第10回 ユングのとらえた自我と無意識の相補的関係

一回目 2023/12/12
二回目 2024/01/20

フロイトの精神分析が自我の発達を重視するのに対してユング心理学では、自我と無意識の間の相互作用やその間に生じる補償といったダイナミックな現象に着目している。フロイトの精神分析においては、無意識とは、意識から抑圧された個人的無意識をさすが、ユング心理学では時代や文化を越えて多くの人に共有される普遍的な無意識に焦点があてられる。

【キーワード】
自我、意識、個人的無意識、集合的無意識、補償機能


1.ユングの心理学的研究の出発点

オイゲン・ブロイラー  1857年、チューリッヒ近くのツォリコン生まれ。父親は裕福な農夫であった。ブロイラーはチューリッヒで医学を学んだ後、更にロンドンパリミュンヘンでも学んだ。1927年からチューリッヒ大学で精神医学の教授を務めた。エミール・クレペリンによって早発性痴呆という病名に分類され、治癒の希望を持てなかった人々に、新たな分類で希望を与え、また実際に治療に成功した例を示した。

ピエール・ジャネ(Pierre Janet、1859年5月30日 – 1947年2月24日)はフランス心理学者。1898年からソルボンヌ大学講師、1902年からコレージュ・ド・フランス教授を務めた。1859年にパリリュクサンブール宮殿公園近くのマダーム街46に生まれる。ポール・ジャネの甥であり、弟にジュール・ジャネがいる。サント・バルブ・デ・シャン学院で初等教育を受ける。15歳でうつ病となる。その後うつ病と闘病となる。1878年バカロレア(大学入学資格試験)に合格、1880年に文学士。1881年、科学系の大学入学資格者の資格を得て1882年に哲学教授資格試験に合格(2位)、ジャン=マルタン・シャルコーの下で催眠療法の研究に従事する。解離について研究。1887年心的外傷の意味で traumaトラウマ)という術語を造語しトラウマ記憶の感覚、知覚、感情、再上演行動(reenactment)なども研究。ジークムント・フロイトより先に無意識を発見したとも言われる。またカール・グスタフ・ユングにも講義し影響を与えたとされる。1947年、パリで死去。

憑依は、意識水準が低下し、意識の主体である自我が乗っ取られる心理的現象である。

カタレプシー(catalepsy)とは、受動的にとらされた姿勢を保ち続け、自分の意思で変えようとしない状態である。強硬症[1](強梗症)、蝋屈症とも呼ばれる。緊張病症候群の一つで、意欲障害に基づくもの[2]

自動症(本人の自覚がないまま生じる無意識的な動作や行動)

2.ユングは自我をどのようにとらえていたのか?

「さまざまな観念が共通の感情のトーンを帯びて結びついて一個の複合体になったもの」

「自我はあらゆる身体的一般感覚(身体内部の刺激から起こる感覚)がかたく結びついた結合体の心理的表現である。それゆえ、自分自身の人格は、いちばん強固で、強烈なコンプレックスである。」

自我-コンプレックス

「わたし」という言葉で通常指し示されているもので、心理学的には「わたし」が同一化している機能コンプレックスのこと。 当人の意識の中心となる存在だが、自我の全てが必ずしも意識的であるとは限らない。 むしろ「わたし」自身のあり方は、往々にして無意識的である。 自我は心の中に数多くあるコンプレックスの一つにすぎず、決して心全体の中心的存在ではない。

ユング心理学基本用語集(2019.08) – ユング心理学研究会

二次的コンプレックス

「アイオーン」—-グノーシス主技とは何か

3.意識に対する無意識の補償性について

「無意識は、・・・ 意識の一面的態度によって活性化される。人生がどの方面であれ一面的な方向に向かおうとすると、無意識には個人の意識的実体においては何に役割も果たさないものが蓄積されていく。それゆえに、私は抑圧理論を補償するものとして、無意識の補償理論を提唱したい」

4.意識の外側に広がる心の領域:無意識

「変容の象徴」

意識、個人的無意識、集合的無意識

集合的無意識(しゅうごうてきむいしき、ドイツ語:kollektives Unbewusstes、英語:collective unconscious)は、カール・グスタフ・ユングが提唱した分析心理学における中心概念であり、人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域である。普遍的無意識(ふへんてきむいしき)とも呼ぶ。個人的無意識の対語としてあり、ユングはジークムント・フロイト精神分析学では説明の付かない深層心理の力動を説明するため、この無意識領域を提唱した。

「個人的無意識とは、まず第一にその強さを失ったり、忘れ去られたりしたか、あるいは意識から撤退したことによって無意識化されたすべての内容から成り、そのて第二番目には、意識に届くほどの強さをもたないままともかくこころに組み込まれたいくつかの感覚印象から成っている。これに対して集合的無意識とは、個人的なものではなく、すべての人間にとって、そしておそらくすべての動物にとっても共通するようなものであり、先祖から受け継いだ表象可能性の遺産として、個人のこころの真の基礎となるものである。」

ユングの言う、「おそらくすべての動物にとっても共通するようなもの」とはアリストテレスがいう「植物にも動物にも心は宿っている。すべての生物に宿る心はまったく同じと考えではなく、心の諸能力には階層性がある。」といっているものなのか。

第02回 アリストテレス:『心とは何か』 – LIFE-SHIFT (lifeshift.site)

 

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