このトラブルは私が対応しないといけないのでしょうか。と思った。

人生を毎日、楽しんで生きよう。仕事はそこそこに幸せに生きよう。

昨日、一昨日と

今日も楽しくいきましょう。雪が残ってますが – LIFE-SHIFT (lifeshift.site)

本日から残業をしないで行こう – LIFE-SHIFT (lifeshift.site)

と、ポジティブな内容を書いていたが、昨日の昼頃から怪しくなり会社でシステム・トラブルが発生した。これは、復職後一か月で発生したトラブル以上のトラブルである。

いつになったら、平穏な会社生活をすごせるようになるろうか。

そんな朝に、以下の記事を見つけた。

「幸せの定量化」が人間を「究極の自己責任」に導く…空前のブーム〈幸福至上主義〉の罠

「幸福の定量化」が一気に進む

世界幸福度ランキング、地域幸福度、従業員幸福度、ウェルビーイング経営……ここ10年ほどで様々な分野で「幸福」が重要視されるようになってきています。しかも、人々がどのくらい幸せかを数値化しようとする「幸福の定量化」と一体になったものです。

近年のビジネス書の流行を見ても、幸福が人々の関心を呼ぶキーワードになっていることがよく分かります。下記グラフは、出版書誌データベースから書籍のタイトル・副題に「幸せ」「幸福」が含まれているものを抽出したものです。

90年代末から増加傾向となり、2012年に初めて400台に達し、その後も高い水準を維持しています。出版点数の増加を差し引いても、かなり大きな伸びといえます。

振り返ってみるとろトピックがありました。民主党政権下の「新成長戦略」を受けて有識者から構成する「幸福度に関する研究会」が開催されたのが2010年のことです。ブータンのジグミ・ケサル国王陛下と王妃陛下が来日し、国民総幸福量(GNH)が脚光を浴びたのは2011年で、国連の世界幸福度ランキングの第1回目が発表されたのは2012年でした。

幸福学(happiness study)という新しい学問も出現しました。『ハーバードの人生を変える授業』の著者で知られる心理学者・哲学者のタル・ベン・シャハーが創始したもので、2022年には米センテナリー大学で幸福学修士プログラムがスタートし、世界 85か国から数千人の学生が参加しています。今や世界だけではなく、日本においても幸福であることは、お金持ちである以上に大切な事柄になりつつあるようです。

しかし、そもそも幸福とは定義できるものなのでしょうか。

幸福の定義はいろいろある

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、幸福にこだわったことで有名です。アリストテレスは幸福を「最高善」とし、それは人間が動物にはない理性の活動によってのみ得られるとしました。

それは習慣化によって、考え方や行動のくせを身につけることにかかっていると言い、性的な快楽や一時的な幸運のようなものは真の幸福ではないと退けました。非常に抑制的で、知性的な幸福感なのです。

現代において幸福の定義はかなり多様で、複雑化しています。例えば心身が健康な状態で、社会的な関係が良好なことが幸福だというイメージがありますが、この条件を満たしていても不幸な人々はごまんといます。

なぜなら、文化や個性などによって幸福であるかどうかの受け取り方は変わるからです。心身に何の問題もなく、出世街道を順調に進み、プラベートも充実しているエリート会社員が、実は「何とも言えない虚しさ」を抱えていたりすることは珍しい話ではありません。

西洋と東洋では幸福の捉え方が異なることも研究で示されています。心理学者のグウェンドリン・ガーディナーは、幸福に関する研究の大部分は、教育水準が高く、工業化が進み、豊かで民主的な「奇妙な国々」で始まり、最も頻繁なのはアメリカだとしています。

そのため、幸福を幸運や状況の結果ではなく個人の成果としてみなしているというのです(*1)。

それと対照的に、日本を含む東アジアの世界観は、自己が他者とより絡み合う形になっており、個人の幸福は社会的なつながりに依存するものと解説しています。西洋型の評価指標と東洋型の評価指標を60か国以上で用いたガーディナーらの研究で判明したのは、前者が西欧諸国で幸福感を評価する場合に、高い信頼性が示された半面、中国などの東洋諸国では信頼性が低くなり、アフリカ諸国でも同じ結果になったことです(同上)。

ポジティブ心理学の副作用

とはいえ、幸福の計量化・見える化はすでに政府の政策などで活用されています。日本でよく使われているのは、主観的幸福を評価する指標で、「あなたは全体としてどの程度幸せですか」と尋ねて、「とても不幸」0点~「とても幸せ」10点の11段階で回答させるものです(*2)。

もちろん、社会指標や経済指標などの客観的幸福と相関していると考えられる指標と併せて検証するのですが、わたしたちが普段の生活で頻繁に目にしているのは、「考え方次第で人は幸せになれる」というフレーズではないでしょうか。

これはいわゆる「ポジティブ思考」と呼ばれるものです。「前向き」「プラス」「楽天的」など、逆境にもめげずに物事の良い面を見ること、それによって人生が好転するという考え方です。

名前は似ていますが、ルーツはまったく異なる「ポジティブ心理学」の方が昨今影響力を増しています。創始者である心理学者のマーティン・セリグマンによると、幸福に関して「ポジティブ感情」「エンゲージメント」「意味・意義」の3要素から捉える学問のことです。

セリグマンは、「悲観主義者が楽観主義者よりも抑うつに陥りやすいことや、仕事や学業、スポーツで低い能力しか発揮することができず、人間関係には困難が多いことを発見した」と述べ、「度重なるストレス」に対する病理学的循環反応について、「悲観主義者は諦めて、一層ストレスに苦しむようになる。一方、楽観主義者はストレスによりよく対処する」という見方を示しました(以上『ポジティブ心理学の挑戦 “幸福”から“持続的幸福”へ』宇野カオリ監訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

「心のありよう」が幸福に直結することを検証しようと試みるポジティブ心理学は、様々な書き手、スピーカーの生き方論のようなものに採り入れられて、随所に出回っています。突然の災害や病気、事故に見舞われた時、「悲観」よりも「楽観」が良いと言われると説得力がありますし、健康との関連や「滅入ったり、暗い気分になったりしたくない」というニーズの面からも受け入れられやすいところがあります。

ただし、社会全体から見た場合の副作用に注意が必要です。

個人の責任が強調される

とくに主観的な幸福が努力によって獲得できる言説が力を持つと、自分以外の事柄、例えば政治家の汚職や経済的な不平等など、公共に関わる課題が軽視される恐れがあるからです。

その危険性を最初に指摘したのは、作家のバーバラ・エーレンライクでした。彼女は『ポジティブ病の国、アメリカ』(中島由華訳、河出書房新社)で、ポジティブ思考とポジティブ心理学を痛烈に批判しました。ポジティブ志向の裏を返せば、容赦なく個人の責任を強調されるということだ(同上)からです。

誰でもその気になれば幸福度を上げられるというメッセージは、ある人にとっては吉報になるが、それが上手くできなかった人にとっては凶報となり得ます。もともと幸福になれる素質が各人に備わっており、そのためのノウハウも与えられているということが前提になっているので、幸福になれないのは「本人の怠惰のせい」となるからです。

これは体重や体型は容易に変えられるというダイエットの言説ととてもよく似ています。幸福がお手頃な技術として意識されればされるほど、努力不足として自責化されるのです。

日本ではアメリカほどアッパー系の幸福志向は浸透してはいませんが、いわゆるシンプルライフ系の幸福論が老若男女を問わず増えています。「お部屋を片付ければ、モノを捨てれば幸福になれる」「丁寧な暮らしで幸せに」「お金を使わなくても幸せ」「月10万円でも幸せに生きられる」……コロナ禍を通じて強化された脱成長的な価値観とも相性の良い、アップデートされた清貧といえます。

最近売れ筋の自己啓発書は、「運」「幸運」にフォーカスしたものですが、これもいわば幸福度を上げるための工夫です。筆者は、これらを一括して「社会的な成功」から「個人的な幸福」へのシフトチェンジと捉えています。

過酷な社会経済情勢においては、心身の健康を保つことがとりわけ優先されます。過重労働や燃え尽き症候群、うつや適応障害、アルコールや買い物依存症等々、自己の主体性やコントロールを浸食する職場や人間関係などから距離を取り、自尊心の回復を図ることが幸福に近づく第一歩になるからです。

実際、人々は実践的でコストパフォーマンスの良い生活術や処世術を切実に求めているところがあります。

「幸福になりたければ」というマイルドな圧力

日々の習慣を指南する生き方本で「幸せホルモン」という言葉が頻出するのは今の時代を象徴しています。「幸せホルモン」は、「ハッピーホルモン」ともいわれ、セロトニン、オキシトシン、ドーパミンなどの神経伝達物質のことを指しています。運動や瞑想などによって幸せホルモンを分泌させることを推奨する自己啓発書は多く、それだけ人々の関心が高くなっているのでしょう。

物価高騰で家計が厳しくなる中、賃金や報酬のアップを期待することができず、将来の生活に対するリスクばかりが気がかりになる社会状況においては、住まいや消費を再検討してコストを最小化し、脳内を「幸せホルモン」で満たす自己変革は、魅力的な選択肢であると同時に合理的な適応行動でもあります。

要するに、人々がそうでもしなければこの先自分が生き残っていくことができないと感じ、それ以外に自分の身を守る手段が乏しいと現実的に考えているのです。

『幸福の経済学 人々を豊かにするものは何か』(多田洋介訳、日本経済新聞社)を著したブルッキングス研究所シニアフェローのキャロル・グラハムは、様々な調査研究を参照しながら、「高い幸福度を維持して、悪い状態に適応する人々の能力」を明らかにしました。

どんなに悲惨な境遇にいる人々であっても、裕福な人々よりも幸福度が高いというパラドックスがあり得るのです。「生き残りたければ考え方を変えろ」――これが非常にマイルドな社会的圧力になり始めているのかもしれません。

思えば世界的なベストセラー『チーズはどこへ消えた?』(1998)で寓話を介して示された助言は、「古いチーズに早く見切りをつければ、早く新しいチーズが見つかる」でした。変化に素早く適用することが重要なのです。それは、こちらも大ヒットした『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』(2016)に引き継がれています。

「100年ライフへの適応」であり、「高度な柔軟性と適応力を維持する」必要があります。でないと、幸せな人生を送るどころか、社会の表舞台からこぼれ落ちて、ゴミ箱行きになりかねないからです。

幸福至上主義の罠

あらゆる変化を前向きに受け止め、高い幸福度を保つことは相当に困難なことに思えますが、確かにそれが思考のつまみを調整するだけで可能になれば、何も恐れるものはありません。

やがて遠くない未来、スマホをタップすれば脳に埋め込まれた電極が幸せホルモンの分泌を促し、仕事の集中力から気分の安定までをそつなく調整してくれるかもしれません。しかし、幸福至上主義の罠は一層いびつなものになるでしょう。

幸福至上主義の暗黒面は、意識変革や技術による幸福獲得の可能性が高まると、幸福の自己責任化に拍車が掛かるという悪循環にこそあります。そして極端な話、公共政策に不平や不満を述べる人間は「自力で幸せになれないために、他責化で憂さを晴らしているダサい奴」とされ、社会課題の解決を無限に先送りしてしまう懸念があります。

わたしたちには、このような最悪の事態を助長する危険性を弁えつつ、それでも自分を見失わずに生きていく曲芸のようなバランス感覚が要求されているのかもしれません。

(*1)Happiness around the world: A combined etic-emic approach across 63 countries/2020年12月9日

https://doi.org/10.1371/journal.pone.0242718

(*2)『火星からの侵入 パニックの社会心理学』(斎藤耕二・菊池章夫訳、川島書店)などの著作で知られる社会心理学者のハドレー・キャントリルが作った「キャントリルの階梯(Cantril Ladder)」と呼ばれる手法。自身の著書『The Pattern of Human Concerns』で紹介され、広く認知されるようになった


幸福度は社会の「体温」 キャロル・グラハム氏

成長の未来図インタビュー 米ブルッキングス研究所シニア・フェロー

米国の白人貧困層には信じがたいほどの絶望が存在する。彼らは米国の社会で不利な立場にあるグループでは決してない。しかし過去20年間、白人労働者層は製造業の衰退に伴って没落してきた。

グラハム氏は「統計にウェルビーイングの指標を取り入れるべきだ」と訴える

白人労働者層は製造業の雇用を特権的に得られ、長いこと「アメリカン・ドリーム」が身近だった。それが収入だけでなく誇りの源であり、良い仕事、中間層の生活、会社、労組というライフスタイルが構築されていた。

企業が飲食業などの地元経済を支えてきた地方の町では、製造業の衰退に伴う雇用喪失と共にライフスタイル全体が消失してしまった。国民皆保険制度がない米国では、職を失えば医療保険も失う。

ヒスパニック(中南米系)などのマイノリティー(少数派)は、長く差別の対象だっただけに、私が「共感のコミュニティー」と呼ぶ地域の支援の輪、独自のセーフティーネット(安全網)を構築してきた。

一方で白人労働者層は「政府の助けやセーフティーネットなどいらない。米国は自由と機会の国だ」「貧困は自己責任」といった米国的な個人主義を信奉する。それが裏目に出た。

高等教育に対する考え方の格差もある。私の調査によると、黒人貧困層には困難にもかかわらず大学進学を志す若者が多く、家族の中にそれを支援する人がいる。しかし白人貧困層の若者は高校以上の教育を目指さない傾向がある。親も励まそうとしない。絶望が次世代に受け継がれてしまうことを懸念する。

こうした絶望を抱えた層は、陰謀論や過激思想に染まりやすく、自らの苦境を他人のせいにする。残念ながら歴史で繰り返されてきたことだ。特に自分より下に見ていた者たちが追いついてくればなおさらだ。こうした傾向は人種差別的な考え方につながり、トランプ前米大統領はそれを利用した。

似たような状況は英国が欧州連合(EU)から離脱した「ブレグジット」時の英国や、東欧でもみられる。ただ、米国の状況が特に深刻なのは、格差がより大きいことや医療保険などの社会保障が欠如していること、医療用麻薬「オピオイド」の乱用拡大、そして銃の入手が容易だという事実がある。絶望した白人低所得者層がオピオイドや銃を手にした結果が「絶望死」の増加だ。

米国では公共交通機関が発達した都市部に住んでいない限り車が必要不可欠だ。コロナ禍ではオンライン教育の機会が増え、インターネットがなければ子供の教育も不可能だ。日常生活における生活への物質的な要求が大きく、地域の支えも少ない。

豊かな国で貧しいというのは苦しいことだ。スウェーデンのように社会保障が発達した国々とは異なり、米国では苦難が大きい。

米国も英国やニュージーランドのように、統計に国民の心身の健康や働きがいなどを含めた「ウェルビーイング」の指標を取り入れるべきだろう。そうしたことがあれば経済だけでなく社会の「体温」を測ることができる。

(聞き手は芦塚智子)

Carol Graham 1962年生まれ。ブルッキングス研究所シニア・フェロー。世界銀行チーフエコノミスト室勤務のほかIMF副専務理事特別顧問などを歴任。著書「人類の幸福論」で、所得などでは測れない「幸福感」のとらえ方を示した。
Pocket
LINEで送る