買わずに「もらって暮らす」生き方が最強な理由
買わずに「もらって暮らす」生き方が最強な理由
誰もが手に入れるべき「現代人必須の魔法」
アメリカでも広がる「買わない生活」
先日、当連載をお読みくださっているという翻訳の服部雄一郎さんが、イナガキさんの暮らしに通じるアメリカのムーブメントがあるんですよ! と、一冊の本を送ってくださった。
サブタイトルを見て、おおっとなりましたね。
「買わない暮らしの作り方」
当連載とモロにかぶってるじゃないの!
ちなみにメーンのタイトルは「ギフトエコノミー」。聞き慣れぬ言葉だが、早速読ませていただいて、さらにおおっとなった。
いやーこの人たち、私と同じことしてる!
何をしているのかというと、何かが欲しいと思った時、「買う」のではなく「もらう」という手段を暮らしに取り入れて生活しているのである。
……ハイわかっております。わが国においては、この時点で「え?」と混乱する方が圧倒的多数であろう。だって「もらう」と言えば、誕生日とか、クリスマスとか、結婚したとかなんだとか、すなわちスペシャルな状況の記念として、誰かから何か結構なものをいただくというのが通常の感覚ですよね。
でも、われらがやっているのはそういうことではないのだ。
もっと日常的に、まったくスペシャルでもなんでもない、どうということもない地味な日常生活の中で「もらう」。いや「もらいまくる」のである。
例えばこんな感じだ。
コロナのおこもり生活で、急に野菜を育てたくなったとしましょう。
となると、そうだベランダに置くプランターが要るな……と気づく。
ここで通常なら99%、買いますよね。アマゾンとか検索したりして。
でもわれらは、そうはしない。よし誰かにもらっちゃおうと考え、実際にもらうのである。で、お次は、さて何のタネを蒔こうかナとなるわけだ。ここでハタと、そうだ土も手に入れなきゃってことに気づく。で、これも誰かにもらう。ついでにタネも誰かにもらう。
要するに、普通なら「買う」という選択肢へまっしぐらに進むところを、そうはしない。誰かにもらう。もちろんタダで!
当然のことながらこれには無限のバリエーションがありまして、結婚式に呼ばれたけどキラキラした服を持ってないから誰かにもらう、とか、今日のおかずが一品足りないから誰かにもらう、とか、面白い本が読みたいから誰かにもらう……とかなんとか。要するに何でもアリである。
欲しいものがタダで手に入る「魔法」
こうして改めて書いてみると、まるで魔法ですな。何しろ「〇〇が欲しい!」と思ったら、タダで目の前に出てきちゃうわけですから……イヤ冗談言っちゃいけねえ、そんなことが本当にできるんだったら人生誰も苦労なんかしないヨ……と言いたくなりますよね!
お気持ち、よーくわかります。でもこれは作り話でもおとぎ話でもない。リアルな現実なのだ。
本によれば、遠いアメリカでこのようなことを実現している人は今や全州に広がっているそうで、さらにそのムーブメントは世界中に広がりつつあるとのことである。ナルホドそりゃそーでしょうそーでしょうと私は深くうなずく。だって私自身が、この世知辛い東京砂漠で、この魔法を大いに人生に取り入れて日々生活しているのだから。
やるかやらないか。その気になればいつでもどこでも誰でもできることなのだ。ある意味、現代における鉱脈である。錬金術である。私はレアメタルの発掘に成功したのである。ああ愉快愉快。ハッハッハ。
……などと一人自慢している場合ではなく、改めて考えると、真面目な話、これは現代においては誰もが手に入れるべき必須の魔法なんじゃないかと私は思う。
だってですよ、一言で言って、われら、お金がないのである。
今だって「ない」と多くの人が思っているだろうし、残念ながら多分、これからも「ない」のだ。
何しろこの先行きまったく不透明な世の中で絶対に確実なのは、これからわが国の人口はどんどん減り、高齢者はどんどん増えるということだけである。負担は増え、負担の担い手は減るのだ。
この圧倒的現実を誰にも変えることができない以上、いくら新しい総理大臣が「新しい資本主義」を唱えようがどうしようが、われらのこの先のマネーライフは間違いなくどん詰まりである。これからますます「より少ないオカネ」で生きていかねばならなくなることを誰もが覚悟しなければならない。
もちろん、そんなことは私ごときが言わなくとも皆様ウスウス覚悟しておられるわけで、それが怖いからこそ、多くの人が自己責任でなんとかしようと、老いも若きもお金を増やす方法、貯める方法、一攫千金を目指す方法を必死になって探しているわけですよね。
50歳で会社を辞めた私が考えたこと
かつて、私もその中の一人であった。
というか、50歳で会社を辞めて、何の収入のアテもなく人生初の「無給生活」に突入したために、辞める前後は四六時中カネの計算ばかりしていたと言っても過言ではない。
実を言えば、お金の不安をなんとか解消しようと新聞の求人広告にしょっちゅう目を通していた。私にもできる、ラクで、楽しそうで、給料の良い仕事はないかしらと思ったのだ。
どうせ会社辞めたらヒマになるんだし……だが悲しいかな、というか当然のことならがら、50を過ぎた、しかもコレといっったスキルのない人間にそのような仕事はあるはずもないのであった。いやいやそれでも諦めなければきっときっと……と連日目を皿にして広告を眺め続け、ある日ハタと気付いたのである。
私、バカじゃない?
新しい就職先を探すくらいなら、今の仕事をやめないのがどう考えても一番ではないか。好きで始めた仕事だし、ラクとは言えないにせよ給料だって非常に良いのである。
それを手放す覚悟をしたのはほかならぬ自分なのだ。お金や安定した生活の代わりに自由な時間を手に入れるのだと、勇気を振り絞って一世一代の覚悟を決めたばかりなのである。それが何かい? その舌の根も乾かぬうちから再就職? ワリのいい仕事が探せばあるはず? 本末転倒も甚だしい!
……しかし。じゃあどうしたらいいのか。
就職しないなら……投資とか?
だが普通に考えて、そんな簡単にお金が増えるのなら、そもそもこの世に老後不安も貧困問題も存在しないはずだ。それに、たとえ多大なる才覚と幸運に恵まれて、今あるお金を2倍に増やすことに成功したとしよう。それで本当に安心できるのだろうか? 幸せになれるのか?
お金はいくら増やしたとて、あればなくなる。っていうかお金は使うために増やすわけですから、なくなって当然なのである。で、なくなればまた不安になる。つまりはですね、1のお金を2にするという天文学的大成功を収めたところで、どうやったってお金の不安からは逃れられないのではないだろうか?
っていうか、そもそもそんなふうにお金の心配ばかりして、焦ったりあくせくしたり他人を羨んだりしている間に人生が終わっていくんだとしたら、私、なんで会社辞めたわけ? 意味なくないか?
人生とは結局のところ、生きている「時間」のことである。私はその時間を豊かに自由にするために会社を辞めたんである。ならば、その大事な「時間」をお金のせいで焦りと嫉妬と絶望色に染めていいわけがないではないか!
やらなきゃならんのはお金に対する考え方を変えること
ああ一体どうすりゃいいんだー……と、私なりに必死に考えまして、そして、ついに気づいたのであります。
今絶対にやらなければいけないのは、お金を貯めることでも増やすことでも稼ぐことでもなく、お金に対する「考え方」を変えることである。
お金がなきゃ幸せになれない、何も手に入れることができないという考え方から離れて、お金がなくても幸せになれる、いやできることなら、さらに一歩進んで「お金がないほうがむしろ幸せになれる」という発想とスキルを何とかして身につけるのだ。
そうなれば、お金に対してクールに振る舞える。「あってもなくてもどっちでもいいよ」という姿勢で付き合うことができる。さすれば、まさにお金があってもなくても幸せでいられるし、でんと構えていられる。貴重な時間を絶望色で染める必要なんてない。
というわけで、まさにその体を張った価値観転換の記録がこの連載なわけですが、これまで書いてきたことは主に「買わずにすませる」ということについてであった。
あれがなきゃ、これもなきゃやっていけないと思っていたものが、案外なくても良いどころか、ないほうがずっと簡単に目的を達成できるという驚くべき朗報について、わが実体験をお伝えしてきた。つまりは、物を減らし欲を減らすことの大いなる効能について書いてきた。
もちろん、これだけでもわがマネーライフは劇的に変わった。何しろこれまで物事の解決法といえば「買う」一択だったのが、そこに「買わない」という強力な選択肢が加わったのである。
となれば、単純に考えて、私の中ではお金の価値が何の努力もせず自動的に2倍になったということになる。これから私が稼ぐ1万円の価値は2万円相当! これならそんなに稼がずとも十分やっていけそうではないか。こんなうまい話が世の中にあったのだよ。
「もらう」という人生初のスキルを身につける
そして今回はさらに、それとは別の、新たな超強力な生きる手段についてお伝えしたいのである。
それが「もらう」ということである。
何かが欲しいと思った時、買わない、という選択肢もあるけれど、「もらう」という選択肢もあるのだ。私は今、この人生初の新しいスキルを急速に身につけつつある。
で、やってみてよくわかったんだが、この「もらう」という行為がもたらす強力なパワーは、「買わない」よりもさらに強力なのであった。そのことについては、おいおい書いていきたい。
いずれにせよ、この「もらう」というスキルを身につけたことで、私はほぼ完全にお金の心配から解放されたと言っていいと思っている。
何しろ、改めて一から説明しますと、現在の私は、何かが欲しいと思った時、次の3つの方法を検討するのであります。
①あるもので何とかする(買わない)
②もらう
③買う
この数字には意味がありまして、この順番に検討していくのだ。まずは、買わずに済ませる方法を考える。作るとか、あるもので何とかするとかね。それが無理なら、じゃあ誰かにもらっちゃおうと考える。それもさらに無理なら、買う。
いわば「三本の矢」だ。かつて「買う」という一本しかなかった矢が、二本に、そしてさらに三本になったのである。これは実に強力で、こうなってくると「買う」というところまで行き着くことは決して多くない。というか、食べ物を別とすれば、ほとんどないと言っても過言ではない。
さらに言えば、①と②はそれぞれに知恵や工夫や人間力を駆使したクリエーティブな行為であるのに対して、③はカネさえあれば何のクリエーティビティーがなくてもできてしまうので、はっきり言って面白くも何ともない。
「買う」ときは敗北感でいっぱい
というわけで「買うか……」となった時の私は敗北感でいっぱいで、がっくりと肩を落としたりしているのである。
いやー……かつて「買う」といえば、間違いなく人生で最もキラキラした行為だったのに! まるで別の自分に生まれ変わったようだ。買うことがツマラナイだって? ほぼ「解脱」の域に近い気もしてくる。
で、まさにここまでくればお金に振り回されるなどということはまったくないのであった。いやね、世の中にお金持ちはいっぱいいるけれど、失礼ながらいくらお金を持っていても、いやお金を持っているからこそお金に振り回されている人は案外多いようにも思われる。
もちろんそれはそれで一つのエキサイティングな人生ではあろうが、個人的にはまったく羨ましいとは思わない。
幸せとは「足りている」状態なのではないかというのが今の私の結論である。そして、私は今、間違いなく足りているのだ。それも、考え方を、やり方をちょっと変えただけで。
これ以上の現実的な「お金から自由になる方法」なんてあるでしょうかと思う今日この頃である。