ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門
この本は、後期ウィトゲンシュタインの主著『哲学探究』の解説書です。この一冊を読めば「言語ゲーム」「家族的類似」「私的言語」について、けっこう行き届いた理解が得られると思います。著者の中村氏によると、この本が扱っているのは『哲学探究』全体の約6.2%にすぎないそうです。『哲学探究』の世界は広大ですね。
第一章のテーマは「語の意味とは何か」。『哲学探究』第1~6節が解読されます。「語の意味は、その語が指示する対象である」「語と対象は一対一で対応している」というよくある言語観の誤りが指摘されています。ウィトゲンシュタインはよくある言語観から出発しますが、彼独自の言語論へと徐々に話をシフトしていきます。
「人々があるものの名を呼ぶ」という行為のうちには、呼ぶ人間の肉体が、その口が、声帯が、物質としての声が、空気の振動が関わっている。れら、もろもろの偶然的なものによる状況が具体的に存在しているだkeだ。そしてその状況に巻き込まれている人が、「その声に応じて身体をそのものの方へ動かす」のであって、話し手から送られた純粋な<意味>が、聞き手の精神にじかに伝わるわkeではない。われわれに認識できるのは、ある身体と別の身体の動きが、音の介在によって呼応しているということだke。このように、言語的ではない多くの要素によって、言語GAMEは進行していく。
このような行為は、自由エネルギー原理の「世界から受取る信号を自分が予測する信号に適合するように自分の身体を動かすこと。」なのだろうか。
第二章のテーマは「言語ゲーム」。『哲学探究』第7~14,18~20,23,25,27,29~32節が解読されます。ウィトゲンシュタインは「言語と、それが織りあわされたさまざまな活動との全体」をも言語ゲームと呼んでいますから、言語ゲームと呼ばれるものの領域は非常に幅広いです。日本語で「ゲーム」と呼ばれるものとドイツ語でSpielと呼ばれるもののニュアンスの違いの話が勉強になりました。
第三章のテーマは「語の意味とは、その使用である」。『哲学探究』第38,40,43,65~67,69~71節が解読されます。ウィトゲンシュタインは語の実際的な使われ方を観察するよう勧めます。「言語」にしろ「ゲーム」にしろ、全てに共通する形式や性質は存在せず、それぞれにどこかしら似たようなところがあるという「家族的類似」が見られます。
第四章のテーマは「私的言語」。『哲学探究』第243~247,249~252,257,258節が解読されます。この章だけ扱う節が妙に飛んでいますが、これは中村氏の趣味によるところが大きいそうです(笑)。「つまり、私的なものがそれぞれ異なっていたとしても、それどころか、私的な感覚を実は誰一人もっていなかったとしても、われわれの普段のことばのやりとりには何の影響も与えない」という文言が怖かったです。
章と章の間には、ウィトゲンシュタインの人柄が窺い知れるコラムが挿入されています。『哲学探究』の多くの節は疑問文や否定文で終わるから、問題が解決しているのかどうかがわかりにくい…というお話が参考になりました。疑問文や否定文は肯定文と比べて積極的な主張が薄いという説は、『哲学探究』を読む際には捨て去るべきかと思いました。