「働く人のうつ」は「うつ病」ではないというこれだけの理由

「働く人のうつ」は、なかなか治らない。薬を飲んでも、認知行動療法を受けても治らない。脳を磁気で刺激しても、休職しても、生活習慣を整えても治らない。リワークに参加しても治らない。これらはいずれも無意味ではなく、一定の効果はある。それでも治らない。

なぜか? 実は、治らないのには、理由がある。治らなくて当然である。それは、治すべき病気がそこにないからである。「働く人のうつ」は、「うつ病」ではない。「うつ病」ではないのだから、うつ病の治療をしても治るはずがない。

「うつ病」ではなく「バーンアウト
日本では「働く人のうつ」を「うつ病」と見なしがちだが、海外、とりわけ英語圏なら「バーンアウト」(燃え尽き症候群と呼ぶであろう。これは単なる呼称の問題ではない。前者なら治療の対象になるが、後者なら働き方、働かせ方の問題となる。この違いは決定的である。

カリフォルニア大学バークレー校の名誉教授で、バーンアウトの研究に長年従事してきたクリスティーナ・マスラックは、バーンアウトを「炭鉱のカナリア」に譬える。美しい声で鳴いていたカナリアが突然鳴かなくなったとすれば、それはカナリアが病んだからではない。危険を察知したのであろう。

カナリアは異常であるどころか正常である。メタンガスを感知して、鳴くのをやめたにすぎない。異常な状況における正常な反応が「炭鉱のカナリア」である。同じく、バーンアウトは、「異常な職場環境における正常な反応である」と、マスラックは主張する。

バーンアウトは、情緒的消耗感、非人間化、個人的達成感の低下などが特徴だとされる。かつては、対人援助職特有のストレス反応とされてきたが、現在では、ホワイトカラー一般、とりわけ、組織行動を伴う職業一般の現象であるとみなされている。

バーンアウトについて、世界保健機構(WHO)は、2019年にあえて「疾患でもなければ、医学的状態でもない」と述べた。WHOは、現在、『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』第11版(ICD-11)を準備中だが、ここにおいてあらたに「バーンアウト」を含めることにした。

WHOが「バーンアウト」をICD-11に含め、しかも、それを「疾患ではない」としているのは、一見、矛盾している。その疑問にWHOは回答している。「それにもかかわらず、バーンアウトは、医師にかかる理由になりえる」と。

WHOをして「疾患ではない」と述べさせたのがマスラックである。バーンアウトを「疾患でない」という理由は、その人が疾患として診断されれば、周囲から「悪いのはあいつ、会社ではない」と判断されかねないからである。

「あいつは病気なんだろう。じゃあ、治療してもらった方がいい」、「働けないだろう。何しろ病気だからな」、そしてついには、「やめてもらうしかない。患者だからな」というふうに、本人を離職へと追いやるかもしれない。一方で、職場環境の問題は等閑に付され、個人の治療責任ばかりが強調される。

ハーバード・ビジネス・レビュー』誌は、19年にバーンアウトを特集している。この雑誌は、ハーバード・ビジネス・スクールの機関誌であり、経営管理論や組織行動論をフィールドとしている。同誌がバーンアウトを特集したのは、「働く人のうつ」を経営学の問題と見なしているからである。世界的なビジネス・スクールが、バーンアウトを人事管理の課題とみており、組織経営を揺るがす脅威と捉えているのである。

経済立国日本の立ち遅れ
日本の場合、「働く人のうつ」を経営の問題として考える視点は皆無であった。これまで「働く人のうつ」に関わってきた人は、精神科医であり、産業医であり、産業カウンセラーといった人たちであった。

この人たちは、的外れなことに、「働く人のうつ」をもっぱら当該従業員の病理に帰し、最終的な治療責任をその人個人に返してきた。要は、職場でうつになるのは、その人が精神医学的に病んでいる、ないし、心理的に弱いからであり、病気を治す、ないし、強い心を作ることが必要だ、そのためには「しっかり努力してくれたまえ」という考え方である。自己責任論そのものである。

しかし、「働く人のうつ」は、解決を自己責任にゆだねるべきではない。そもそもゆだねても解決しない。それは、個人の内部から自然発生するものではなく、職場に明白な要因があって、それによってもたらされる。具体的には、過重労働、過度の効率追求、過度の成果主義、職場の対人関係などである。

これらの要因は、普段は一見すると見えにくいが、バーンアウト事例は「炭鉱のカナリア」のように誰よりも先に危険を知らせてくれる。それを個人の病理に帰して職場から追い出すことは、鳴かなくなったカナリアを、ただ炭鉱から出して、ほかに何もしないのと同じである。炭鉱なら爆発事故が起きる。職場では、早晩、次のバーンアウトが出るであろう。

バーンアウトは、何よりも経済界が取り組むべき課題である。さもなければ、経済立国日本が衰退する。

企業だけが富を生む唯一の主体であり、したがって、日本の将来は個々の企業がいかにして利益を上げるかにかかっている。企業にとっては、個々の従業員こそ利益を生む主体である。利益は彼らの生産性にかかっている。

鳴かないカナリアを炭鉱から出せば、次のカナリアも鳴かなくなる。このカナリアを出せば、今度はさらに別のカナリアが……。同じく、うつの人を職場から追いやれば、次の人がうつになり、その人を追いやれば、さらに別のひとがうつになる。こうして職場は櫛の歯が抜けたようになり、生産性が下がり、利益が下がり、組織の未来な暗澹たるものになる。

組織にとって、従業員は人的資産である。彼らが生産性をあげることが、利益を上げる道である。しかし、この貴重な資産もうつになり、休職すれば、一円の利益も生まない。ただのコストに転じる。「働く人のうつ」は、結局のところ、個人の健康問題を超え、人事管理における最悪の失敗となる。

精神科医にできること
働く人がうつになれば、それでもメンタルクリニックを受診するであろう。WHOが「バーンアウトは、医師にかかる理由になりえる」という通りである。

しかし、精神科医選びは慎重でありたい。「働く人のうつ」をうつ病と見なして、即、抗うつ薬、即、休職とするタイプの医師は、避けるべきである。その精神科医が復職させる技術をもつならいい。しかし、休職させることはできても、復職させることのできない精神科医も少なくない。

うつ病の専門家よりも、むしろ、産業精神保健に精通した医師にかかることをお勧めしたい。産業精神保健に精通していない精神科医だと、拙速に「うつ病」と診断し、自分の不得意な労働問題には見て見ぬふりをする。

結果として、初診時に直ちに「3カ月の自宅療養が必要」などの診断書を書いてしまう。しかし、「休職」は問題の隠蔽にこそなれ、解決にはならない。復職すれば、またうつになるであろう。安易な「休職」は、結局のところ、従業員を職場から追い出すことにつながる。

産業精神保健に精通した精神科医なら、「休職」以外の選択肢をとれる。診断書に「条件付き就業継続可能」と記し、その条件をてこに会社と交渉することもできる。

たとえば「時間外労働を『働き方改革関連法』に規定する月45時間、年360時間に留める」などと記せば、それだけで本人を取り巻く環境は変わる。さらに、交代勤務者なら労働時間等設定改善法を、障害者なら障害者雇用促進法を、乗務員なら旅客自動車運送事業運輸規則を、子育て世代なら育児・介護休業法を、というように、法や制度に則って妥当な条件を付すこともできる。

厚生労働省が発行している各種マニュアル、たとえば、「パワーハラスメント対策導入マニュアル」、「勤務間インターバル制度導入・運用マニュアル」、「テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン」、「障害者雇用促進法 合理的配慮指針」などを引用しつつ、国の指針に則った合理的な提案もできるはずである。

人材を生かすのは経営の課題
かつて、日本のプロ野球は若い有望選手をスカウトし、高額の契約金、年俸を支払い、その貴重な戦力を酷使して故障させて、早期引退に追い込んでいた。その一方で、千葉ロッテマリーンズは、鳴り物入りで入団した佐々木朗希投手を、1、2年目は体作りに専念させ、3年目の2022年に満を持してデビューさせ、4月にいきなり完全試合を成し遂げさせた。

人材育成という点でどちらが優れているか、火を見るより明らかである。育成には時間と経費がかかる。無理な働かせ方をして、バーンアウトによる離職・退職を招けば、育成経費は回収されない。人材の使い捨ては、個々の従業員にとって不幸であるのみならず、経営にとっても甚大な損失といえる。

井原 裕

虚しさを感じる“人生の課題”を解決するヒント|『心を満たす50歳からの生き方』

Pocket
LINEで送る