「アラフィフ」の処方箋、なぜ50歳が近づくと自分の生き方に疑問がわくのか?

榎本博明:心理学博士、MP人間科学研究所代表

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働き盛りを過ぎる頃から、「このままで良いのだろうか?」「何かを変えるなら今のうちだ」といった心の声が聞こえてきて、気持ちが落ち着かなくなったりするものである。そこでどう動くかで、その後の人生の展開が大きく違ってくる。先人達に学び、そうしたときにやるべきこととは。(心理学博士 MP人間科学研究所代表 榎本博明)

自分の生き方に疑問が湧き、気持ちが揺れ動く

「四十にして惑わず」などと言うが、長寿化が進み、今は40歳で老成する時代ではない。実際、40代から50代にかけては迷いの多い時期である。つぎのような放浪の俳人山頭火の句や語録に心を揺さぶられる人が多いのではないだろうか。

「何か足らないものがある落葉する」
「さて、どちらへ行かう風がふく」
「どうしようもないわたしが歩いてゐる」
「こころむなしくあらなみのよせてはかへし」
「わたしと生れたことが秋ふかうなるわたし」
「吹きぬける秋風の吹きぬけるままに」
「われをしみじみ風が出て来て考へさせる」(以上、『山頭火全句集』春陽堂書店)

「四十にして惑わず、五十にして惑う、老来ますます惑うて、悩みいよいよふかし」
「こういう安易な、英語でいうeasy-goingな生き方は百年が一年にも値しない」(以上、種田山頭火、村上護編『山頭火のぐうたら日記』春陽堂書店)

これらの句には、まさに人生の秋である40代後半から50代に陥りがちな思いが凝縮されている。

自分はこの人生で、いったい何をしているのだろう?

40代後半から50代は、言ってみれば人生の折り返し点である。人生の折り返し点にある人の心は、決して穏やかではない。そのような人たちの心の中で、いったい何が起こっているのか。

それをつかむべく、大規模な面接調査を行ったのが、心理学者レビンソンである。レビンソンは、成人前期から後期への移行期を「人生半ばの過渡期」と呼び、自分の生活構造それ自体に疑問を抱くようになる時期であるとみなしている。

まだまだ無限に時間があると思っていた40代前半までの頃と違って、残り時間を意識するようになる。それにより、残りの人生をできるだけ有意義に使いたいと思うようになる。そのような心理について、レビンソンはつぎのように指摘している。

「過去を見直したいという欲求は、限りある命だという認識が高まり、残る時間をもっと賢明に使いたいという気持ちから生じる」(レビンソン 南博訳『ライフサイクルの心理学〈下〉 (講談社学術文庫)』講談社学術文庫)

ライフサイクルの心理学〈下〉 (講談社学術文庫)

そして、つぎのような疑問を抱くようになるという。

「これまでの人生でなにをしてきたのか? 妻、子どもたち、友人、仕事、地域社会――そして自己――から実際なにを得て、なにを与えているのか? 自分自身にそして他人に真に欲しているのはなにか? 自分の中心となる価値観はなにか? その価値観が生活にどう反映しているか? 自分のいちばんの才能はなにか? その才能をどう活用(浪費)しているのか? 若いころの<夢>でなにを果たしたのか、そしていまなにをしたいのか? いまの自分の欲望と価値観と才能を並立させて生きていけるのか? いまの生活にどの程度満足しているのか――自己にどの程度合っているのか、外界でどの程度効果的に機能しているのか――そして、いまの生活をどう変えたら、将来のためにより良い基盤が築けるか?」(同上)

似たような思いに駆られたことはないだろうか。

人生の軌道修正を考える

このような思いが脳裏をよぎったのをきっかけに、日頃の生活を振り返ると、それまでのように無邪気に仕事に没頭できなくなる。自分の日常を改めてじっくり見つめてみると、これまでとはまったく違った視界が開けてくる。

そして、自動化していた日常に対して、何か物足りなさを感じるようになる。何か違うといった思いが脳裏をよぎる。仕事の最中も、ふと我に返ると、仕事の手が止まっており、物思いに耽っていたりする。

疑問が湧くのは、仕事生活に対してだけではない。家庭生活をはじめとするプライベート面にも、物足りなさや納得のいかなさを感じるようになる。「これでいいのだろうか」「このままではいけないのではないか」といった思いが湧いてくる。

そのように公私両面において強い不満が生じたり、何とかしなくてはという思いに駆られたりして、現実生活の歩みに乱れが生じる。ここでの課題は、30代の頃に確立された生活構造を見直し、40代後半から50代にふさわしいものへと組み替えることである。

レビンソンが調査した35歳から45歳の人々のうちの約8割が、自己の内部における激しい葛藤や外界との激しい葛藤を経験していた。今は寿命が延びているため、この年代は40代後半から50代くらいに相当すると考えてよいだろう。

「(前略)大多数の者にとっては、『人生半ばの過渡期』は自己の内部での戦いのとき、外の世界との戦いのときなのである。大なり小なり危機を伴うときである。かれらは自分の生活のほとんどあらゆる面に疑問を抱き、もうこれまでのようにはやっていけないと感じる。新しい道を切り開くか、あるいはこれまでの道を修正するのに数年を要する。」(レビンソン 南博訳『ライフサイクルの心理学〈上〉 (講談社学術文庫)』講談社学術文庫)
ライフサイクルの心理学〈上〉 (講談社学術文庫)

心の声に耳を傾けることが大切

このような心理状態に陥ると、一時的に生活に乱れが生じ、仕事の能率が落ちたり、私生活でもトラブルが生じたりしがちだが、自分の生活の現状に疑問を抱き、より自分らしい人生、より納得のいく人生に向けて修正しようとする衝動は、きわめて健全な心の動きと言える。

私たちは、自己形成の途上でさまざまな決断を迫られるが、ある道を選ぶことは他の可能性の道を閉ざすことになる。

そこで、今の生活が納得のいかないものであったり、退屈なものであったりするとき、

「やっぱり選択を間違えたんじゃないだろうか?」

といった心の声が聞こえてくる。

特に、親の反対にあって断念したことや、家族の生活を支えるために断念したことがある場合、人生の折り返し点に至って、

「これを埋もれさせたままで突き進んでしまって、いいんだろうか?」
「やり直すなら一刻も早くしないと」

といった心の声が聞こえてきたりする。

誰かのために断念したというわけではなく、それぞれの時点で最善の選択をしたと思っている場合であっても、

「やり残したことがあるのではないか?」
「これまでの人生で、何か忘れ物をしているのではないか?」

といった思いに駆られたりする。

こうした心の声にフタをして、今の人生軌道をそのまま突っ走ってしまうと、後で大きな後悔に苛まれることもある。そうかといって、心の声をきっかけに今の生活を捨て去るようなことをしても、取り返しのつかないことにもなりかねない。ここは心の声に耳を傾けながら、今の生活をどのように軌道修正すれば、より自分らしい人生になるか、どんな味付けをするのがよいか、じっくり悩んでみるべきではないだろうか。

 


「こんなはずじゃなかった」。
人生も半ばを過ぎ、50歳の声を聞く頃になると、無性にむなしくなることがある。
体力も気力も、そんなに低下していないはずなのに、
会社での行く末を思うと焦りに駆られる。
「残り時間が見えてきたのに、このままでいいのだろうか」?との思いにさいなまれる。
しかし、それらの感情は、「変革の時を迎えている」とのシグナルである。
現状に満足していないからこその「向上心」のあらわれなのだ。
むなしさをきっかけに、前向きに迷い、悩み、揺らぐことのない「生きる意味」をつかむ。心の危機をチャンスに変える――。
人気心理学者が、むなしさの正体を解明し、自身の苦しかった体験を踏まえて、「納得のいく人生」への道筋を示す。
人生の折り返し点で思い惑う「あなた」も、きっと、たしかな一歩を踏み出せる!

〔目次から〕
第1章 50歳前後のむなしさの正体
第2章 心の危機は軌道修正のチャンス
第3章 むなしさと向き合う言葉
第4章 もがくことこそ、自己実現への道
第5章 とりあえず「何」をするか

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