ストックホルム症候群

ストックホルム‐しょうこうぐん〔‐シヤウコウグン〕【ストックホルム症候群】

誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長い時間を共にすることにより、犯人に過度の連帯感や好意的な感情を抱く現象。ストックホルムシンドローム。[補説]1973年にストックホルムで起きた人質立てこもり事件で、人質が犯人に協力する行動を取ったことから付いた名称。

 

「ストックホルム症候群」とは、多くのメディアで報道されたわりに、専門的な研究はほとんどなされていない。また、「診断」するための症候について明確な定義も無いのだ。

一例を挙げれば、精神医学の診断基準として全世界で用いられている『DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル 第5版 )』やWHOが公表している統計資料『ICD-10(国際疾病分類 第10版)』に「ストックホルム症候群」という項はない。

 

一部の専門家によれば「単なるPTSD」あるいは「認知的不協和(注1)」と片付けられ、センセーショナルな事件の経緯と結びついたせいで言葉だけがひとり歩きしているようだ。要は事件そのものは事実なものの、その説明や解釈が「都市伝説」となってしまったようなものだ。

注1/矛盾した考えや感情を解消するため、無理やり自分の中で辻褄を合わせようとする心の動き。わかりやすい例がイソップ童話の「狐とぶどう」。

■発端となった「ノルマルム広場強盗事件」のカギを握る男

実はいま、このきっかけとなったストックホルムでの事件と、その背景を描いたドラマ『クラーク・オロフソン』(Netflix)が公開され、話題を呼んでいる。

「ストックホルム症候群」の語源になったのは、1973年にスウェーデンのストックホルムで起こった「ノルマルム広場強盗事件」。この事件に語る前に、ドラマでは主人公として描かれた登場人物について説明する必要がある。

1947年2月1日生まれのクラーク・オロフソン(Clark Olofsson)は、アルコール中毒の父親が原因で里親に出され、いくつかの罪で16歳で少年院に。脱走して2人の警官を襲撃し、1966年に逮捕。脱獄し、仲間と自転車店で強盗し、逮捕されて8年の求刑。しかし1969年に再度脱獄し、カナリア諸島に逃亡。ドイツ入国時に逮捕され、刑務所に再収監されたが、再び脱走。ヨーテボリ(イェーテボリ)で銀行強盗を働いたのち、1973年2月に逮捕された。

クラークはこの時点で「スウェーデン史上最も有名な犯罪者」となっていた。クラークは非常に女性にモテる「イケメン」であり、その美しいルックスはマグショットからも確認できる。

クラーク・オロフソンのマグショット
※画像は「ELLE」スウェーデン版より

■「ノルマルム広場強盗事件」の概要

事件の概要はこうだ。1973年8月23日、刑務所から一時帰宅中だったヤン=エリック・オルソン(Jan-Erik Olsson、1941年生まれ)が、ノルマル広場に面するクレディトバンケン銀行に押し入り、4人の人質を取って立て籠った。

エリックは金と銃2丁、防弾チョッキ、ヘルメット、逃走用のフォードマスタングを用意することと、友人のクラークを連れてくることを要求。政府は警察の交渉担当者との連絡人として、クラークを連れてくることを許可した。

この事件はテレビで生放送されたスウェーデン初の事件となり、ことの顛末(てんまつ)をめぐって大きな注目を集めた。

「ノルマルム広場強盗事件」の映像
※YouTubeチャンネル「AP Archive 」より

■不可解な人質の言動を説明するために……

人質にとられた女性行員のクリスティン・エンマーク(Kristin Enmark)は電話で、「クラークももう1人の男性もちっとも怖くない。怖いのは警察です。(犯人たちを)私は信頼しています。信じないかもしれませんが、ここでは大変うまくやっています」と語った。

クリスティン・エンマーク
※画像は「nyheter24.se」より

この行動を説明する言葉として犯罪学者、精神科医のニルス・ベジェロ(Nils Johan Artur Bejerot)によって生み出されたのが「ストックホルム症候群」という言葉なのだ。

主犯はエリックであり、クラークは凶悪な犯罪者ではあるが、この事件に関しては「警察の協力者」という立場。そして稀代のイケメン。「特殊な状況下で人質が犯人に好意を抱いた」という単純な説明とは、少々趣が異なる。警察のカメラにより、金庫室の中でクラークがロバータ・フラックの名曲「やさしく歌って​​」を歌ったことが確認されているが、クラークはのちに「エリックに協力したのではなく、状況を落ち着かせて、人質を救おうとしただけだ」と主張した。

事件発生から5日後、8月28日に警察は催涙ガスを使用し、エリックとクラークは投降。エリックは10年の懲役を宣告されたが、クラークは最終的に無罪になった


「ストックホルム症候群」とは、多くのメディアで報道されたわりに、専門的な研究はほとんどなされていない。また、「診断」するための症候について明確な定義も無いのだ。

いわば、名前だけ広まったが中身はモヤモヤと不確実な都市伝説みたいなもの。では、なぜ単なる強盗事件が世界的に知られる「ストックホルム症候群」なる言葉を生んだのか? それは犯人たちのキャラクターにあったという。

■イケメン過ぎる強盗犯がこの言葉を生んだ

前編で紹介したように「ストックホルム症候群」という言葉が生まれたきっかけは「ノルマルム広場強盗事件」。人質の女性行員が「強盗犯は(私たちを人質にしたけれど)いい人たち」と言い出した奇妙な強盗事件だ。そして、こんな奇妙な事態が生まれたのは主犯のヤン=エリック・オルソン、警察の協力者となったクラーク・オロフソンのキャラクターの影響によるところが大きい。

希代の犯罪者で、魅力的なイケメンのクラークは、1967年にマディオリー・ブリトマー(Madiorie Britmer)と刑務所の中で婚約。1976年に、刑務所を脱走し逃亡生活を送っている間に、ドイツの電車で出会った当時19歳でベルギー出身のマライケ(Marijke)と、のちに獄中で結婚。2人はベルギーの田園地帯にある大きな家に住んでいた時期もあった。

マディオリー・ブリトマーとクラーク・オルフソン
※画像は「ELLE」スウェーデン版より

 

マライケとクラーク・オルフソン
※画像は「thecinemaholic.com」より

マライケとは1999年に離婚。クラークにはマライケとの結婚前に生まれた2人の娘、前マライケとの間に3人の息子、現在の婚約者との間に1人の息子がいる。また、主犯のエリックにも、事件後、彼を魅力的だと感じた女性から多くの手紙が届いたという。

■事件後も懲りない犯人2人。特にクラークが……

エリックは1980年に出所し社会復帰したが、経済犯罪の疑いでスウェーデン当局から追われて逃亡し、タイで15年間居住。2006年に自ら出頭したが、その時には嫌疑は晴れていた。

一方のクラークは1975年3月20日に刑務所から脱走し、デンマークのコペンハーゲンで銀行強盗を働いた。その金で世界中を旅行し、スウェーデンに戻って銀行強盗を働いて逮捕。懲役8年を求刑されたが、3週間後に脱走。1976年に逮捕され、獄中で結婚した。

ここまででお腹いっぱいだが、クラークの犯罪歴はこれで終わらない。

クラーク・オルフソンのインタビュー映像
※YouTubeチャンネル「Gistad」より

■75歳のいまも“イケ爺”なクラーク

1983年に釈放されると、1984年にベルギーで25キロの覚醒剤を密輸した疑いで逮捕。1991年に釈放され、1998年に麻薬密輸の責任者としてカナリア諸島のテネリフェ島で逮捕。1999年に、49キロのアンフェタミンをデンマークに密輸した疑いで14年の禁錮刑を宣告された。

2005年に仮釈放されると、2008年に逮捕され、オランダから100キロのアンフェタミンと76キロの大麻を密輸しようとした罪で起訴された。クラークは2009年7月に14年の禁固刑とオランダからの終身国外追放の判決が下された。

2018年7月30日、クラークは釈放。75歳となった現在は故郷のスウェーデンに戻り一般市民として暮らしているが、地元テレビが放送した動画を見ると、多少おなかも出て髪もやや薄くなったものの、なかなかの“イケ爺”ぶり。

たまに事件のあったノルマルム広場でガイド(!)をしているようだが、立ち居振る舞いや語り口も魅力的で「あ~、これなら人質がイチコロになっても……」と思わせる印象も健在だ。

クラーク・オルフソンの現在の姿
※YouTubeチャンネル「Dokumentären Gewe」より

クラークはスウェーデン史上最も有名な犯罪者であることは疑いのない事実。しかし、日本人が知っている「ストックホルム症候群」の“人質になった被害者が、犯人に好意的な感情を抱く現象”というイメージとは違い、ドラマで描かれたようにクラークの個人的な魅力によるところが大きかったのかもしれない。

「クラーク・オルフソン」(Netflix)
https://www.netflix.com/title/81113742

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