なぜ65歳以上の肉体労働者が急増?一億総活躍社会は「死ぬまで働け」という政府の高齢者虐待だ=鈴木傾城
本当は「働きたい高齢者はいくらでも働いてもいいし、老いて心身ともに疲れた高齢者は節約しながらゆっくりと日々の生活を送っても良い」という選択肢が必要であって、一億総活躍時代を政治家が強制するのはあまりにも傲慢ではないのか。それは政治暴力・政治虐待に等しい。(『 鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編 』)
高齢になって体力的にキツくても働かざるを得ない現実
『国土交通白書2020』の中に就業者数の推移というのがあって、これを見ていると、興味深いことがいくつもある。
2001年の15〜64歳までの【男性】就業者は3,483万人。
2019年の15〜64歳までの【男性】就業者は3,202万人。
男性の就業者は8.07%も減っていた。では、女性はどうか。
2001年の15〜64歳までの【女性】就業者は2,450万人。
2019年の15〜64歳までの【女性】就業者は2,630万人。
女性の就業者は7.35%も増えていた。ところで、データには65歳以上男女の就業者数も統計に載っているのだが、それを見るとどうなっているのか?
2001年の【65歳以上男女】の就業者は480万人。
2019年の【65歳以上男女】の就業者は892万人。
65歳以上男女の就業者は85.83%も増えていた。
これらの高齢層はどこの業種で増えているのだろうか。『国土交通白書2020』にはこのような文章がある。
・建設業では55歳以上の就業者の割合が2019年には35.2%に。
・運輸・郵便業55歳以上の就業者の割合が2019年には32.4%に。
運輸・郵便業55歳以上の就業者割合の内訳を見ると、トラック運転手等は28.9%。バス、タクシー運転手等は61.2%となっているので、こうしたところで高齢層が雇われ、働いているということが分かる。
そう言えば地方の郊外都市でタクシーに乗ると、かなりの確率で高齢のタクシー運転手に当たることが多い。ホワイトカラーの分野というよりも、肉体労働の分野で働いている高齢層が増えているというのは気がかりだ。
老体に鞭打って肉体労働に勤しんでいる高齢層
65歳で年金をもらって悠々自適の生活は日本からとっくに消えている。街を歩いても、建設現場で高齢の人が解体工事で重い瓦礫を運んでいたり、高齢女性が道路の交通整理をしている姿を普通に見る。
あるいは、宅配を高齢の男性がやっていたりする。
高齢になって体力的にキツくても働かざるを得ない現実がひしひしと見えてくる。日本政府の「一億総活躍時代」は「高齢でも働け」の言い換えであることはよく知られているのだが、そういう社会が実現しつつあるのが見て取れる。
誰が「一億総活躍時代」を称賛する?
「一億総活躍時代」が謳われ、老体に鞭打って肉体労働に勤しんでいる高齢層を見かけて「ああ、素晴らしい社会だ。高齢になっても働けるのだから」と称賛する人はいるのだろうか。
むしろ、高齢になっても肉体労働をしなければならない日本というのは、何という国なのだろうか……と思うのが自然ではないだろうか。
ただ、この思いを素直に口に出すと批判が飛んでくることも多い。たとえば、以下のような批判をよく聞く。
「高齢でも働きたい人がいるのだから文句を言う話ではない。高齢者が肉体労働をしても別にいいではないか。肉体労働を見下しているのか?」
確かに高齢層であっても働いている人は大勢いる。政治家なんかは70歳過ぎても80歳過ぎても一向に引退する気配がない人もいる。こういう人は、これまでの人脈や金脈を活かして社会に大きな影響力を与える。
あるいは経営者の中でも「引退なんかまるっきり考えたことはない」と断言し、永久社長で辣腕を奮っている人もいる。
高齢だからと言って無理やり引退しなければならないというわけでもないし、高齢だからと言って能力や影響力が衰えて仕事の質が下がるというわけでもない。どこの業界でもバリバリに働いている高齢層はいくらでもいる。
そういうのを見ると、「高齢でも働きたい人がいるのだから文句を言う話ではない」というのは、確かにその通りだ。異論はない。
一億総活躍時代の強制は政治暴力・政治虐待か
しかし、すべての高齢層は「65歳になっても働きたい、肉体労働でも何でも仕事したい、重い瓦礫を運びたい、夜遅くまでタクシーを運転したい、不眠不休でバスを運転したい」と思っているのだろうか。
彼らは働きたくて働いているというよりも、年金が足りないし、今のままでは生活が成り立たないので、「仕方なく働いている」というのが現状ではないのか。
もちろん、肉体労働の中でもそれが生き甲斐だから好きでやっているという人もいるとは思うのだが、ここ20年で突如として「仕事中毒」の高齢層が412万人も増えたとは思えない。
この20年で日本はますます衰退していて、平均賃金にしてもOECDの平均で韓国にもイスラエルにもイタリアにも抜かれていくような惨状を呈しているのだが、年金もなければ低賃金で貯金もできなかった高齢層が増えて、「労働に追い込まれている」というのが現状ではないか。
昨今は物価が上昇するのに年金はむしろ削減されていき、さらに日本政府は気が狂ったかのように増税路線に走っている。光熱費も政府の無策のせいで爆上げしているのだが、光熱費が爆上げすると製造費も騰がるので、物価はもっと上がっていくことになる。
とすれば、今後もさらに多くの高齢層が「労働に追い込まれていく」のは必至である。それを指して「一億総活躍時代が進んでいる」「高齢でも働きたい人がいるのだから文句を言う話ではない」と言うのはおかしいのではないか。
本当は「働きたい高齢者はいくらでも働いてもいいし、老いて心身ともに疲れた高齢者は節約しながらゆっくりと日々の生活を送っても良い」という選択肢が必要であって、一億総活躍時代を政治家が強制するのはあまりにも傲慢ではないのか。
一億総活躍時代の強制は政治暴力・政治虐待とも言える。
生活保護に追い込まれている高齢世帯は142.43%も増加
2001年の65歳以上男女の就業者は480万人で、それが18年後の2019年のになると892万人となって85.83%も増えていたというデータがあるのは冒頭で紹介したのだが、高齢者を見る上でもうひとつこのデータ(生活保護制度の現状について:令和4年6月3日)も見てほしい。
2001年の65歳以上の生活保護受給世帯は37.0万世帯
2019年の65歳以上の生活保護受給世帯は89.7万世帯
生活保護に追い込まれている高齢世帯は142.43%にまで増加しているというのが分かる。2022年時点で言えば、生活保護受給者の56%は高齢世帯なのである。高齢者が増えて、その増えた高齢者が貧困に追い込まれている。
政府が「一億総活躍時代」を言い出したのは、要するに生活保護に追い込まれる高齢者が増えたからというのも見えてくる。
高齢層の中には、生活保護を受けていないが、生活保護以下の極貧生活をしている人も多い。「生活保護を受けて世間様に迷惑をかけたくない」と言って、自ら生活保護の受給を拒絶している人たちもいる。
生活保護を受けていない高齢層はみんな豊かなのかと言われればそうでもないということだ。だから、高齢層の就労者が増えているのである。
政府は何をしていた?30年間、1ミリも成長していない日本
政府は少子高齢化を放置して何もしてこなかった。少子高齢化については30年以上も前から「このまま放置していたらマズいことになる」と多くの識者が警鐘を乱打していたにも関わらず、政府は掛け声だけで何もしなかった。今でも本気で何かしているようにも見えない。
その無策を隠す言い訳が「一億総活躍時代」でもあったのだ。
これ以上、社会保障費が蝕まれないように、政府は「高齢者も死ぬまで働け」という政策を採るようになって、その結果として高齢就労者がボロボロになるまで働く社会となった。
バブル崩壊から30年。日本を1ミリも成長させることができない政治には、もう何の価値もないように見える。