第6回 心理療法2 ―ユング派のアプローチ―
第6回 心理療法2
―ユング派のアプローチ―
ユング,C.G.の創始した分析心理学の理論と技法、その後の発展について概説する。
【キーワード】
分析心理学、普遍的(集合的)無意識、元型、コンプレックス、シンクロニシティ、夢分析、箱庭療法
1.ユングの幼児期
カール・グスタフ・ユング
「いつも自分が二人の人物であることを知っていた」第一人格は意識の中心である「自我」で、第二人格は「自己」に相当する。
自分の人生は「無意識の自己実現の物語」であった。
「私は自分の知らない何者かの基礎の上に存在している。」
ユングは、生涯にわたって、自我(私:意識)は自己(知り得ない者:普遍的無意識 collective unconscious)によって生み出されているのだと実感し続けたと言ってもよいかもしれない。
「地下のファルロスの夢」
「手製の人形と石」
心の深層の「普遍的無意識」を通して人々が繋がっているという確信である。
「個人の現実的な人生経験を超えた人類に共通する「心の型」(元型)」という点です。個人の経験を超えているとは、どういったことでしょう。「集合的無意識」は、「個人的無意識」のさらに深いところにあり、個人の現実的な人生経験を超えた人類に共通する「心の型」(元型)によって構成されています。
「意識」(consciousness)
「個人的無意識」(Personal Unconscious)
「集合的無意識(普遍的無意識)」(Collective Unconscious)
2.少年期・学生期
霊(霊的現象)の存在に関心を示している。
降霊術の会に行って、そこで観察したこともふまえて、オカルトに関する博士論文を書いた。
降霊術にはトリックがあることも見抜いていたが、「しかしなぜ幽霊が存在すべきではないのか」という素朴な疑問を提起している。
3.精神科医になった頃
クラフト・エビングのテキストに精神病は「人格の病」であると書かれているのに感動し、精神医学の道に進むことを決意した。リヒャルト・フォン・クラフト=エビング男爵(Richard Freiherr von Krafft-Ebing, 1840年8月14日 – 1902年12月22日)は、ドイツおよびオーストリアの医学者、精神科医である。
カタトニー 緊張型統合失調症ともいう。 統合失調症の一種で、唐突に興奮する、あるいは無反応になるなどの状態になる。 一定の姿勢を保ち続け、周りの人が無理に体を動かそうとすると、頑なに抵抗しようとする。
ユングは、臨床経験を踏まえて「心理療法と分析は、人間一人ひとりと同じほど多様である」「問題の解決は常に個人的なものである。」という結論に達した。
4.フロイトとの交流
「夢分析」の数年後、「抑圧」理論に強い親近感を覚えるようになった。
「言語連想検査」
無意識の「コンプレックス」が推定される。「コンプレックス」とは、「感情に色付けされた複合体」、ある強い感情を伴う観念が無意識下に存在し、そこにさまざまな観念が複雑に絡まっている状態と言ってもよいだろう。
「シンクロニシティ synchronicity」(共時性) シンクロニシティ(英語:synchronicity)とは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では主に「共時性」と訳され、他にも「同時性」もしくは「同時発生」と訳される場合もある。例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つこと。ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ[1][2]。
❶心の状態(夢、ビジョン、予感)が現実化すること。
例)「予知夢」「正夢」(夢に見たことが現実に起きる)
❷離れた場所で起きていることを、同時刻(同時)に、心と体に類似の現象が発生すること。
例)Aさんのことを夢を見た同じ時間にAさんが亡くなっていた。
5.ユング派のセラピストたち
古典学派、発達学派、元型学派
古典学派:意識的にユングの伝統に従う
発達学派:人格形成における乳幼児期の重要性と臨床実践における転移ー逆転移の分析を強調する
元型学派:心理療法の過程で「魂 Soul」のイメージによって経験を深める
アクティブ・イマジネーション 混沌としていて、人の心はもちろんのこと、自分の本心さえも見えにくい現代社会。自分自身との「対話」を重視したユングの心理学は、現代を生きる私たちに何らかのヒントを与えてくれるハズです。
アクティヴ・イマジネーションの世界―内なるたましいとの出逢い
アクティヴ・イマジネーションは、全体性を実現するユング心理学最強の道具であり、夢解釈を単独で用いるよりもはるかに効果的である。さまざまな事例を通して、無意識と出逢うための諸段階、陥りやすい陥穽、効果を示す。
とりふね あまの【天の】 鳥船(とりふね)
磐船神社 物部氏の遠祖神(とおつみおや)天孫饒速日命をお祀りする神社です。
天の磐船を御神体とする饒速日命降臨の聖地です。
十種瑞宝鎮魂は日本の祈祷の根本であり、饒速日尊が天照大神より授かり伝えたものです 。
珍敷塚(めずらしづか)古墳
古墳時代後期(6世紀)に造られた円墳。昭和25年、採土工事中に発見されたものですが、現在奥と右側の壁のみが残されています。珍敷塚古墳の最大の特徴は、奥の壁に描かれた壁画で、古代人の信仰思想の一端をうかがい知ることができる貴重な資料です。
奥壁の壁画、左上には大きな同心円文が、その下にはゴンドラ形の船があります。その船の舳先(へさき)には鳥が止まっており、櫂を持つ人物が船を操る姿が見えます。中央には、死者を守るためなのか、弓矢が入った靭※が3個並んでおり、大きな蕨手文※が左の靭の間から描かれています。右端の靭の隣には弓と盾を持った人物がおり、その下には古代中国で月に住むと言われたヒキガエルが2匹描かれ、上のヒキガエルの横には小円文があります。
このように、珍敷塚古墳の壁画には、ここに葬られた人物が、太陽の輝く陽の世界から、月の支配する陰の世界へ、鳥の導く船で現世から来世へと旅立とうとする姿が表されているといわれています。
現在、この壁画は保存施設内にあり、予約すれば見学することができます。
※靭(ゆぎ)・・・矢を入れ、腰につけて持ち歩く筒形の容器
※蕨手文(わらびてもん)・・・ワラビの形に似た渦巻状の文様で、呪術的な図文と考えられている
(国指定史跡)
福岡県うきは市吉井町富永(よしいまちとみなが)にある装飾古墳。石室は奥壁と右壁基部の一部を除き破壊されているが、もと長さ4メートル、幅2メートルほどの横穴式石室であったとみられる。奥壁は高さ約1メートル、幅約2メートルの花崗(かこう)岩の一枚石で、表の全面に雄大な彩色画が描かれている。中央に大きく三基の靭(ゆき)と蕨手文(わらびてもん)を配して構図の主構成とし、その左右には繊細な図像が描かれている。左側は中心を赤く彩った太陽を表す同心円文であり、その下に舳先(へさき)に鳥が止まり、櫂(かい)を漕(こ)ぐ人物の乗った船、右側には蟾蜍(ひきがえる)などが描かれている。画(え)の全体は赤色の太い輪郭線を主調として整え、背後の下地は青色で埋められているが、器物、人物など要所は色を塗り残し、黄色い花崗岩の素地を巧みに生かして全体を際だたせている。蟾蜍は中国では月の象徴であり、同心円文の日輪とあわせて、大陸の葬送思想を表した装飾古墳として興味深い。1953年(昭和28)国の史跡に指定された(86年屋形古墳群に名称変更)。
[三輪嘉六]
船の上には鳥が乗っている。この船は冥界に向かうものと言われている。
補陀落渡海 補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本の中世において行われた、自発的な捨身を行って民衆を先導する捨身行の形態である。
集合的無意識(Collective unconscious)とは、分析心理学者C.Gユングが提唱した「無意識」に関する概念であり、個人の人生経験から構成されうる「個人的無意識」と区別された、心の深層に潜在する人類に共通したパターン(元型)で成立する「無意識の層」である。
ユングは『元型論』(紀伊国屋書店)の中で、集合的無意識について次のように記している。
「集合的無意識とは心全体の中で、個人的体験に由来するものでなくしたがって個人的に獲得されたものではないという否定の形で、個人的無意識から区別されうる部分のことである。個人的無意識が、一度は意識されながら、忘れられたり抑圧されために意識から消え去った内容から成り立っているのに対して、集合的無意識の内容は一度も意識されたことがなく、それゆえ決して個人的に獲得されたものではなく、もっぱら遺伝によって存在している。」
『元型論』(C.G.ユング 訳 林義道 紀伊国屋書店)p12
このユングの集合的無意識は、「神々の沈黙」で言われている「右脳の言語野は、神の言葉のためのものだった」と同じものなのだろうか。
神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡
紀元前2000年から現在までの4000年間のどこで何故人類に意識(内観)が発生したか?の仮説と、その仮説の神話・考古学・精神医学・脳医学による根拠付け。
1.ここで言う意識は所謂内観であり、知覚・学習・判断ではない。知覚・学習は人類以外の生物にも見られる。
2.意識は約3000年前に、言語の比喩とその連想投影をきっかけとして、外界をシミュレーションする空間を自分の内面に作り出したことにより発生した(言語の発生時期は諸説があるが約50000年前?)。
3.3000年以上前の人類は意識を持っておらず(即ち自分という認識がない)、右脳が発する「神」の声に従い行動していた。
この状態は現在の統合失調症患者の行動と類似している。
4.意識発生後、徐々に聞こえなくなってしまった「神の声」(万能の絶対者)を求めて、宗教が興隆した。
5.その後科学が興隆し宗教が衰退したが、所詮科学も「真実」と言う万能の絶対者を求める宗教の亜流である。
6.上記4.5.は沈黙してしまった「神の声」を補償せざるを得ない人類の逃れられない性(^^;)
ホモ・デウス
大人数の集団は、少人数の集団とは、根本的に違う行動を取る。
脅しと約束は、安定した人間のヒエラルキーと大規模な強力のネットワークを生み出すのにしばしば成功する。
人々が、そうしたヒエラルキーやネットワークは、人間のただの気まぐれな思いつきでなく、必然的な自然の摂理あるいは神の神聖な命令を反映していると信じない限りは、大規模な人間の強力はすべて、究極的には想像上の秩序を信じる気持ちに基づいている。
人間が神の声を聞いているときは、狩猟採集民の生活集団である平等主義傾向があった。霊長類には自然な道徳性が備わっており、平等は普遍的で不変の価値観であると信じられている。しかし、人間が進歩の過程で、小集団が大集団となり、階層と格差を作るようになると、だんだんと神の声が聞こえなくなり、不平等な社会となり、憤りや不満が発生し、正しく機能しなくなっている。