九段下にある昭和館に行く

日曜日に、浅草橋のコメダ珈琲で、日経と朝日新聞を読んで、二時間を過ごした。

第三次世界大戦を排除できないらしい。

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そのあと、歩いてアキバでプラモデルを見て回った。

サンダーボルトⅡをいつもほしいと思う A-10 (航空機) – Wikipedia

サンダーボルト

これは何だったか、思い出せない。

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ダグラムも欲しい。太陽の牙ダグラム – Wikipedia

小学生の時にプラモを作っていた。

ダグラム

タイムボカン – Wikipedia タイムメカブトンもいい。

タイムボカン

 

そして、昭和館に行ったことがないので、行ってみた。

五階までは、無料で見学可能で、六階以上の常設展を見るためには400円が必要となったので、五階までにした。

五階は、映像とか、音楽とかを端末で操作して検索できる。

四階は、図書館だった。本日の新聞を産経、東京、読売新聞を読んだ。

三階は、「社会を映す、動かす」という展示がされていた。

二階は、屋外で写真展をしていた。

1936年(昭和11年) 内閣情報委員会 各省の連絡調整を行う

1940年(昭和15年) 内閣情報局 国策遂行のための啓発宣伝、出版物に関する指導・取締業務を行う

1945年(昭和20年)    内閣情報局 陸軍・海軍・外務省などを含む各省部局の広報宣伝業務が統一

内閣情報局組織

大政翼賛会

1940年(昭和15年) 第二次近衛文麿内閣のもとで展開された政界再編成を目指す新体制運動を背景に、官製国民運動団体として誕生した。

大政翼賛会組織

1940年昭和15年)10月12日から1945年(昭和20年)6月13日まで存在した日本政治結社。公事結社(公益のみを目的とする結社。後述のように、日本独自の概念である)として扱われる。「大政」は、天下国家の政治、「天皇陛下のなさる政治」という意味の美称、「翼賛」は、力を添えて(天子を)たすけること。

大政翼賛会 – Wikipedia

第一次世界大戦 第一次世界大戦 – Wikipedia

第一次世界大戦は、 1914年(大正3年)に始まり、1918年に終わった 約4年間の戦争です。 戦場の多くは ヨーロッパ でしたが、 アジア、アフリカ、中東、海上 などにも戦火が広がり、まさに 「世界規模の戦争」 となりました。 この戦争は、それまでの戦争とは違い、 国家全体が戦争に力を注ぐ「総力戦」 となりました。 新しい兵器(毒ガス・戦車・飛行機など)も登場し、被害もとても大きなものになりました。

第二次世界大戦 第二次世界大戦 – Wikipedia

1939年昭和14年)9月1日から1945年(昭和20年)8月15日[1][40](または9月2日[41])まで約6年にわたって続いたドイツイタリア日本などの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリスフランス中華民国アメリカソビエト連邦などを中心とする連合国陣営との間で戦われた戦争である。最終的に連合国陣営の勝利に終わったが、第一次世界大戦以来の世界大戦となり、人類史上最大の死傷者を生んだ。

1939年9月1日に始まったドイツ軍によるポーランド侵攻が発端であり[注釈 4]、同月のイギリスとフランスによるドイツへの宣戦布告により、ヨーロッパ戦線英語版が始まった。1941年6月にはドイツがソビエト連邦に侵攻したことで独ソ戦が始まり、戦線はさらに拡大された。

その後、日本が1941年12月8日イギリス領マレー半島への侵攻を開始し、さらにハワイのアメリカ軍基地を空襲(真珠湾攻撃)したことでアジア・太平洋戦争が始まった[43]。同月には日本の同盟国ドイツとイタリアもアメリカに対する宣戦布告を行い、戦線は全世界へと拡大された。

戦争当初は枢軸国軍が優勢を保ったが、1942年中盤にはヨーロッパ戦線で、1943年中盤にはアジア太平洋戦線で連合国軍が反攻に転じ、1945年5月にドイツが無条件降伏、8月9日ソ連対日参戦後に日本がポツダム宣言の受諾を決め、8月15日に戦闘停止、9月2日に降伏文書に調印したことで終結した。

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