実際にはなかなか難しい。最近、本欄で紹介した『昭和天皇 最後の侍従日記』(文春新書)には昭和天皇が晩年、「長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と侍従にこぼしたことが出ていた。侍従は、「個人的には色々おつらいこともおありでしょうが、国のため国民のためにお立場上、今の状態を少しでも長くお続けいただきたい旨申し上げた」という。昭和の激動を生きた天皇もネガティブな記憶にとらわれ、苦しんでいた様子がうかがえる。

個人の記憶は本来、個人的なものだった。ところが、ネット社会になって近年、新たにややこしいことも浮上している。SNSなどでのちょっとしたやりとりが思いがけず全世界に公開され、簡単には消すことができない。見知らぬ第三者からあれこれ言われる。刑事事件の場合、なお厄介だ。最終的に不起訴になるような事案でも、ネットには好き放題に書きたてられ、それが検索で延々と残る。「忘れられる権利」を主張しても、なかなか認めてもらえない。

一個人の記憶が個人のレベルを超えて、「集合的な記憶」の中でいつまでも生き続ける――私たちは一段とタフにならないと生きていけない時代に暮らしている。


「記憶」と言うと、体験したこと、学んだ者などを蓄積するのだが、その中にはいやなもの、さらには悲しいもの、もっと言うと「忘れたいもの」も含まれる。しかしながら特にイヤなものはなぜか消えずにずっと残り続けることが往々にしてある。なぜイヤな記憶はずっと残り続けるのか、本書はそのメカニズムと記憶そのものの原理について取り上げている。

第1章「記憶を制する者は人生を制する」
人間にかかわらず、動物には多かれ少なかれ「脳」がある。その中には判断などの機関もあれば、記憶を蓄える要素も存在する。いわゆる学習機能があり、イヤなことや避けるべきことがあったときに回避する際役立つ。その「記憶」の機能がもしなくなったとしたらどうなるのか、そして記憶の機能をどのようにして付き合っていけば良いのかを取り上げている。

ふとした瞬間に何気なく思い出すことを、無意図的記憶又は付随意記憶という。

第2章「「そのままの自分」でいいわけがない」
人間の記憶は面白いもので、過去のものを作り替えることもできる。もちろんありのままの記憶のなかで少しだけ美化をするなどのことであるのだが、そっくりそのまま変えるケースまである。その記憶と「自分」というあり方について考察を行っている。

第3章「記憶は「今の自分」を映し出す」
そもそも「記憶」は作り替えているとはいえど過去の産物である。しかし過去からレールを引いて現在・未来へと流れている。そのため今の自分そのものは過去の「記憶」によって映し出しているのだという。

第4章「前向きになるための記憶健康法」
記憶は善悪、悲喜問わずに残るものであるのだが、その残る記憶とどのように付き合っていくかによって、生き方やマインドも変わってくる。著者は「記憶健康法」と題して記憶からどのようにして健康的に、かつ前向きな人生を送ることができるのかを伝授している。

第5章「心のエネルギーが湧いてくる記憶」
記憶にしても、どのようにして活用していくかによってマインドも異なってくる。ましてやマインドを使うためのエネルギーの出し方も大きく変わってくる。自分自身の記憶を掘り起こすための行動からどのように良い記憶を掘り起こしていけば良いのかを取り上げている。

第6章「記憶の貯蓄と記憶の塗り替え」
そもそも記憶はパソコンで言う所のメモリーやハードディスク(今ではSSDと言えば良いか)と言われており、机で言う所の「引き出し」にあたる。つまりは蓄積や貯蓄を行う機関でもある。その記憶については塗り替えもできるのだが、いかにして肯定的に人生を送ることができるのか、記憶の貯蓄や塗り替えによって変わってくる。

マインドの持ちようは記憶の持ちようなのかもしれない。人は色々な体験・物事から記憶をするのだが、その記憶の「持ちよう」によって人生は変わってくるのであれば、記憶は単純に物事をストックするだけでなく、「捉え方」もまたストックしたり、変えていったりすることが出来る。記憶は本当の意味で奥が深い。

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