「地球を制したのがチンパンジーでない理由は、人類が大量のナンセンスを信じられるからです」

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ヴィクトル・ピンチューク・ファウンデーション(ウクライナ)

ヴィクトル・ピンチューク・ファウンデーション(ウクライナ)

Talk by Yuval Noah Harari and Rutger Bregman

ウクライナの大富豪ヴィクトル・ピンチュークが、英「エコノミスト」誌の編集長ザニー・ミントン・ベドーズを司会に迎え、オンラインでユヴァル・ハラリとルトガー・ブレグマンの豪華対談を実施。「人間は本質的に善良である」と説くブレグマンに、人類が地球を制したのは「チンパンジーよりも人類が虚構を信じるからだ」とハラリ。いま世界で最も注目を集める2人の歴史家が、人類の過去、現在、そして未来がどこへ向かうのかを語り尽くす。

──本日は独創性と刺激的な思考で知られる2人の作家を招いた対談に、私自身も非常にワクワクしています。おふたりにはこれからの世界がどうなるのか、ということについて語ってもらいたいのですが、まずは過去の見方について伺います。というのも、過去に対する解釈の仕方が異なっていますからね。

それではまず、ルトガー(・ブレグマン)から始めてもらいましょう。おそらくこの対談に関心を持った人のほぼ全員がユヴァル(・ノア・ハラリ)の著作を読んだことがあると思いますが、ルトガーの本『ヒューマンカインド』は、英訳が2020年に刊行されたばかりなので、まだ読んでいない人も多いのではないかと思います。

あなたは前著『隷属なき道』で一晩にして世界的な名声を得ましたが、なぜ人類に対して希望を持っているのですか。まずは、そこからお話ししてもらえますか。

ルトガー・ブレグマン

ルトガー・ブレグマン オランダ出身の歴史家、ジャーナリスト。ユトレヒト大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で歴史学を学ぶ。広告収入に一切頼らないジャーナリストプラットフォーム「デ・コレスポンデント」の創立メンバーでもある。

ルトガー・ブレグマン 歴史家や哲学者が長いあいだ取り組んできた大きな問いの一つに、「なぜ人類だけが特別なのか」「なぜ人類が地球を征服できたのか」「私たち人類だけに備わる特殊な能力とは何なのか」というものがあります。ユヴァルもそうだと思いますが、私もこの問いに答えを出そうとしてきました。

人類の歴史のかなり長いあいだ、その問いの答えは「それが神様の思し召しだから」というものでした。「私たち人間は神に選ばれし存在である」「人類は神の被造物の頂点に位置する」と考えたがる人が多かったのです。

しかし、啓蒙の時代が到来して科学革命が始まると、今度は別の見方をする人が増えました。「私たちは神に選ばれていなかったとはいえ、進化の産物であり、動物界で最も頭がいいのだ」「私たち人間には巨大な脳と驚異的な認知能力があり、そこがほかの動物と大きく異なるところだ」という考え方が広まっていったのです。

ところが、この見方にも問題がありました。なぜなら人間の幼児がブタやチンパンジーと一緒に知能検査を受けると、多くの場合、動物のほうが勝ってしまうからです。つまり、人間は一人だけではあまり知能が高くはないのです。

では、人間はほかの動物と何が違うのでしょうか。そこで、別の説明が必要になりました。なぜ私たち人類は大聖堂を建設できるのか。なぜ宇宙船を作ることができるのか。そうしたことができるのは、人間にどんな能力があるからなのか。なぜ、人類がこの地球を征服できたのか。

私に言わせると、その答えは「人類には一緒に仕事をする力、協力し合える力があったから」というものです。ある進化人類学者が「適者生存」をもじって「友好者生存」と言っていますが、まさに言い得て妙です。

人間の友好的な性質こそ、私たち人類が内に秘めた特殊能力なのです。科学用語を使うなら「自己家畜化」です。私たち人類は何千年という時間をかけて自分たちを家畜化していき、最も友好的な人がいちばん多く子供を持ち、その遺伝子が次の世代につながれてきたのです。

いま科学の世界では、このような希望を持てる人間観が広まっており、それを知るのは大事だと私は考えました。なぜなら、人間の本性をどうとらえるかによって、私たちの組織の形も変わってくるからです。民主主義の制度をどう運営すべきなのか。職場の仕組みをどう設計すべきなのか。学校制度をどう設計するのか。そういったことが人間観次第で決まってくるのです。

──ルトガーの著書『ヒューマンカインド』は、溢れんばかりの楽観主義の書なので、それに比べるといまの答えはその要素が物足りなかった印象もありますね。著書では、人類はホモ・エコノミクス(経済人間)でもなければ、ホモ・サピエンス(賢い人間)でもなく、ホモ・パピー(子犬のような人間)なのだという人間観を提示していて、興味深く読みました。

さてルトガーの本の表紙には、ユヴァルが書いた「この本は私に挑みかかり、新しい角度から人類を見させてくれた」という惹句が印刷されています。そこでユヴァルには、いまのルトガーの話に反応してもらいましょう。

ユヴァル・ノア・ハラリ

ユヴァル・ノア・ハラリ イスラエルの歴史家で、ヘブライ大学歴史学部の終身雇用教授。人類の歴史をマクロ的な視点で読み解いた『サピエンス全史』などで知られる。近著に『21 Lessons:21世紀の人類のための21の思考』。

ユヴァル・ノア・ハラリ 私は『ヒューマンカインド』を、とても楽しみながら読みました。ヒトという生物への私の見方が変わったのも事実です。

さきほどルトガーは私たち人類が持つ特殊能力は「大人数で協力し合える力」だと指摘していましたが、私もまったく同意見です。ただ、非常に大きな数の集まりになったとき、人間が持つ友好的な性質だけで人々が協力し合えるのか。そこはちょっと怪しいと思っています。

10人、50人、あるいは100人ほどの小集団であれば、友好的な人間が集まればうまくやっていけるでしょう。しかし、集団が数百万人の規模になったときはどうでしょうか。あるいは地球上の80億人が協力し合って、ウイルスやパンデミックと闘おうとするときはどうでしょうか。人間が持つ友好的な性質だけで、この巨大集団内の協力関係を築けるとは私には思えません。

私の考えでは、膨大な数の人々が協力し合うことを可能にするのは、人類が持つ「物語を語る力」です。これは数百万人、ときには数十億人に同一の物語を信じさせる力のことです。その物語が真実である必要はありません。あえて挑発的な言い方をするなら、この地球を制したのが私たち人類であり、チンパンジーでない理由は、人類がチンパンジーよりも大量の虚構、大量のナンセンスを信じられるからなのです。

文明と農耕が始まってから、すべてが「下り坂」

──ふたりとも、ネアンデルタール人の時代が終わり、ホモ・サピエンスの時代が始まったときに重大なことが起きたと認識しています。ただ、それがなぜ、どのようにして起きたのか、という点については解釈が異なっているように思えます。

ユヴァルはホモ・サピエンスの「物語を語る力」を強調していますが、ルトガーは先史時代をどのように見て、人間社会の組織についてどう考えているのですか。

ブレグマン 先史時代の見方は、私のほうがユヴァルよりも、少しだけ希望や楽観的要素があると思います。人類史に暴力や戦争が登場するのはいつ頃からなのか。人類は常に暴力的だったと考えるべきなのか。こうした問いをめぐっては古くから議論がありますが、私の立場は「楽観主義」というか「ヒッピー的」です。

人類学や考古学の最新研究に目を通すと、人類が移動生活を送る狩猟採集民だった時代、つまり人類史の95%に当たる期間に戦争があったと示すエビデンスがあまりないのです。それが変わったのが、人類が定住を始め、文明を作りだしたときでした。それ以後は、もうずっと下り坂です。

ヒエラルキーが設けられ、家父長制が作られ、ペストやはしかや新型コロナといった感染症も発生するようになりました。言ってみれば、これが人類の「原罪」でした。ジャレド・ダイアモンドの言葉を借りれば、定住は「人類史上最大の失敗」だったのです。

それでは、なぜ私たちが生き残り、ネアンデルタール人が生き残らなかったのか。この問いに関しても理解の鍵となるのは、私たちが持つ「大きな集団を形成して協力し合える能力」です。これは単に「物語を語る力」だけではありません。もちろん、それが非常に重要だというユヴァルの話には賛成します。とりわけ物語が大きくなっていくと、その力も大きくなっていきますからね。

ただ、権力が果たす役割も非常に重要だと付け加えたいですね。イタリアの哲学者マキアヴェッリは、かつてこう言いました。

「武装した預言者はみな勝利を収め、武装せぬ預言者は滅びる」

自分の物語を人々に信じさせたいなら、自分のすぐ後ろにAK-47を持った男が立っていたほうがいいのです。お金の力も同じです。お金が力を持つのは、私たち全員がドルの力を信じるからだという側面もたしかにあります。しかし、税金を支払わなければ牢屋にぶち込まれるという側面があることも忘れてはいけません。私たちには、お金の力を信じないという選択肢はないのです。

──ちょっと驚く発言があったので、ルトガーにもう少しだけ訊いてみたいことがあります。さきほど「文明が誕生してからは、すべてが下り坂」と言っていましたが、本当にそう考えていますか? 人類は、文明が誕生する前の暮らしに戻ったほうがいいということなのでしょうか。

ブレグマン 人類はこの200年で長足の進歩を遂げたので、私がいまから狩猟採集民として暮らそうと思うことはありません。そんなのはバカげています。ただ、この点はユヴァルも同意すると思うのですが、文明も農耕も、それが始まった時点では、人類の大半にとってありがたいものではなかった。文明や農耕は、人を苦しめるものだったのです。地主のような人のもとで奴隷として働かなければならなかったわけですからね。ユヴァルは以前、それをこう表現していました。

「歴史とは人口の1%がしてきたことであり、残りの99%は畑で働いていたのだ」

これは心にとめておくべきです。たしかに農耕が始まる前の、狩猟採集民の生活は完璧ではありません。乳幼児死亡率は非常に高かったはずです。ただ、農耕民として生きるか、それとも移動生活を送る狩猟採集民として生きるのかという2択であれば、私は確実に後者を選びますね。

──ユヴァルは、この歴史の転換点をどう見ていますか。

ハラリ 私もだいたい同じ意見です。農耕が開始する前の世界の見方には大きな相違があるかもしれませんが、そこは議論してもあまり意味がない気がします。そもそも、その時代のエビデンスがほとんどないので判断材料がありません。いま私たち人類は巨大文明で暮らしており、昔の生活に戻ることは不可能です。

現代社会と関係のある話をするなら、人間社会で疫病が発生するようになったのは、大雑把に言ってしまえば、文明と農耕が始まった結果です。石器時代の狩猟採集民は、疫病に苦しむことがほとんどなかったはずです。

ほとんどの感染症は、家畜か、売るために捕まえた野生動物に由来するものです。感染症が広まるのは、私たちが人口密度の高い、非衛生的な大きな町や都市で暮らしており、それらの都市が互いに商業や通信のネットワークで結びついているからです。

だから狩猟採集民は、その種の感染症とは無縁だったのです。仮に誰かが野生のコウモリのウイルスに感染したとしても、3万年前だったら、それは本人とその周りの20人あるいは30人ほどに感染して終わりでした。疫病にはならなかったのです。疫病が始まったのは、文明が誕生してからです。

ただ、そのことがわかっても、いまの新型コロナウイルス感染症に対処するうえではあまり役に立ちません。いろんな対策が実施されてきましたが「いまから太古の狩猟採集民の移動生活に戻ろう」という提言は出てきていませんからね。

ルトガーは著書『ヒューマンカインド』で、人間は本質的に善良であり、人間が問題の原因なのではないと論じていますが、私も基本的に同じ意見です。私も人間は基本的に優しくて、友好的だと考えています。

しかし、問題は、そうした人間が数百万人集まって大きな社会を形成したときです。大きな社会が作られると、そこには暴力やヒエラルキー、搾取、そして奴隷制といったことが出てきます。人間ひとり一人は優しくて友好的かもしれませんが、それを言っているだけでは「どうすれば、いまよりもよい大きな社会を作れるのか」という問いの答えは見えてきません。

それぞれの自宅からオンラインで意見を戦わせた

──ユヴァルはいま非常に上手にルトガーの説に挑んでいたと思います。そこで、ルトガーに質問です。あなたの言うとおり、人類がホモ・パピーであり、気さくで善良で友好的な性質の持ち主だとします。そうしたホモ・パピーが地球上に80億人いるとき、何が起きるのでしょうか。

人類の歴史を紐とくと、大きな社会ができると、残虐なことがよく起きています。人が大勢集まって暮らすようになるとき、そのような人類の暗い側面が出てきてしまうのは宿命のようなものなのでしょうか。

ブレグマン ユヴァルの言うとおり、狩猟採集民のことを考えても「いまからその暮らしに戻るのは無理なのだからどうでもいい」と思う人がほとんどかもしれません。狩猟採集民が善良な人間で、友好的で、平等な暮らしを送っていたことなど、どうでもいいというわけです。しかし、私はそれを知るのは大事だと考えています。

人間の本性については、これまでにさまざまな思想や科学理論が出てきました。その理論が果たして本当に妥当なのか、手元にあるエビデンスを見ながら検討するのは有益です。人間は基本的にどんな行動をする生物なのか。それについて、これまでにどんな議論がされてきたか。研究者のコンセンサスはどの辺にあるのか。そういったことを知るのは、瑣末なことではないのです。

世の中には、いまだに人間を「利己的な存在」だと強調する理論が出回っていますが、研究者の世界では、そのような理論を説く人はもうほとんどいなくなっています。それどころか、誰かが溺れたり、路上で襲われたりする緊急事態では、私たちの9割方が人を助けようとすることが監視カメラの映像などでわかっているのです。こういったことを知るのは大切ですし、役にも立ちます。(つづく

ルトガー・ブレグマン「人類はいま、火山のてっぺんで踊っているようなものです」

ヴィクトル・ピンチューク・ファウンデーション(ウクライナ)

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Talk by Yuval Noah Harari and Rutger Bregman

私たち人間は「利己的」なのか、それとも「友好的」なのか。もし、善良な存在だとするならば、なぜ独裁者が出現したり、ジェノサイドのような残虐な事件が起きるのか。ユヴァル・ノア・ハラリとルトガー・ブレグマンの対談第2回目は、「人間の本性」に迫る。

──それではここで、ふたりの見方が対立するような質問をしたいと思います。おふたりは、自分のことを「人類の歴史の分析者・観察者・記録者」と考えているのでしょうか。それとも自分はどちらかというと「活動家や社会科学者」に近く、社会を変えていこうという精神の持ち主だと考えていますか。

ユヴァル・ノア・ハラリ もちろん物事を変えていけると考えています。将来、テクノロジーを使って人間の本性を変えられる世界が到来するかもしれない、ということではありません。

ただ、人間の本性がどんなものであれ、個人や家族が集まって大きな社会が作られたとき、それが人間の本性をそのまま反映したものになるとは限りません。人間の本性をどう見るかという問題は重要ですが、それが、人間の社会や文明がどんなものになるのかを決めるわけではないのです。

具体例として、世界各地で民主主義体制を立ち上げていく可能性について考えてみましょう。太古の狩猟採集民集団は、歴史上、最も民主主義的な制度で運営されており、ヒエラルキーや独裁者が出てくる余地はありませんでした。

威張って弱い者いじめをする人が現われたら、歩いて立ち去ってしまえばよかったのです。そうすれば、その弱い者いじめをする人は何もできませんでした。土地も、お金もない世界だからです。生き残るのに必要なのは、木登りの技術やガゼルを追い回す技術、それから友達という人脈だけでした。

ところが農耕が始まり、都市や王国が出現すると、民主制を営むのは、ほぼ不可能に近くなりました。非常に限定された地域内でしか民主制を営めなくなったのです。そして18世紀まで大規模な民主制を営む国は現われませんでした。

アテナイやローマといった古代国家の民主主義は、限定されたものでした。アテナイの都市内を見れば、そこには人口の10%だけが参加でき、女性や奴隷が参加できない一種の民主制がありました。けれど、それは都市内に限った話であり、都市外ではアテナイは帝国だったのです。

また、当時は通信や輸送のシステムがなかったので、大規模な民主制を営むことは技術的に不可能でした。ローマ帝国がとるべき政策について、帝国全土で公的に議論するのは無理だったのです。通信の速度があまりにも遅く、民衆の教育水準も高くなかったからです。

19世紀になって、新しいテクノロジーや新しい通信システム、新しい教育制度が出現し、ようやく大規模な民主制を運営できるようになりました。

人間の本性が変わったわけではありません。人間の本性自体は、2万年前の狩猟採集民の集団も、2000年前のアテナイ人やローマ人も、現代人と同じです。変わったのは、テクノロジーであり、テクノロジーを使って人々を政治に参加させる制度です。そうしたものは、21世紀も変わり続けていくのです。

──ルトガーは、いまのユヴァルの話を聞いて、どう考えましたか。狩猟採集民の社会からいまの人類の社会への移行において、通信の手段の発達が大きな役割を果たした、ということには同意するのではないでしょうか。

ルトガー・ブレグマン テクノロジーなしでは民主制の運営が成り立たないということは、言うまでもありません。たった10年前と比べても、インターネットがもたらした新しい可能性がたくさんありますからね。

民主主義に関して私が関心を持っているのは、いわゆる「熟議民主主義」という新しい運動です。これは市民を「4年おきにCNNを見て投票所に行くだけの、政治に無関心な人」ではなく、「政治に関心があり、責任を持つことにやぶさかでない人」と見る考え方です。この考え方をすると、いまとは大きく異なる形で民主主義を実践していけるようになります。

たとえば「市民参加型予算」です。これは世界各地の都市で実践されるようになっていますが、都市の予算の大部分を何に使うのか、誰でも参加できる大きな市民集会で決めるのです。あるいは「くじ引き民主主義」も非常に興味深い案です。

これは古代ギリシャのアテナイで、誰もがくじ引きで政治家になっていた制度に端を発するものですが、これを採り入れれば、いわゆる政治屋の支配から離れ、誰もが知り合いに政治家が2〜3人いる健全な世界へとシフトしていけます。

ただ、こうした提案を実現するには、人間の本性をもっとポジティブなものとして見ていく必要があります。なぜなら「人間の本性は利己的で怠けたがりだ」と考えていたら、こうした提案を実行しようとは思えないからです。

人間を利己的で怠けたがりだと考えているから、他人を利己的で怠けたがりであると決めつけ、そのように決めつけられた人が利己的で怠けたがりとして行動するようなことが起きています。私は、それとは正反対の考え方をするほうが現実的である気がしますし、人の行動もいまより大きく変わっていくと思っています。

私たちは、みんなに好かれたい

──私が望むほど、ふたりの意見が対立しないようです。ルトガーは人間の本性に希望を見いだそうとしているのに対して、ユヴァルのほうは、人類史の観察者であると言っていいのでしょうか。

ハラリ わかりやすく意見を対立させるなら、ここに「人間の本性は邪悪かつ暴力的である」と言う論客がいればいいのですが、私たちのあいだには、人間の本性について大きな見解の違いはありません。

思うに、見解が大きく異なるのは「大規模な社会の性質をどう見るか」というところです。そこに関しては私のほうが悲観的な見方をしています。

私の考えは、たとえひとりひとりの人間が善良だったとしても、大勢の人が集まって大規模な社会ができると、それは必ずしも善良になるとは限らないというものです。念を押しますが、大規模な社会は必ず邪悪になると言っているわけではありませんよ。「数百万人規模の社会ができると、独裁者が必ず出現し、ジェノサイドが起き、奴隷制が始まる」などと言うつもりはありません。ただ、その社会の性質は、善のほうにも悪のほうにも傾きうるのです。

歴史を見ると大半の場合、非常に悪い方向に進んでいます。大規模な社会がそれなりに進歩を続けられているのは、この200年ほどに限られた話なのです。19世紀以前にも、テクノロジーが大幅に進歩して、人類の力が劇的に拡大したこともありましたが、人間ひとり一人の生活条件は改善されませんでした。

長期的に見ても、人間社会が道徳的になったり、倫理的になったりしたわけではありません。歴史のエビデンスを見る限り、楽観的に物事を考えることはできません。

直近の200年では、ところどころ改善が見られるかもしれません。しかし、未来に目を向け、21世紀に人類が持つだろう力の大きさと、人類を待ち受ける課題の大きさを考えたとき、10回中9回は成功できても、1回でも失敗すれば人類の終わりになる可能性があります。ミスが許される余地が、どんどん減っているのです。人類史を振り返ってそんなことを思うと、私が悲観的になるのは事実です。

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Talk by Yuval Noah Harari and Rutger Bregman

全世界がパンデミックに見舞われた2020年。ユヴァル・ノア・ハラリはこの年を「科学が成功を収め、政治が失敗した年」と言うが、この危機によって世界はこれからどう変わっていくのか。英「エコノミスト」誌の編集長ザニー・ミントン・ベドーズが司会を務める、ハラリとルトガー・ブレグマンのオンライン対談第3回は、パンデミックが社会に与える影響、さらに科学の進歩とは裏腹に私たちの生活に蔓延したフェイクニュースについて語る。

──これからもう少し具体的に、今後の世界について話していただこうと思います。「2020年はどんな年だったのか」ということについて伺いましょう。このパンデミックでふたりの世界観は変わりましたか? 22世紀のルトガー・ブレグマンやユヴァル・ノア・ハラリが本を書くとき、このパンデミックの記述は1段落で終わるのでしょうか。それとも数ページが割かれるのでしょうか。私たちが経験したことは、どれくらいの規模の変化をもたらすのでしょう?

ユヴァル・ノア・ハラリ パンデミックがどれくらいの規模の変化をもたらすのか。それはまだわかりません。私たちは変化の真っ只中にいるので、これが「歴史上最大級の事件だ」という気分になりやすいですが、もしかしたら50~60年後には、ほとんど誰もこのパンデミックを覚えていない可能性もあります。

第一次世界大戦を上回る死者数を出した1918年のインフルエンザの流行のことをほとんどの人が長い間、忘れていたのと同じです。私が知るかぎり、1918~19年のインフルエンザの流行に関する有名な芸術作品は一つもありません。すべてはこれからの数週間、数ヵ月間に下される決定で決まっていくのでしょう。

大局的に見れば、2020年は科学が大成功を収め、政治が失敗した一年でした。疫病を理解し、対策を実施していくことに関して、今回は歴史上のどの疫病よりも迅速かつ優秀でした。黒死病のときは誰も何が起きているのか、わかっていませんでしたし、どうすれば感染拡大を食い止められるのかもわかっていませんでした。治療薬やワクチンの開発を考える人は、どこにもいませんでした。

1918~19年のインフルエンザ流行のときも、当時最も優秀だった世界の研究者たちが病原体を突き止めようとしました。しかし、彼らが提案した疫病対策は効果がほとんどなく、ワクチン開発はすべて失敗したのです。

それに比べると、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)では、2週間ほどでウイルスが正確に特定され、感染の有無を調べる検査も開発できました。研究者のあいだでは数ヵ月もしないうちに、どんな対策をとれば感染の連鎖を食い止めるのに最適なのか、というコンセンサスもできあがりました。そして一年もしないうちに、有効なワクチンが複数できました。

科学は大成功だったのです。人類が病原体との闘いでこれほど威力を示したことは、いまだかつてありませんでした。私たちは、ウイルスよりもはるかに強かったのです。

しかし、研究者は政治家ではありません。研究者の仕事は道具を提供することであり、その道具を使うのが政治家の仕事です。そして2020年は政治家が大失敗した年でした。国のレベルでも、グローバルなレベルでも大失敗でした。

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Talk by Yuval Noah Harari and Rutger Bregman

私たちは、気候変動に本気で取り組む覚悟はできているだろうか? ルトガー・ブレグマンは、「気候変動対策を少なく見積もっている」と警鐘を鳴らし、ユヴァル・ノア・ハラリは「強国同士の戦争の復活が、私たちの直面する危機だ」と米中の協力関係を危ぶむ。

英「エコノミスト」誌の編集長ザニー・ミントン・ベドーズが司会を務める、ハラリとルトガー・ブレグマンのオンライン対談第4回は、環境問題からサイバー戦争まで、地政学の観点から深掘りする。

──2020年は「起きる確率が低い事象が起きた年」でした。それに対して気候変動は、何の対策もしなければ不可避だとわかっていることです。私たちは気候変動にどう対処していくのでしょうか。

「パンデミックがきっかけで、気候変動対策にも力を注ごうとする集団的意志が生まれた」という見方をする人もいますが、飛行機が次々に陸を飛び立つ時代が戻ってきたら、みんなそんなことを忘れてしまうのでしょうか。

ユヴァル・ノア・ハラリ そこはもう少し時間が過ぎて、状況がどう変わっていくのかを見なければわかりません。ただ現時点ではほとんどの国で、気候変動対策に力を入れる意欲はさがっているのではないでしょうか。

たしかに飛行機の飛ぶ量が減って、CO2の排出量は少し減ったかもしれません。ですが直近では、今回の危機がもたらした経済への打撃をどうするのかが、多くの国の政治テーマになるはずです。気候変動対策に取り組もうとしている人にとって、これはあまり喜ばしいニュースではありません。

たしかに、今回の危機を「警告」として受け取ることはできます。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の特徴は「起きる確率が低い事象」だったほかに、「致死性が著しく高いウイルスではなかった」ということもありました。

新型コロナは黒死病ではなかったのです。それでも、これだけのことが世界で起きました。では、新型コロナよりもはるかに大きな問題となる気候変動が起きたら、どうなるのでしょうか。

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Talk by Yuval Noah Harari and Rutger Bregman

パンデミック下で多くの人の収入が不安定になったことで、ベーシック・インカム制度に注目が集まった。ルトガー・ブレグマンが「ユニバーサル・ベーシック・インカムの制度は徐々に整っていくのでは」と、楽観的な予測をするのに対し、またしてもユヴァル・ノア・ハラリは「グローバルな格差は拡大する」と悲観的な自論を展開する。

──話題を変えて、ユニバーサル・ベーシック・インカムについて話してもらおうと思います。ベーシック・インカムの構想自体は昔からあるものですが、新型コロナの危機がきっかけで、実現化に向けた政治の動きが出てきています。ベーシック・インカム導入の動きはリアルなものなのでしょうか。

ルトガー・ブレグマン ベーシック・インカムをめぐる議論の状況が大きく変わってきているのを自分の目で見て、ワクワクしています。私がベーシック・インカムについて文章を書いたり、講演をしたりするようになったのは、たった6年か7年前のことです。

もちろんベーシック・インカム自体は非常に古い考え方であり、200年ほどの歴史があるわけですが、6年前の時点では、ほとんどの人に忘れられていました。オランダでベーシック・インカムについて話をしたとき、金融業界で働く人の基本給の話と勘違いされたことが多かったのを思い出します。

いまは、そんなことはなくなりました。世界各国の政策立案者や政治家が、ベーシック・インカムに関心を持ち、地球のあちこちで実験が始まっています。ベーシック・インカム導入の方向へ、世の中は進んでいるのです。

もちろん、すぐにそれが実現するとは思いません。どこかの国が突然、「貧困撲滅のためにユニバーサル・ベーシック・インカムを始めよう」と言い出すのは考えにくい。

段階的な変化に合わせて既存の福祉制度を調整していき、ベーシック・インカムっぽい制度が整う感じになるのではないかと考えています。最初は条件を課しながらベーシック・インカムを給付し、次第に条件付けを減らしていき、最終的には誰でももらえるようにする、という感じです。

この点に関して、私はかなり楽観的です。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で変化が加速したといえます。世界各国の政府が、国民にタダで数百ドル単位のお金を渡したわけですからね。それができたのは、やはり国民に対して、それなりの信用があったということです。仮に「国民にお金を渡したらドラッグやアルコールに使ってしまう」と本気で考えていたら、そんなことはしないわけですから。

世界各国の政府はこの政策を実行し、それがうまく機能したのです。ほとんどの人は、もらったお金を適切に使っていました。お金を配ることの素晴らしい点は、各人が本当に必要としているものを入手できるところです。

──ユヴァルはどう考えていますか。パンデミックがきっかけで「政府が市民の生活に入り込んでくることに慣れてきてしまっている」と指摘していましたが、何か転換のようなものがあったのでしょうか。市民のほうでも、政府や国家が果たすべき役割への期待を変えたということなのでしょうか。

ユヴァル・ノア・ハラリ たしかに、政府がこれまでよりも公共サービスの提供に力を入れるべきだという考え方が広まっており、公共サービスの予算、とりわけ医療の予算を増やすことは前向きに検討されています。ユニバーサル・ベーシック・インカムの検討もその一環です。

ドナルド・トランプやボリス・ジョンソンなど、右派政党や保守政党の政治家もユニバーサル・ベーシック・インカムの実験を実施したのです。時代精神の転換があったといえます。

ただ、ここでもあまり楽観的にはなれません。それは、私がユニバーサル・ベーシック・インカムに関して腑に落ちないところなのですが、ユニバーサル・ベーシック・インカムを語る人は、実際は「ナショナル・ベーシック・インカム」を語っていて、本当の意味での「ユニバーサル・ベーシック・インカム」について話していない、ということです。「カリフォルニアの富豪に税金をかけて、グアテマラの人にベーシック・インカムを給付しよう」と言う人がどこにもいません。

新型コロナは世界にどんな影響を及ぼすのか。危機後はどうなるのか。そういった話では、「U字回復」だとか「V字回復」だとか「K字回復」だとか言う人も多くいました。

K字回復とは、デジタル化革命を推し進めている先進国などの一部の国々が、コロナ危機をきっかけに前よりもはるかに多くの富と権力を手にするのに対し、それ以外の国々ではコロナ危機の悪影響が長引くという見方です。

K字回復で、下方に進む国々では経済が完全に崩壊します。デジタル化や自動化の進展で、従来型の生産ラインを持つ国々や観光産業に依存していた国々は、破綻しかねません。グローバルな格差拡大が加速します。19世紀に産業革命がもたらした不平等も解消するのが大変でしたが、それよりもはるかに解消しがたい不平等が出てくる可能性があります。

アメリカや中国といった国々が、以前にも増して富と力を持って世界経済を支配し、国際政治の未来を決めていきます。それ以外の国々は経済が破綻し、米中などの新型「帝国」に支配される新型「植民地」になっていきます。

ユニバーサル・ベーシック・インカムについて話を戻すと、欧米では確実にその種のものが増えていくと予想できます。しかし、大きな問題はブラジル、南アフリカ、インドネシアではどうなるのか、というところです。

国家の崩壊

──いまの話は非常に陰鬱な見方ですね。グローバルな連帯は強まるのでしょうか。それとも弱まるのでしょうか。今回のパンデミックで衝撃的だったのは、どの対策も、きわめてナショナルなものだったことです。それぞれの国が、自国のことだけを考えて動いていました。ポスト・パンデミックの世界では、グローバルな連帯は以前より弱まると考えたほうがいいのでしょうか。

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Talk by Yuval Noah Harari and Rutger Bregman

人類の過去から遡り、コロナ禍の現在、そして私たちが直面する危機について意見を交わしてきたユヴァル・ノア・ハラリとルトガー・ブレグマン。これからパンデミック後の世界で、私たちを待ち受けている緊急の課題とは何か。英「エコノミスト」誌の編集長ザニー・ミントン・ベドーズが司会を務めるオンライン対談最終回。

──最後に2つ質問です。今後数年間で、最大の地政学的リスクは何でしょう。そして、そのリスクの引き金となるものは何なのでしょう。テクノロジー? イデオロギー? それとも宗教や貧富の対立、国家への不信でしょうか?

ルトガー・ブレグマン 私が最も危惧するのは、私たち人類が環境に対してやっていることです。テクノロジーの脅威については、よくわからないと認めたほうがいいと思っています。

「ケンブリッジ・アナリティカ」社のニュースが報じられたとき、アルゴリズムの威力について盛んに論じられましたが、実際に調べてみると、そこまでの威力があったとは思えません。オンライン広告と同じです。

フェイスブックは、オンライン広告を売るために「自分たちは人々の行動に影響力を与えるのが驚くほど上手だ」と、思われたいわけです。マーケティングを仕事にする人は、誰でもそういうことしか言いません。「私が最も優秀です。人にモノを買わせる影響力なら私が一番です」と言って自分を売り込むのです。しかし、経済学者や心理学者が示すエビデンスを見る限り、その効果はきわめて限定的というか極小です。

一方、気候変動のほうは、その影響が甚大なのは明らかです。これまでと同じスタイルの生活はもう続けられません。私たちが気候変動に向けた転換ができるのかどうかは不明です。しかし、やらなければならないことは、科学的にはっきりしています。

食事の仕方、旅行の仕方、居住の仕方、建物の建て方など、私たちの暮らしを何から何まで変えなければなりません。いまはすべてに化石燃料が使われていますが、それはもう続けられません。そんなことは30年も前から知っていたことですし、もっと知識が必要ではないのです。これが、私の最大の不安です。

イスラエルが急に「強く」なった理由

オンライン対談の様子。ユヴァル・ノア・ハラリ

ユヴァル・ノア・ハラリ 私はテクノロジーに対する不安のほうが、気候変動よりもはるかに大きいです。なぜなら、テクノロジーさえ上手く管理できれば、それが気候変動の問題も解決してくれるからです。逆に、テクノロジーの管理に失敗すると、気候変動に対処するのは、ますます難しくなります。

気候変動には、まだ10年か20年、あるいは30年ほどの時間的猶予があります。それに対し、テクノロジーの変化はもっと速いのです。私は現時点でも、テクノロジーができることに不安を覚えています。

私の祖国イスラエルの例を話しましょう。なぜイスラエルは近年、地政学的に強い立場にあるのでしょうか。イスラエルとUAEの国交正常化が進みましたし、近年はイスラエル・パレスチナ紛争もあまり報じられていません。

PROFILE

ユヴァル・ノア・ハラリ
イスラエルの歴史家で、ヘブライ大学歴史学部の終身雇用教授。人類の歴史をマクロ的な視点で読み解いた世界的ベストセラー『サピエンス全史』などで知られる。近著に『21 Lessons:21世紀の人類のための21の思考』(ともに河出書房新社)がある。
ルトガー・ブレグマン
オランダ出身の歴史家、ジャーナリスト。ユトレヒト大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で歴史学を学ぶ。広告収入に一切頼らないジャーナリストプラットフォーム「デ・コレスポンデント(De Correspondent)」の創立メンバーでもある。

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