タコの心身問題 ピーター・ゴドフリー=スミス著 知性生んだ自然淘汰の妙技

思わず目を疑うタイトルである。タコとは、ブックカバーのイラストに明らかなように、あの頭足類のタコのことだ。そして心身問題とは、心と身体、なかでも知性と脳との関係はいかなるものかという、哲学における伝統的な大問題である。

原題=OTHER MINDS (夏目大訳、みすず書房・3000円) ▼著者は65年生まれ。豪シドニー大科学史・科学哲学スクール教授。 ※書籍の価格は税抜きで表記しています

すると、タコにも哲学的考察の対象となるほどの「心」があるとでも言うのだろうか。そのとおりである。本書は、タコが有する心のあり方と、それを生みだす身体のあり方を、進化論(自然淘汰説)を駆使して解き明かそうとする野心作である。

本書には、タコの知性の高さを示す事例がふんだんに紹介されている。飼育係のメンバーを識別し、特定の人物が来たときに水をかける。電球に水を吹きかけショートさせて照明を消す(タコは電球の光を嫌う)。極めつきは、嫌いなエサを与えられたときに、人間と目線を合わせながら、これ見よがしにエサを捨てたというエピソードだ。驚くほかない。

どれも我々人間と同じではないかと共感してしまいそうな事例である。だがここで、タコと我々が大きく異なる進化の道筋を歩んできたということにも注意を向けなければならない。タコをはじめとする頭足類と人類の共通祖先は、およそ6億年前までさかのぼる。その共通祖先はといえば、心を云々(うんぬん)するにはあまりに心許(もと)ない、ミリ単位の小さく平たい虫のような生物だった。つまり、生物の進化は、「まったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった」のである。タコの知性の高さだけでなく、そのような生物をつくりあげてしまう自然淘汰の妙技にも驚くほかない。

著者は「頭足類と出会うことはおそらく私たちにとって、地球外の知的生命体に出会うのに最も近い体験だろう」と言う。昨年の11月3日に当欄で紹介した『見知らぬものと出会う』(木村大治著、東京大学出版会)は、地球人が異星人と出会う「未知との遭遇」を考察する書物だったが、タコとの遭遇もその一例に加えてよいのではないだろうか。そういえば初期のSF作品に描かれる異星人の多くはタコのような姿形をしていた。昔の人は直感的にこのことを理解していたのかもしれない。


見知らぬものと出会う 木村大治著

SF通し探る他者との関係

「ワレワレハ宇宙人デアル」……落語家の林家木久扇が「笑点」で披露するネタである。喉を小刻みに叩(たた)いて声を電子音風に変調させるところがポイントだ。

(東京大学出版会・2800円) きむら・だいじ 60年愛媛県生まれ。京都大教授。専門は人類学、コミュニケーション論。著書に『共在感覚』。 ※書籍の価格は税抜きで表記しています

宇宙人と地球人とが最初に出会う状況は「ファースト・コンタクト」と呼ばれ、SF作品ではおなじみのテーマだ。本書は、そうしたSF作品の分析を通して、私たちのコミュニケーションがどのように成り立っているのかを探る書物である。

それにしても、私たちが日ごろから行っている行為について知るのに、どうして宇宙人が必要になるのか。それはファースト・コンタクトSFが、私たちが他者と出会う際のふるまいの特徴や類型を、極端に拡大してわかりやすく示してくれるからである。

著者は多数のSF作品を例に挙げつつ、ファースト・コンタクトには大まかに三種類あるという。「友好系」「敵対系」「わからん系」である。前2者は容易にイメージできるとして、最後のわからん系とはなんだろうか。これは、相手がなにをしたいのかよくわからないという、いわば取り付く島もない状況である。広い宇宙のこと、そんな宇宙人もいるかもしれない。ポーランドの作家スタニスワフ・レムソラリスの世界である。

ここから重要な教訓が引き出される。友好的関係はもちろんのこと、敵対的関係においてさえ、領土や資源の必要性などをめぐって、両者は多くのものを共有している。だが、宇宙人とのやりとりにおいて問題となるのは、そもそもお互いにコミュニケーションへの志向性(やる気)があるかどうかということなのだ。それはとりもなおさず、私たちの日常においてコミュニケーションが成り立つための最低限の条件でもある。

以上のように、本書は1粒で3度おいしい好著である。まず、これまで人類がいかに多様なファースト・コンタクトを考えてきたのか、作家たちの呆(あき)れるばかりの妄想力に触れることができる。次に、ひるがえって私たち自身が行う他者とのやりとりがいかにして可能となるのかをあらためて考えさせてくれる。そしてもちろん、いつか宇宙人と本当に出会うときのための予行演習としても、本書は役立つに違いない。


頭足類(読み)とうそくるい

〘名〙 軟体動物門の綱の一つ。軟体動物中最も分化した体制をもち、イカタコオウムガイなどを含む。頭部胴部と足部からなり、頭部は足部と胴部の中間にあり、発達した目がある。オウムガイでは口のまわりに数十本の脚が、イカ・タコでは八~一〇本の腕がある。胴の漏斗から外套腔内の水を噴射し、急速な後進運動をする。貝殻は通例甲として外套膜中にあるか、または欠如するが、オウムガイや化石種では軟体部を包み、多数の室からなる。雌雄異体カンブリア紀以来化石が出ている。〔生物学語彙(1884)〕

頭足綱Cephalopodaに属する軟体動物の総称。イカタコ類,アンモナイトオウムガイ類を含む。軟体動物中きわめて特異な1群で,他の軟体動物が内臓全体(内臓塊)を足の背部に背負っている型を基本としているのに比べ,内臓塊は体後部に押しやられ,足は体の最前部に位置して頭に直接ついた形になっている。このため頭足類と呼ばれる。そのほか,軟体動物に特有の,トロコフォラ(担輪子)幼生やベリジャー(被面子)幼生期を通らず,直達発生をする。

体は左右相称で,頭部には無脊椎動物中,もっとも複雑に発達した1対の眼をもっている。ただしオウムガイ類などでは中に海水の満たされた原始的な眼をもつ。口にはよく発達した顎板があり,歯舌をもつ。足は多数に分かれた腕に変形していて,口のまわりを囲む。二鰓(にさい)類(イカ・タコ類)では4~5対で伸縮自在,口側に吸盤をもっているが,オウムガイ類では筋肉の鞘に収まるひげ状の触鬚(しよくしゆ)となっていて,数十本ある。腕は機能的に分化していて,一部は排出孔として機能する漏斗となっているほか,精莢(せいきよう)(精子を包むふくろ)を雌に渡す役をする交接腕や,餌や相手を把握する触腕などがある。内臓塊はドーム状の外套(がいとう)膜に包まれている。オウムガイ類やアンモナイト類のように外に貝殻をもつものは外套膜は薄く,貝殻に収まっている。裸の二鰓類は外套膜の皮膚はじょうぶで,ときには斑紋や彫刻のような模様がある。貝殻は外套膜の背側に内包されていて,遊泳性のものは著しく軽量化して,わずかに体を支持する役をするにすぎない。

外套腔中には1~2対の本鰓があり,心臓は1~2心室,2~4心耳である。生殖腺の内腔は囲心腔と連絡している。消化管はU字で肛門は前方向きに開き,直腸に墨汁囊が開口しているものがある。

頭足類はすべて雌雄異体で,卵生。受精は雄が雌に精莢を渡すことによって行われ,卵は卵囊に入れられて産み出されるものが多い。頭足類の卵は卵黄を多く含んだ端黄卵で,盤割(ばんかつ)に近い部分卵割を行い,孵化(ふか)幼生は小さいだけで親と同じ形をしている。すべて海産で低塩分に弱く,内湾的な環境にはほとんどすまない。海底近くにすむ底生性のほか,遊泳性ないし浮遊性のものも多い。化石頭足類の多くは沿岸性であったが,現生の二鰓類は大深海や外洋にも多くすむ。かつてはアンモナイト類だけでおよそ2万種も生存していたといわれるが,現生のものは頭足類全部でもおよそ600~650種程度である。
執筆者:奥谷 喬司

地質時代には有殻の頭足類が発展した。すなわち,とくに古生代に栄えたオウムガイ亜綱や,中生代に栄えたアンモナイト亜綱がそれである。後者はかつて前者とともに四鰓亜綱として一括されたが,化石ではえらによる大分類が事実上困難で不適当であるうえに,オウムガイ類は内部構造の分化,アンモナイト類は縫合線の進化,鞘形(しようけい)類(イカ・タコ類など現生の二鰓類を含む)では外殻類から内殻類への発展が各単一系統樹をなすので,現在ではふつう3亜綱に大別する。鞘形亜綱には絶滅目としてベレムナイト目(矢石目)のほか,オーラコケラス目(外観はベレムナイトに似るがさやの代りに層状有機物からなるテラムtelum(やり)をもつ)とフラグモチュース目(短い房錐と長い前甲をもつ)を含む。バクトリテス類は,独立の亜綱扱いとするか,アンモナイト亜綱あるいはオウムガイ亜綱中の1目とするかは定説がない。カンブリア紀のボルボルテラ類についても頭足綱中の独立目とするか,軟体動物門中の絶滅綱であるCalyptomatidaと頭足綱の間の独立綱とみなすかの議論がある。
執筆者:小畠 郁生

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