あなたの潜在意識を再プログラミングすることによってあなたの人生を変える方法

あなたの潜在意識を再プログラミングすることによってあなたの人生を変える方法

あなたの現在の現実は、あなたが日常的に何をどのように考えているかの結果です。

あなたがかなりの期間あなたの思考と感情的なエネルギーを与えるものは何でもあなたの現実になります。

それはすべて、人が持つ内部状態のゲームです。

あなたが理想的な内部状態を保持し、それがあなたの現実に現れるまでには時間の遅れがあります。

  • 一杯のコーヒー/お茶をつかむ
  • スマートフォンの電源を切ります
  • ノートとペンをつかむ(携帯電話ではこれを行わないでください)
  • 家のお気に入りの一角に後退
  • タイマーを30分に設定します
  • あなた自身の最高のバージョンがどのように見えるかについて書いてください
  • この人は日常的にどのように考え、感じ、行動しますか?
  • 今、あなたの中にその内部状態を作成します
  • それについて瞑想し、6ヶ月間毎日それを視覚化します

一番のトラップ、「それは自律できない個人に自由はない」という事実です。

自律とはなんでしょうか?コトバンクにはこう記されています。

1 他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。
2 カントの道徳哲学で、感性の自然的欲望などに拘束されず、自らの意志によって普遍的道徳法則を立て、これに従うこと。

日本の教育システムが大学受験ゴールになってるが故、一つの正解を導く能力が高い人材をベルトコンベア式に大量生産する方式になってるのは言うまでもありませんよね。ピンときてない方のために僕個人の視点から、センター試験が受験生に何を問うているか例をいくつか出しましょうか。


【国語】
マルティプルチョイスで「作者の意図」を答えさせる、これは空気を読む訓練をしてるだけです。本来は自分とは何か、自分が本当にやりたいことは何かを探究すべき時期ではないでしょうか。

【数学】
公式に当てはめて解くだけ、ただのドリル。発想もくそもありません。

【理科】
本来は世の中に存在する現象のパターンを発見し、解像度をあげていくための科目なはずだが、実際やってることは式へのはめ込み。

こんな詰め込みだけを小学校から12年間ずっとやってるわけです。

大学受験がゴール故、入学後はいっきに減速します。単位だけ取れればOK、あとはバイト、異性とのデートでだいたい頭の中はいっぱいです。

「勉強」と「研究」の違い、即答できる方はどれくらい居ますかね?

▼ 勉強:教科書を”読む”作業
▼ 研究:教科書を”創る”作業

大学は本来「研究」の場です。論文ってそういうことじゃないですか。自分が興味を持った研究テーマについて先行研究をリサーチしてアジェンダを設定し直し、研究の成果として世の中にまだ出てない事実をリリースすること。

しかしどうでしょう、大学で書いた論文を誇らしげに他人に説明できる人ははぐれメタル級のレア人材です。これは当然でしょう、だって12年+4年間、結局「勉強」しかやってこなかったわけです。

これが冒頭「自律できない個人」と表現した正体です。
要は分かりやすく言うと、指示待ち人材です。


僕も例外ではありません。運良く、世間で言われる一部上場企業に正社員で入社できました。OB訪問で話を聞いていた”高い報酬”や”働く場所を選ぶ自由”など、入社するだけで悠々自適な生活を手に入れたと大きな勘違いをしてました。

入社間も無く、現場に出されて「お前はどう思う?」「なんで?それはなんで?だけどなんで?もう一回聞くけどなんで?」など、毎日げき詰めされました。少なくとも僕は指示待ち人材だったのです。

これを脱却するのにはかなり苦労しました。

次にやってくるのは「新卒で入った最初の会社が最強説」です。よく飲み会などで自分の会社のことを愚痴る場面ってありませんか?僕の会社も例外ではありませんでした。愚痴ってるわりには全然辞めないんですよね、その人達。例えるなら、完全要塞のコンフォートゾーンから出られなくなってるんです。

自分の人生なんでその環境を改善する責任は自分、という当たり前のイシューにさえまともに対峙することができません。要は思考停止の状態です。

考えてみてください、好きでもない仕事のために毎朝満員電車に乗ってベッドタウンから通勤往復3時間。これを定年まで40年間続けるって狂気の沙汰です。そんな人に自由なんて訪れません。

40年って分かりにくい表現かもしれないので、この通勤時間を敢えて時給で計算してみます。一般的な会社員の時給は2,000〜5,000円のレンジに収まります。往復1時間使ってるとしてシミュレーションしてみます。

20(営業日) x 12(ヶ月) x 40(年) x ¥2,000〜¥5,000(時給) = 約1,900万〜4,800万

に相当する時間です。普通の人はだいたい電車の中でツムツムやるか寝てますよね。約2,000万溝に捨てるような行為ですよ。上に書いてる往復3時間なのであれば最低でも3倍の約6,000万捨ててるわけです、相当な機会損失ですよね。


結果的に僕は自分の意思で転職を経験したりして今がありますが、未だに会社の愚痴をいいながらその会社で勤続してる同期もざらにいます。名が通った会社でパワポ資料作って、ろくろ回すプレゼンを続けてたら、自分自身の軸はないくせに、不健康なSelf-Esteem(≒プライド)が育つのでしょう。

そんな彼らは僕から言わせると、自律してるとはとても言えません。伴って、彼らには自由などありません。ただ奴隷のように会社の歯車になるだけです。というか恐らくその事実に気付いてもないです。

自律した人材になるには、自分固有の人生の指針が必要です。会社や友人への打算を一切排除した自分というたった一人の主人公の世界です。コンフォートゾーンを出ること、それは何歳になっても遅くない。

気づいた今が好機(チャンス)です。


原作はジェームズ・クラベルの短編小説。(1963年に書かれたもので、出版は1981年。原題はThe Children’s Story… (but not just for children)))

ある日突然やってきた新任の女性教師による授業と、それによってわずか23分間の間に起こる子供たちの変化がリアルタイムに描かれます。(一応、YOU TUBEで見れますとこっそり言います)

洗脳のノウハウがこれでもかと詰め込まれた、なかなか強烈な代物です。

23分間の奇跡

もう一つの自由という洗脳の話である

心に宿した意識のチェック無しに
無防備に全てを解放してしまうことは
相手に依存して心のフィルターを外し
自由勝手な行為を気ままに選択してしまうわけで
侵略であろうと搾取であろうと洗脳であろうと
お構いなしに受け入れてしまうこと

依存搾取支配による偽りの信頼を獲得さえできれば
無垢な相手をどんなところにでも誘い出せるし
落とし込むことができる
極端に不安恐怖を吹き込んで
疑い深くすることだってできる

相手を知り広い視野を持つ意識を育てることで
自ら選んだ相手を確認しながらお互いを解放するならば
自律した心のフィルターを掛けた上で
自分に責任を持ちお互いに認めた信頼関係を
つくっていくことができる

自由平等平和から自由一つとってみても
過去への依存による檻の中の勝手気ままな選択と
今という調和を目指す未来への自律した自在性との
二つの方向性があり
檻の中の依存した自由勝手と
解放した自律による自由自在の
どちらかを自分で選ぶことができる


 はじめは警戒心を抱いていた子どもたちを、たった23分間で魅了してのける鮮やかな話術に、こちらも呑まれるかのようだった。

旧体制の教育内容に疑いを抱かせ、子どもたちに新たな視点を開かせるという、たいへんに進歩的な「教育」なのに、最後まで読み終わるとどこかうすら寒さが残るところが、この本の凄いところ。
たとえば、両親など大人たちが「まちがった考え」を持つことだってある、という話の時に、それがいつの間にか「わるい考え」という表現になっていたりするところに引っかかりを覚えるのだ。
これはまだ最初の授業。ここから先、子どもたちはどういった方向へ導かれていくのか。最後に示される教師の内心の声が、言い様のない不安を誘う。

考え方を教えるというのは、その人を思うままに塗り変えられるということ。その重みをいま一度考えさせられた。

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