「意識はどこから生まれてくるのか」マーク・ソームス
新著のなかで神経科学者マーク・ソームズが語っているのは、解剖学や電気化学のことだけではない。彼は意識に関するまったく新しい理論を生みだしたのだ。
意識は大脳皮質ではなく「隠れた泉」から生まれる:マーク・ソームズが提唱する神経精神分析学
意識はどこから生まれてくるのか? 科学においてはこれまで頭の大脳皮質に鍵があると考えられてきたが、神経科学者のマーク・ソームズはそれを「大脳皮質の誤謬」と呼ぶ。彼が提唱する「神経精神分析学」は、フロイトの助けを借りながら感情と意識を科学的に統合し、意識に関するまったく新しい理論を生み出した。彼の新著『Hidden Spring』や意識を描いてきたこれまでのSF作品からその理論の射程を読み解く。
あらゆるサイエンスのなかで、神経科学はもっとも「セクシーな(最先端をいく)」ものであるはずだ。その研究は、第一にそれを研究可能にしているもの自体を研究するところから始まる。
そこでfMRI[編註:磁気共鳴機能画像法。脳の機能活動がどの部位で起きたかを画像化する方法]スキャンを見るわけだが、見てみると実際それがびっくりするくらいつまらないものだと気づく。画像を見れば何かが起きていることはわかる。でもそれで? 脳活動のマッピングは、「生きている」というのがどんな感じかについては、ほとんど何も教えてくれないのだ。
そうした「客観的」で「認知主義的」な物の見方に異議を唱える神経科学者もいる。そのひとりがマーク・ソームズだ。新著『Hidden Spring(『隠された泉:意識はどこから生まれてくるのか』2021年7月刊行予定、青土社)』のなかで彼が語っているのは、解剖学や電気化学のことだけではない――そうした部分も少しはある。彼は意識に関するまったく新しい理論を生みだしたのだが、その理論をさらに魅力的にしているのは、性に関する第一人者ジークムント・フロイトその人の思想だ。
神経精神分析学の誕生
さて、精神分析学が非常に「セクシー(性的)」な科学であることは明らかだ。それがダントツで性的なものであると思われるのは、単にフロイトがリビドー(性的衝動)のもたらすあらゆることに固着していたからだけではない。精神分析は、神経科学とはまったく別のやりかたで、思考方法として人に大きな満足を与えるものなのだ。
精神分析学は、芸術作品から親友の神経症、大都市の空を衝く巨大な摩天楼に至るまで、望めばどんなものでも分析の対象にできる。しかしまた、普遍性は精神分析学の最大の弱点でもある。あまりに話が大きすぎ、あまりに魅惑的なのだ。ソームズに言わせれば、あまりに「不確かな推測」に頼る部分が大きすぎ、「微妙な主観的経験」にとらわれすぎている。
だがソームズはそんなことはあまり気にしていない。南アフリカで若い神経科学者としてキャリアを始めたころ、彼は夢の研究をしていた。すなわち、なんとも形の定まらない主観性の研究だ。この研究により、ソームズは次のふたつの知見を得た。1. 思考や感情は神経科学的に研究することができる。さらに2. それこそがフロイトがやろうとしていたことだ。
事実、フロイトはかつて、自身の究極の目標は「心理学を自然科学と言えるにふさわしいものにすること」だと書いている。それはつまり、精神を純粋に機械的な言葉で説明する方法を見出すことだ。この言葉を初めて読んだとき、ソームズは自分のニューロンがバク宙したような気分になった。新著で彼はこう書いている。「わたしはフロイトが神経科学者だったとはまったく知らなかった」。
まあ、正確にはそうとは言えないかもしれない。フロイトはいま言った「科学的心理学構築プロジェクト」のことをキャリアの初期である1895年に書き残しているが、結局それを出版することはなかった。どうやら彼はパニックを起こしてしまったらしい。当時の科学的ツールや手法は、それができるレヴェルには達していなかったのだ。
そこでフロイトは代わりにコカインを一発キメて、ソームズが「暫定措置」と呼ぶ方針へと方向転換した。すなわち、精神分析学だ。これは完全に客観的な科学とは言えないまでも、少なくともそこを目指す学問ではある。それとまったく同じように、ソームズも自らの究極の目標を宣言する。フロイトがなし得なかったことをしようというのだ。彼は精神分析学から科学の領域だけをとり出し、それに「神経精神分析学(neuropsychoanalysis)」という大々的な名前をつけることにした。
「占星術に親しむ天文学者のようなもの」
いまでは神経精神分析学もほぼまともな学問の領域となり、ジャーナルの発行やら年に一度の会議やらといった体裁も一応整ってはいるが、それでもまだ正式に確立された学問の主流からははるか離れた外縁部を漂っているにすぎない。「占星術に親しむ天文学者のようなもの」とソームズは言う。神経精神分析学はどうやら、ひとつの分野に収まりきらないパンクな人たちを惹きつけるらしい。つまり、自らの所属する分野の硬直した定義に当てはまらない思考回路を持つ人たちだ。
だがじつは多くの場合、こういった反逆タイプの人たちこそが、もっとも飛躍的な変化を起こすことができる。日常の科学が少しずつ、じりじりと起こしていく進歩ではなく、世界中の人びとの意識を世界史的、パラダイムシフト的に変える理論。ソームズの場合、それが「意識に関する新たな理論」だ。
これがソームズの著書の心臓部分……というか、頭脳部分にある考え方だ。じつにシンプルな理論だが、ソームズという学者の文章はなかなか一筋縄ではいかない。たとえば、話が佳境に入る後半部分の文章を取り出してみるとこんな感じだ。「ありがたいことに、もっとも精度値の高いエラー信号が発生モデルに最大の影響を及ぼす」。なぜそれがありがたいことなのか、確かなことはソームズにしかわからない。
しかしこの文章も、次の例に比べればほんの序の口だ。先ほどの文の2、3ページあとには、年に一度の神経精神会議の参加者に配るTシャツにぜひともプリントしたいような、こんなセリフが書いてある。「認識が最終的に存在するのは、スパイク列の確率分布とそういった確率の比較に関わる推論統計データの計算のなかであり、それはすべて精度を最適化する恒常性調節機の入れ子状のヒエラルキーのなかに位置している」。親愛なる恒常性調節機よ、どうか霞を取り払ってくれ。ソームズが神経科学をより「セクシー」なものにしようと考えているからといって、彼にフロイトのような文才があるとは限らない。
心理的作用は、大脳新皮質のみではなく、脳幹から伸びている軸索が前頭葉へ送っている活性化経路が作用している。
感情神経科学 ヤーク・パンクセップ
意識のレベルを調整するだけで心を持たないと考えられていたシステムが、それ自体が「内容」を生み出しているという見解を裏付ける証拠を詳細に説明している。
エルンスト・フォン・ブリュッケ
https://ja.isecosmetic.com/wiki/Ernst_Wilhelm_von_Br%C3%BCcke
ブリュッケとレイモンドの師 ヨハネス・ミュラー
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC%28%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%90%86%E3%83%BB%E8%A7%A3%E5%89%96%E5%AD%A6%E8%80%85%20Johannes%20Petrus%20M%C3%BCller%29-1598531
「生命エネルギー」や「生命力」があるといっている。
ドイツ語の「Seele(ゼーレ)」が「魂」「心」と訳される。トマス・ネーゲルやダニエル・デネットのような哲学者たちの論争、意識は物理法則で還元できるかどうか。ネーゲルは出来ないと主張し、デネットは出来ると主張している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB
ド・ラ・ポルト ブリュッケの物理主義に賛同した。
「メタ心理学」な力、心理現象の背後にある力
http://www.isc.meiji.ac.jp/~metapsi/index.htm
【フロイト】より
…これは,反生気論的・物理化学的生命論の推進者の一人であったブリュッケのかつての忠実な弟子であり,脳の器質病変の精密な研究者でもあったフロイトにとっては必然の思考形式でもあった。フロイトがメタ心理学と名付けた力動的・局所論的・経済論的な無意識に関する心理学と,フロイトの直接経験との間のへだたりや飛躍が繰り返し指摘されることがあるのは,上記のフロイトの思想形成の特徴に基づいている。《ヒステリー研究》の発刊年に書かれたノート《科学的心理学草稿》は,フロイト自身は発表する意図を放棄した論考だが,〈心的諸過程を明示しうる物質的要素によって量的に規定される諸状態として記述する〉と冒頭で明言している。…
自己奉仕バイアス 望ましい結果は自らの資質のおかgeであり、望ましくない結果は他人や環境のせいであるとするバイアス。
ダマシオ,アントニオ・R.
1944年、ポルトガルのリスボン生まれ。アメリカの神経学者・心理学者。1976~2004年、アイオア大学教授を経て、2005年には南カリフォルニア大学のBrain and Creativity Instituteを設立した。Prince of Asturias Awardsなど多くの賞を授与され、世界中でもっとも読まれ、活躍している神経学者