貯金することばかりを考えて「今」を楽しめないなら、意味がありません
岸見一郎
Text by Ichiro Kishimi
「目的があって貯金をしようとしているのですが、そうすると普段の生活を切り詰めることになり、楽しく過ごせません」
多くの人にとって「お金」は常に悩みの種。将来の備えや休暇のため、趣味や学費など、さまざまな目的のために、生活費を切り詰めて貯金をしようとします。けれど、その過程は決して楽しいものではないでしょう。行きたいところにも行けないし、食べたいものも食べられない。友達からの誘いも断ることが増える──そうなってくると、明確な目的があったとしてもだんだんと苦しくなってくる。そんなとき、どうしたらいいのでしょう。
哲学者の岸見一郎先生に聞いてみました。
貯金をすることが、何のためなのかを考えなければなりません。それは「幸福」のためではないでしょうか。幸福を求めない人はいないでしょう。問題は、どうすれば幸福になれるのか、幸福であるためにはどうすればいいのかという、手段の選択を誤ることです。
今の時代は何が起こるかわかりません。健康を害したり、会社が倒産して仕事を失ったりすることは、いつでも誰にも起こりうることです。
そう考えると、何かの目的のために貯金するだけでなく、生活のために貯金しておかないと、不慮の出来事に遭遇したときに対処することはできませんから、貯金することは必要であるというのは本当です。
しかし、貯金をしようとして普段の生活を切り詰めなければならず、そのために日々を楽しく過ごせないのであれば、たとえ将来楽しく過ごせて、幸福になれたとしても意味があるとは思いません。なぜなら、人は「今」しか幸福になれないからです。
振り返れば、かつて幸福だった日々はあったでしょう。しかし、そのような日々が現在も続いているのであれば、それは「今」の幸福です。
もしも今は幸福でないと思うのであれば、「あの頃はよかった」と嘆息したところでどうにもなりません。幸福だったのであれ不幸だったのであれ、過去はもはやどこにも存在しないのです。
他方、未来はどうなるかわかりません。未来に幸福になれないというわけではありません。しかし、その未来がやってくるかはわかりません。おそらく明日という日はやってくるでしょう。けれどその明日という日が、今日自分が想像しているような日になるという保証はないのです。
「今」は準備期間ではない
そのように考えると、お金を貯めてもその目的を達成する日がやってくるかわからないのであれば、まず生き方を見直す必要があります。
古来、人生を旅にたとえる人は多いですが、旅のように人生を生きている人は多くないかもしれません。哲学者の三木清は次のようにいっています。
「日常の生活において我々はつねに主として到達点を、結果をのみ問題にしている、これが行動とか実践とかいうものの本性である」(『人生論ノート』)
日常生活においては、何か目的を立て、その目的を達成するためにはどうすればいいかを考えます。結果を出せなければ、その行動は失敗か未完成と見なされます。しかし、旅はそのようなものではありません。
「旅は過程である故に漂泊である。出発点が旅であるのではない、到着点が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である。ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味うことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである」
通勤や出張であれば目的地に到達できなければなりません。しかも、通勤や出張時の移動はできるだけ効率的でなければなりません。
しかし、旅は過程を楽しむもので、急がなければならない理由はありません。たとえ何らかの理由で目的地に到達できなくても、失敗でも未完成でもないのです。どこかへ行こうと決めて旅に出ても、途中で気が変わり行き先を変更するることすらあります。
「人生」という旅も、あてもなく彷徨うことであり、たとえ目的地に着かなくても、過程を楽しむことができればいいのです。「今」は、目的を達成するための準備期間ではありません。人生のどの段階も仮のものではなく、今こそが本番なのです。そうであれば、未来のために必要以上に生活を切り詰めるというのは、人生の本来のあり方とはいえません。
次に、そのために貯金をしている目的は今の生活を切り詰めなければならないほど重要なことなのか、たとえ達成できなくても過程を楽しめるのだろうかなど、目的を見直さなければなりません。
その目的には、さらに上位の目的があります。それが最初に書いた「幸福」です。三木は、この幸福を成功と対置して次のようにいっています。
「幸福が存在に関わるのに反して、成功は過程に関わっている」(前掲書)
成功するためには何かを達成しなければならないのに対して、幸福は何も達成しなくても今ここで、人は幸福で「ある」ことができるということです。相談者の「目的」が何かはわかりませんが、その目的をまだ達成していない今も、すでに幸福であるということです。
目的を達成する過程を楽しめるのであれば、目的を立てることにも、その目的を達成するために貯金すること自体にも問題があるわけではありません。しかし、その目的を達成できないうちは生きることが楽しく感じられなれないというのは、おかしいのです。
電車のなかで携帯端末ばかり見ていれば、季節の移ろいに気がつきません。倹約することばかり考えていないで、今ある幸福に気づいてください。