メタゾアの心身問題 ピーター・ゴドフリー=スミス著 動物たちの多様な心と経験

5年前、同じ著者による『タコの心身問題』(みすず書房)を当欄で紹介した。著者が専門とする頭足類のユニークな心と身体のありようを進化論の観点から解き明かした名著であった。本書はその続編にあたる。こんどは対象を動物一般に広げ、自然界における心(主観的な経験)の発生と展開を考察した野心作である。書名にある「メタゾア」とは、多細胞の動物全般を指す言葉。われわれ哺乳類だけでなく、鳥や魚、昆虫やヤドカリ、さらにサンゴまでをカバーする分類群である。

本書は、動物の初期形態から始めてその歴史に並走するようにして、さまざまな動物の生態をとりあげる。前半の主役は海の中の動物たちだ。カイメンからサンゴへ、そしてエビ、タコ、魚類へ。その後は陸に上がり、昆虫や爬虫(はちゅう)類、恐竜(鳥類)も登場する。

読んでいくうちに思い知らされるのは、自然界にはわれわれのものとは異なる心の多様なあり方が存在するらしいということだ。動物が持ちうる経験には多数の次元とグラデーションがある。これは、生物進化の歴史において、心と経験が一気に登場したのではなく、時間をかけてじわじわと現れてきたことからもたらされる当然の帰結である。

この考えを著者は「漸進説」と呼ぶが、それは生物学や哲学の領域にとどまらず、広く社会的にも大きな含意をもちうるものだ。たとえば、動物における経験のグラデーションを認めることで、動物倫理の問題はより悩ましいものとなるだろう(ヨーロッパでは生きたロブスターの煮沸を禁止する法律などが成立している)。

漸進説とはグールドらによれば、大きな集団が全体的に一様に、ゆっくりと、均一の速度で安定した状態を保ちながら進化が起きることと定義されている。

また、流行のAIテクノロジーとの関連も興味深い。著者は、近年まことしやかに語られている「心のアップロード」の実現には懐疑的である。アップロードできるプログラムやデータは、我々の中で起きていることのほんの一部であり、そこには特定の身体という生物学的な土台が欠けているからだ。脳のような制御システムを備えたロボットは実現可能だろうが、それはあなたや私の代わりにはなれない、というわけである。

前著と同様、動物の生態を伝える博物誌としても心身問題に関する理論書としても優れた、一冊で二度おいしい名著である。

《評》フリーライター 吉川 浩満

 

原題=METAZOA(塩崎香織訳、みすず書房・3520円)

▼著者は65年生まれ。豪シドニー大学教授。専門は科学哲学、生物哲学。著書に『タコの心身問題』など。


内容紹介(出版社より)

『タコの心身問題』の著者が、心の進化の謎にますます深くダイブするシリーズ第2弾! 進化はより複雑な生物をもたらしただけではなく、新しい「あり方」、新しい自己を生み出しつづけた。タコの経験、ヤドカリの経験、人間の経験……こうしたすべての動物をそれぞれ独特な「経験する存在」にしているものは何だろう? 海の生物たちの生活に密着し、心ー身の関係と感性の多様性、そして意識の発生の問題を限界まで深堀りする。
とくに、本書は〈感じられた経験〉(広い意味での意識)を幅広い動物がもっていることを認めたうえで、「意識があるか・ないか」という二分法を超える、心の発生についての「包括的な説明」を試みる。驚きの生物進化読本。

1 原生動物
階段を下りる/物質・生命・心/ギャップ

2 ガラスカイメン
タワー/細胞と嵐/電荷を飼いならす/メタゾア/ガラスを通って差す光

3 サンゴの新たな一手
身体を起こす/動物による最初の行為を求めて/動物がたどった道/アヴァロンからナマへ/グリップ力

4 一本腕のエビ
マエストロ/カンブリア紀/動物の感知能力/知りたがりのヤドカリ/もうひとつの道/着飾るカニ/グッバイ

5 主観の起源
主観・行為者・自己/クオリアとその他の謎/感覚を超えて/ナイトダイブ

6 タコたち
大暴れ/頭足類の繁栄期/複数の制御系統/オクトパスウォッチング/タコとサメ/統合と経験/星の中に潜る

7 キングフィッシュ
パワー/魚類の歴史/泳ぎ/水の存在/ほかの魚という他者/リズムと場/引き裂かれる流れ

8 陸上の生活
温室/リーダー復活/感覚・痛み・情動/多様性/植物の生態

9 鰭、脚、翼
多難の時代/私たちの枝/陸と海の役割

10 徐々にかたちに
1993年/ここではないどこか/徐々に統合される/帰結/「心」のかたち

内容紹介(「BOOK」データベースより)

この世界は生きものたちの“感じられた経験”に満ちている。タコの経験、ヤドカリの経験、ウミウシの経験…動物たちを独特な「経験する存在」にしているものは何だろう?多様な感性の起源を探り、精神と物質のギャップに橋を架ける。『タコの心身問題』の著者による驚きの生物進化読本、第2弾!

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