日本人がさほど意識していない「イキガイ」が、なぜ海外で大ウケしているのか

Photo: Grant Faint / Getty Images

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「生きがい」という日本生まれのコンセプトが世界に広まって久しい。だが、この単語は本当のところ何を意味しているのか。英誌が解説する。

ノーム・タムは人生のほとんどを、企業で出世の階段を上ることに費やしてきた。40代の初めには、国際的な海運会社の重役として高給を稼いでいた。だがタムは、どうしようもない空しさを感じていた。彼は「意義」とか「目標」といった言葉をグーグル検索するようになった。やがてタムは、4つの円から成るベン図に出会う。各円は次のように分類されていた

──

  • 「あなたの好きなこと」
    「あなたの得意なこと」
    「世界が求めていること」
    「あなたがお金をもらえること」。

タムの目は、すべての円の共通部分に書かれた奇妙な外国語に釘付けになった。それは「生きがい」という言葉だった。

カナダ在住のタムは、この日本語の単語を見つけた多くの西洋人の一人だ。「生きがい」とは、ざっくりと訳せば「存在する理由」のことである。イギリスの企業家マーク・ウィンが2014年に編み出した先述の図は、ネット上、とくにビジネス特化型SNS「リンクトイン」で急速に拡散された。

2人のスペイン人作家による自己啓発本『外国人が見つけた長寿ニッポン幸せの秘密』が63言語に翻訳され、300万部以上を売り上げたことも、このコンセプトの国際化に貢献した。オランダのキャリアコーチ、ポール・ドンカースはこう語る。
「東洋やアジアのアプローチは、ひらめきを与えてくれるのです」

ドンカースは、(彼自身が)ライセンスを与えた100人以上の「生きがいコーチ」を世界中に派遣し、「人々が意義のあるキャリアを見つける手助け」をしている。いまや「生きがい」と名の付くダイエットピルや、暗号資産会社まで存在する。

タムもまた、このコンセプトにインスピレーションを受けて「生きがいコーチング」の会社を起業した。

「あのベン図を初めて見たとき、 私は恐ろしくなりました……。自分が『生きがい』を生きていないと知っていたからです」とタムは言う。それ以来、あの4つの円が「まるで空港の滑走路灯のように」彼を導いてきた。自身のワークショップで、タムは企業のリーダーや重役たちがこの図の「プロンプトキー」を埋めるのを手伝っている。彼は、自分のポテンシャルを「解放」する一助として、瞑想するようアドバイスする。

だが日本では、この概念について深く考えている人はほとんどいない。TEDトークでこのコンセプトに関するいくつかのトークがおこなわれると、困惑した日本人視聴者によるこんなツイートがバズった──「『生きがい』っていう古代の日本哲学があるらしいね……。何それ?」。

日本語のネイティブ・スピーカーは、めったにこの単語を使わない。使うとしたら、それは家族と一緒に過ごすとか、趣味を楽しむといった「ささやかな喜び」の文脈においてであると文教大学の心理学者、神田信彦は指摘する。

「もし私が講義をこっそり抜け出してビールを一杯やることにしたなら、それは私の『生きがい』と言えます」

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「日本」にも生きがいが必要

このように「生きがい」は、ありふれた概念に古代の知恵がまとうオーラを(そしてエキゾシズムを)加えるべく再利用された日本語の語彙の、長いリストに加わる。

「家計簿」は「日本式節約術」として宣伝されている(実際には、それは会計状態を追うために帳簿を付けることだ)。「森林浴」すなわち日本流「森林沐浴」は、実は自然のなかで素敵な散歩をすることにすぎない。「侘び寂び」は、ミニマリストな装飾と天然素材を含むインテリアデザインの風潮を表すようになっているが、日本では不完全さを称える美学を指している(「居心地の良さ」のようなものを意味するデンマークの言葉「ヒュッゲ」も、同様の運命に見舞われてきた)。

だがこうした解釈の違いは、ときの流れにも負うところがある。1966年に精神科医の神谷美恵子が『生きがいについて』という本を発表した。本書は日本南西の小さな島、長島の療養施設でハンセン病患者を治療してきた著者の経験に基づく思慮に満ちた回顧録である。

「楽しみなものがある限り、個人は困難を乗り越えられる」という彼女のメッセージは、生活水準が急激に上昇し、企業で重労働が求められた時代に共振していた。

「生きがい」の持つ国際的アピール力に嬉々として投資している日本の専門家たちもいる。『IKIGAI: 日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣』において、脳科学者の茂木健一郎は、生きがいは「日本文化に深く浸透している」と主張している。彼は外国人にも馴染みが深い人物、たとえば寿司職人の小野二郎や広く愛されている映画監督、宮崎駿の例を通して持論を証拠立てている。

ほかの専門家たちは、日本国内でこのコンセプトが復活するのを期待している。「健康な長寿の人々の国」という評判にもかかわらず、日本はユートピアにはほど遠い。富裕国から成る「G7」のなかで、日本の自殺率は最も高い。過酷な企業文化は数々の「過労死」の事例に繋がってきた。政府はより健康的な働き方を法制化しようと試みてきたが、効果は限定的だ。

おそらく日本という国もまた、もう少々「生きがい」がほしいところなのだろう。

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