第12回 日本の考古学②

第12回 日本の考古学②
-古墳時代-
1 古墳時代-前期・中期・後期・終末期
2 須恵器と埴輪
3 沖縄と北海道の文化
【キーワード】
前方後円墳、竪穴式石室、横穴式石室、王権、円筒埴輪、埴輪祭式、須恵器、終末期古墳、貝塚文化、オホーツク文化、擦文文化


1.古墳時代

(1) 前方後円墳の時代

箸墓古墳・奈良県桜井市

(2) 前期

三角縁神獣鏡さんかくぶちしんじゅうきょう縁の断面形が突出して三角形をなすのを特徴とし、神像や獣形などを半肉彫りで表現した鏡。 「さんかくえん~」ともいう。 面径が20センチメートルを超える大形鏡である。 主文様は銘文とともに中国の神仙思想を表したものとされる。景初三年
(3) 中期
(4) 後期
(5) 終末期古墳
588年飛鳥寺
高松塚古墳 墳丘は2009年に築造当初の形状に仮整備され、一般に公開されている[1]。一方、壁画が描かれた石室は、2007年に歴史公園内の修理施設に移され[2]、2020年3月に保存修理が完了した[3]。今後は古墳外に新設される施設で管理される予定である[4]

2. 埴輪と須恵器

(1) 埴輪
円筒埴輪製作技法
今城塚 造営時の6世紀前半では最大級の古墳である。宮内庁の治定は受けていないが第26代継体天皇の真のとする説が有力で、発掘調査が可能な大王陵になる。

今城塚古墳 埴輪祭祀場

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甲塚古墳 甲塚古墳 – いわき市観光サイト

(2)土師器と須恵器

須恵器 古墳時代中期初頭に朝鮮半島から導入された、陶質土器(炻器)。日本列島で初めて窯焼きで生産された焼き物。

3. 沖縄と北海道の考古文化

(1) 沖縄の文化
貝塚時代
グスク時代
(2) 北海道の文化
続縄文時代 続縄文時代(ぞくじょうもんじだい)は、北海道を中心に紀元前3世紀頃から紀元後7世紀(弥生時代から古墳時代)にかけて、擦文文化が現れるまで続いた時代で、続縄文文化に対応する。 縄文時代から引き続くものとして山内清男により名づけられ、実際に連続する要素は多い。
擦文時代 擦文時代(さつもんじだい)は、北海道の歴史のうち、7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にかけて、擦文文化が栄えた時期を範囲とする時代区分。

オホーツク文化 約1500~800年前(5~12世紀)・続縄文時代の終わりから擦文時代に重なる頃、オホーツク海沿岸部を中心に分布していた文化です。 擦文文化をになった人々とは異なる外来の民族が残した文化で、住居のつくりや使っていた道具などから異なる生活文化をもつ人々であったことが分かっています。
トビニタイ文化 トビニタイ文化の直接の源流はオホーツク文化である。オホーツク文化に属する人々は以前から北海道に南下していたが、7世紀から8世紀にかけては道北・道東に広く進出していた。その後、9世紀になって擦文文化に属する人々が道北に進出すると、道東地域のオホーツク文化圏は中心地である樺太から切り離されてしまった。その後この地域のオホーツク文化は擦文文化の影響を強く受けるようになり、独自の文化様式に移行していった。これが現在ではトビニタイ文化と呼ばれる文化様式である。
アイヌ文化 アイヌ文化(アイヌぶんか)とは、アイヌ13世紀鎌倉時代後半)ころから現在までに至る歴史の中で生み出してきた文化である。現在では、大半のアイヌは同化政策の影響もあり、日本においては日常生活は表面的には和人と大きく変わらない。しかし、アイヌであることを隠す人達もいる中、アイヌとしての意識は、その血筋の人々の間では少なからず健在である。アイヌとしての生き方はアイヌプリとして尊重されている。アイヌ独特の文様(アイヌ文様)や口承文芸ユカㇻ)は、北海道遺産として選定されている。前時代の擦文文化とアイヌ文化の違いについては、「蝦夷#えぞ」の項を参照。
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