懸命に働く人に教えたい「社畜化」せず生き抜く術 経済評論家・山崎元が指南する「これからの働き方」
株式投資の正確な意味を知る
株式に投資することの意味をあらためて考えてみよう。
・株式投資はなぜ儲かると期待できるのか?
・株式投資で儲けるためには経済成長が必要なのか?
・株式投資の儲けは誰が供給してくれるのか?
・株式投資は必ず儲かるものなのか?
・株式投資家は今後何に注意するといいのか?
・株式と上手く関わって働くための目の付けどころはどこか?
といったことについて深く理解しておくことは世の中の理解としても有益だ。株式投資の目的を一言にまとめると、「リスクプレミアムのコレクション」だ。意味を理解して覚えておけ。
まず、「会社」とは何か。会社とは「人がお互いを利用するために作るもの」だという定義が父(山崎元)は気に入っている。
では、経済とは何かというと、主に生産と消費だが、「生産」は、「資本」と「労働」によって行われている。生産は必ずしも会社だけが行うものではないが、以下、会社が行う生産を考える。
資本とは、ビジネスの元手となる財産の総称だが、工場などの生産設備だったり、原材料や賃金を支払うための原資だったり、さまざまな形で存在している(図1)。
●図1
※外部配信先では図を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください
資本とは雑多な財産に貼られたラベルに過ぎない
生産は資本と労働によって行われる。一般論として反対はなさそうだ。では、「資本」の具体的な中身は何なのか。
商品を生産する工場があって機械を含む設備があればこれが資本の一部だというのは納得しやすい。商品の原材料も資本の一部だし、生産に必要なノウハウの特許、本社のビルなども資本の一部だ。
また、現金や預金もあるだろう。これは、原材料を購入したり、賃金を支払ったりするために使われるかもしれないし、生産設備に投資されるかもしれない。しかし、引き出されて株主が消費してしまうかもしれない。
「資本」とは会社の雑多な財産の集合体に貼られた単なるラベルのようなものだ(図2)。
●図2
「資本」自体に固有の意思や運動法則がある訳ではない。右も左も、経済学の多くの議論は、資本という言葉を曖昧に使って現実の説明に失敗しているというのが父の意見だ。
資本の持ち主である資本家から見て、資本となっているものの原資を誰が出しているかによって、銀行や支払いを猶予してくれる売り手などからの「借り入れ」である他人資本と、株式を通じて所有権のある自己資本の2種類がある。
会社の利益はどこから発生するのだろうか。「資本」という雑多な財産が入ったプールの周辺にいる利害関係者を見てみよう。
結果的に利益が出るとすれば、資本か労働かいずれかに起因するはずだが、この際「資本を利用する労働」に注目しよう。
ある典型的な労働者が、一日に会社にとって平均的には2万円の利益に相当する生産に関わっているとしよう。一方、この労働者に対して会社が払うべき賃金は1万円だとする。資本には1万円相当の利益が貯まる。
このようにして貯まった利益の一部は、銀行からの借り入れに対する利息や返済に回されるだろうが、その残りは株式を通じて資本家のものになる。
資本設備を増やしながら、このような条件での労働者の雇用を拡大することで、会社は規模を大きくして、利益を拡大することができる。
なお、新製品の発明や生産方法の改善のような大きなものから、商品の売り方のような小さなものまで含めた技術進歩も企業の利益の源泉になっていて、比較的頻繁に発生しているが、この利益も資本のものになりやすい。
リスクを取りたくない労働者が安い賃金で我慢する
先の、2万円の生産に貢献して1万円しかもらわない労働者が、不満で不本意なのかというと、そうでもない。彼(彼女)は、たとえ一日に1万円でも、安定した雇用と安定した賃金を求めているからだ。
安定(=リスクを取らないこと)と引き換えに、そこそこの賃金で満足する。合意の上の契約だ。彼らこそが、世界の養分であり経済の利益の源なのだ。
世の中は、リスクを取りたくない人が、リスクを取ってもいいと思う人に利益を提供するようにできている。
労働者は、もう少し高い賃金を求めて雇用者側と交渉するかもしれない。しかし、この交渉がうまくいくとは限らない。
この労働者と同じような貢献をすることができる「取り替え可能な労働者」が他にもたくさんいて、彼らが一日1万円でも雇ってほしいと思っているなら、雇う側には取り替え可能な労働者を選ぶ選択肢がある。
会社側は、なるべくこのような状況が可能になるように、社員の仕事の設計を行うだろう。「ずるい!」と言いたいかもしれないが、これは普通の経営努力だ。
一方、働く側から見ると、自分自身が「他人と取り替え可能な労働者」にならないような工夫が必要だということだ。
労働者に限らず、工夫のない人は損をする。これは、責任論以前の経済の現実だ。他人と同じであることを恐れよ。無難を疑え。
資本のプールに貯まった利益を取り合うにあたって、銀行など資金を提供する側の立場が強ければ債権者の取り分が多いだろうし、銀行同士が競合するなどで立場が弱い場合は、株主側、つまり資本家側の立場が強くなるだろう。力関係は、状況によって変化する。
なお、安全を指向する債券の保有者や、絶対に回収できるような条件の下に低利の融資を行う銀行なども経済全体から見ると「リスクを取りたくない参加者」だ。
彼らが諦めたリターンを、リスクを取ってもいいと思って資本を提供している資本家が手にする。
経済は「適度なリスクを取る者」にとって有利にできている。大事なことなので覚えておけ。
資本家をカモにする「労働者タイプB」の出現
先の図2には、単に「労働者」ではなく「労働者タイプA」という表記があった。実は、まだ少数ながら「労働者タイプB」が存在するのだ(図3)。
●図3
彼らは「経営ノウハウ」、「複雑な技術」、「財務ノウハウ」など、資本家が理解できない「Black Box」を会社の中に作って自らの立場を強くして、主に「株式性のリターン」の形で、本来なら資本家に帰属したかもしれない利益を巻き上げていく。
高額な報酬を取るアメリカ企業の経営者などがその典型だ。現代は、資本家も油断できない時代なのだ。
労働者タイプAには、①他人と取り替え可能な同じような人材になる、②会社が用意した働き方だけで満足する、③雇用や賃金減少のリスクを極端に嫌う、などの特色がある。
こうした人材になると、会社に対する立場と交渉力が弱くなり、会社の言いなりに能力の割に低賃金で働かざるを得ない。実質的に「使い捨て」されることも珍しくない。
正社員としてそこそこの会社に入社することができると、非正規労働者よりも給料が少しいいかもしれないし、クビにはなりにくいが、その立場に安住すると、一生を通じて会社の奴隷のような存在になる可能性が大きい。いわゆる「社畜」だ。
これを回避するためには、他人とちがう能力を持ってそれを仕事に使わせてもらうようにアピールしたり、副業ができるようになったり、転職のリスクを取るようになったり、あるいは、経済的な備えを持って会社と強く交渉できる立場を確保したり、といった工夫と努力が必要だ。
「他人と同じ」を求めるだけでは幸せにはなれない。不利な方への「重力」が働く。これもよく覚えておけ。
「労働者タイプB」をほどほどに目指せ
プロの労働者タイプBは、個々にちがっていて個性的だ。だいたいは頭脳を武器としている。一方、労働者タイプAは個々人に個性がなく似た人たちで、相互に取り替え可能で、安定を求めて競争している。
さて、現在、労働者タイプB的な社員が有利でかつ徐々に存在感を持ち始めていることに、世間はまだ十分に気づいていない。
株式性の報酬を求めて労働者タイプBに近づく働き方と、単にリスクを取らない労働者タイプAで上手くやっていこうとする働き方との有利不利の「ギャップ」は大きい。この点に気づいてほしいという意図が、君に書いた手紙の「リスクに対する働きかけ方が逆方向に変わった」という文面に込められている。
資本家・投資家から見て、労働者タイプBは資本の価値を有利に持ち出そうとする油断のならない、少々悪い奴だ。資本家も油断できない。
株主から巨額の報酬をむしり取るアメリカ企業の強欲経営者の弊害はそろそろ世間で目立ち始めているが、あそこまで「悪くなれ」とは言わない。
だが、ほどほどのレベルで、資本家の隙を突くことは必ずしも悪いことではない。
資本家の側でも、自分が理解できない「Black Box」を放置したまま、お金と地位と株式の力だけで他人を思うままにコントロールできると思うべきではない。それは甘い。
資本家でも、労働者でも、どの立場でも、工夫のない人間が敗れるように経済はできている。
さて、息子よ。君は、どのくらい「悪い奴」になって世渡りしようとするのだろうか。ちょっと楽しみだな。