やる気の有るものは去れ!:タモリ
人生を毎日、楽しんで生きよう。仕事はそこそこに幸せに生きよう。
やる気のあるやつは、物事の中心しか見ない。しかし、面白いことは、ものごとの周辺にある。
ちょっと外れたり
ちょっとずれたり
それに気づかないですよ、やる気のあるやつは、視野が狭くなる。
仕事自体で言うと、タモリさんは好きなことをやられる方ですか?
そういうことはあまり考えないほうがいいですか?
若い時って選んでいられないですね。
色んな来る仕事を全部やっぱり一応やっていくってことも大切なことじゃないですか。
やりたいことが見つからないってことは、当たり前じゃないですかね。
やってみてでしょ。そのうち段々とわかってくる。
タモリ 「仕事は適当に、遊びは真剣に」
「過労死」は欧米にもあるのに、それを表す言葉がない理由…英国の人類学者が解説
ジェイムス・スーズマン氏インタビュー
AI(人工知能)時代になってまで、私たちはなぜ「働くこと」にこだわるのか?「働かない」ことは悪なのか? さまざまな学問分野の最新の知見を基に、「人と仕事」の関係を解き明かした話題作『働き方全史「働きすぎる種」ホモ・サピエンスの誕生』(東洋経済新報社)の著者、英国の人類学者ジェイムス・スーズマン氏に話を聞いた。【前後編の後編】(国際ジャーナリスト 大野和基)
>>前編『「9~17時出社はクレイジー」か?米国のZ世代女性の訴えを人類学者がマジメに考えた』から読む
「過労死」は欧米にもある!イーロン・マスクは働きすぎで薬物依存?
――『働き方全史』では日本の過労死についても大きく取り上げていますが、過労死のような現象は日本に限ったことでしょうか? 実は欧米社会でもありますか?
対して西洋文化では、個人に重点を置きます。ですから、個人が働きすぎや他の理由で自殺した場合、それは社会病理というよりも個人の責任にされます。日本で過労死といわれるような死が英国で起きると、「あー、その人はうつになっていただけだ」と一蹴されて、そのうつの原因を聞くことはしません。これは一種のカルチュラルギャップです。
英国にも仕事が原因で自殺する人もいます。昨年、学校の女性校長が自殺したというケースはよく知られています。学校を3段階評価する政府審査で〈落第〉と評価された後、その校長は自殺したのです。会社で、あなたのやっていることはrubbish(くず、ごみ)だと言われて自殺する人もいます。失敗しないために懸命に働いている人も多い。
――ワーカホリズムが原因で依存症になるのはホモ・サピエンスだけでしょうか。
生物には時にエネルギーを使わないと気が済まない衝動があります。しかし、ほとんどの種では、その種が取り入れることができるエネルギーは非常に限られています。だから、いわゆるワーカホリックの状態に達しません。それに、人間以外の種では、外側から判断するアングルがありません。現代人は、自分の価値を、自分がしている仕事と一体視するときがあります。だからワーカホリックの人が生まれるのです。
一方で、日本には職人といわれる人がたくさんいますよね。例えば、職人が非常に集中して木材を見事に接合する様子に対して、「あなたはワーカホリックです」とは言いません。ワーカホリックとは、第三者から見て不健康で、かつその仕事をしている人が満足感を得られていないときに言うのです。
――実業家のイーロン・マスク氏もワーカホリックだとか薬物依存症だとかうわさされていますが、日本でもエリート官僚や才能ある芸能人の薬物依存がたびたびニュースになり、それは働き盛りの中年男性も多いです。そういう現象をどう思いますか?
でも、マスク氏の実行レベルに達していない人が、自分の壮大なビジョンを実行しようとするのは不健康なことだと思います。ですから、イーロン・マスク氏のようにいろいろなことを犠牲にしてまで働く必要があるのか、考えるべきです。
――日本では、「定年退職後、行き場のない(主に)男性」の話題がしばしば上がります。恐らくこの現象自体が、他国にはないことでしょう。日本の雇用慣行や働き方、男性の意識改革の遅れなどが背景にあると思うのですが、こうした組織で働くことでしか自己の価値を見いだせない日本の男性は、どうしたらいいのでしょうか。
英国では定年制が廃止され、年金支給年齢が引き上げられました。充実した人生を送るためには、人生をフルスパンで見る必要があります。本当にやりたいことは何か、それを見つけられる人は幸せへの一歩を踏んでいます。日本にも社会全体を組み立て直すパワーがあるはずで、定年や年金に関してもっといい制度を生み出すべく再考すべきです。
――日本では少子高齢化が進み、あらゆるシーンで、少ない現役世代が多数の高齢者を支える構造です。世界でもまれなこの不均衡な構造を生きる日本人は、働き方に対してどれだけ考えと行動をチェンジする必要があるのでしょうか。
昔と違って今は仕事のかなりの部分を、AIをはじめとしたテクノロジーがカバーするようになり、それは今後も進みます。そういう世界において、より良い人生を送るにはどうしたらいいのか、という根源的な問いをし直す必要があります。農耕にいそしんできた祖先から受け継いだ考え方に固執するのではなく、世界を捉え直す新しい考え方をしなければなりません。
つまり、今までの制度全体を見て、どこがおかしいのか問い直さなければなりません。私たちが築いてきた制度の多くを破壊して、再構築するプロセスを今、始めなければなりません。既成概念の破壊はあちこちで起きています。テクノロジーの変化、人の移動などによって、既存の制度に対する信頼が打ち砕かれました。
ここで、さまざまなことを積極的に実験する政治家が出てくればいいのですが、実際はドナルド・トランプ氏のようなポピュリストが台頭してきます。「国境に壁を造れば全てが解決する」といった単純な答えを出して、人々の心をつかみます。
積極的な実験とは、例えばuniversal basic income(UBI、ユニバーサル・ベーシック・インカム)が挙げられます。アラスカでは現に実験されていますが、実際に人々がUBIを受け取ると、怠けるどころか、逆に自分たちにとって本当に意義のある仕事をするようになったのです。そういう壮大な社会実験に取り組む政治家が必要です。
UBIは収入に関係なく全ての人が受け取ります。このUBIを成功させるには、誰もが認識しているのに見て見ぬふりをする重要な問題――つまり、格差が大幅に増幅され、富がトップ1%に集中している事実を避けて通ることはできません。しかも、価値を生み出すことが人間の労働によってではなく、自動化によって起きています。自動化された巨大な帝国を持っている人が、膨大な富を築いています。ごく少数の人の手に富が集中しているのは、正気の沙汰ではありません。その富を分配するメカニズムを私たちは真剣に考えなければなりません。
マスク氏は、自分は週に70時間働いているから、それだけの富を持つのに値すると考えているかもしれません。しかし、マスク氏と同等かそれ以上に腕のいい人が週に70時間働いても、その収入ははるかに少ない。これはリソースの分配方法に深く関係しています。
私たちはポピュリストの単純な答えに満足するのではなく、根源的な問いをすることが重要です。真に価値のある仕事とは何かを問い続け、必要不可欠である仕事をしている人の収入が少ない一方で、他者から搾取する仕事に市場経済がはるかに多い報酬を与える仕組みに、疑問を持つことから始まると思います。
働き方全史 ジェイムス・スーズマン著
経済の枠超えた価値探る
「働き方改革」の大合唱にうんざりとしている方は、手に取ると気が楽になる一冊だろう。英シンクタンクに籍を置く英人類学者は1990年代にアフリカ南部で暮らす狩猟採集民ジュホアンを調査・研究した。その時に得た知見や経験を出発点とし、人類と働くこととの深遠な関係を文明史に沿って丁寧に解いている。
「なぜ私たちは狩猟採集時代の祖先よりも、仕事を重要視しているのか。かつてないほど豊かな時代に、なぜ私たちは欠乏にこだわり続けているのか」。仕事は「ジョブ」や「レイバー」ではなく「ワーク」。経済問題が人類の永遠の課題であるとの考えをいったん捨て去ることで生じるこうした問いかけこそ、働く価値を探る重要な手掛かりになると著者は説く。
経済学の枠をこえ、物理学や進化生物学、動物学といった自然科学の多角的視点から迫った壮大な働き方の文明史。垣間見えてくる仕事の意義はやはり複雑で深い。渡会圭子訳。(東洋経済新報社・3080円)
◆「欠乏」 満たすための仕事 [評]奥野克巳(立教大教授)
人類は、1万年少し前から始まる5千年間の農耕革命以降、動物や道具・機械などを用いて余剰物を生産するために働くようになった。その頃から、人間の仕事生活を支配する「欠乏の経済学」が駆動し始める。本書は、人類と働くこととの関係を文明史に沿って詳細にたどりながら、物質的な「欠乏」を追いかけて、人々が仕事に勤(いそ)しむようになったことを明らかにする。
18世紀、イングランド北部で蒸気機関を動力とする紡織機が作られ、技術の発展が都市にやってくる者たちに仕事を与えた。産業革命の時代に、仕事は多くのものを購入する手段でしかないと考えられるようになり、生産と消費のループが完成する。20世紀初頭、テイラーが生産性を上げる科学的管理法を考案、モノが大量に広く庶民にまで行き渡ることになった。第2次世界大戦後に経済学者ガルブレイスは、アメリカ人の基本的な経済ニーズはすでに満たされていると唱えた。その頃、「欠乏」は無くなった。
20世紀初頭に現れたワーカホリックは、いまや過労死や過労自殺を生んでいる。人類学者グレーバーは、誰かに何かをさせること以外に明白な目的のない、無意味な「ブルシット・ジョブ」が現代世界を覆っていると指摘する。
東南アジア・ボルネオ島の狩猟採集民プナンを調査研究する評者自身も、著者に深く同意する。「欠乏」に対して多くを望まない狩猟採集民の生き方が、「原始の豊かな社会」をつくり上げているように思えるからである。
(渡会圭子訳、東洋経済新報社・3080円)
1970年生まれ。英在住の人類学者。南部アフリカの政治経済が専門。
◆もう一冊
『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』スーズマン著、佐々木知子訳(NHK出版)
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