第15回 司法と犯罪心理学・非行臨床の課題と展望-司法における「人」の復権
司法・犯罪心理学(’20)
Forensic and Criminal Psychology (’20)
主任講師名:廣井 亮一(立命館大学教授)
【講義概要】
公認心理師法における「司法・犯罪分野」の要点を踏まえて、少年事件、刑事事件、家庭紛争事件の3部で構成する。
第1部は、司法における犯罪心理学、非行臨床をもとに少年事件を取り上げる(第1回~第4回)。第5回では犯罪者・非行少年の更生に関わる専門家の活動を紹介する。
第2部は、児童虐待、高齢者虐待、離婚と面会交流などの家庭紛争事件、さらに体罰問題など学校に関わる問題への対応を解説する(第6回~第9回)。
第3部は、攻撃性をもとに犯罪の4類型を理解したうえで、ストーカー犯罪、凶悪事件の精神鑑定例、犯罪被害者への贖罪を取り上げる。また、司法における心理臨床家の活動も紹介する。最後に現在の司法の潮流である司法臨床、治療的司法、加害者臨床をもとに、司法・犯罪心理学の展望と課題を解説する(第10回~第15回)。
【授業の目標】
公認心理師法における「司法・犯罪分野」の要点である、少年事件、刑事事件、家庭紛争事件の3部門を学ぶ。そのうえで司法の枠組みを踏まえた、少年への非行臨床、成人への加害者臨床、家庭事件への家族臨床の展開を理解することを目的とする。
【履修上の留意点】
新聞等で少年や成人の事件、家庭での虐待事件等の報道を読み、現代の少年非行、成人犯罪、家庭事件の特徴を考えておく。さらに、講義で関心をもったテーマを各自でさらに深く学ぶこと。
第15回 司法と犯罪心理学・非行臨床の課題と展望-司法における「人」の復権
わが国の司法において大きな潮流となっている司法臨床と治療的司法を講義する。それは従来の司法からの脱皮でもある。司法的機能をいかにして臨床的に活用するか、刑事裁判をどのようにして問題解決型裁判所として機能させるか、について考える。以上をもとに、これからの司法・犯罪心理学・非行臨床の展望と課題を述べる。最後に、非行少年と「悪」について論じる。
【キーワード】
当事者主義的司法、治療的司法、司法臨床、問題解決型裁判所、悪理学
はじめに、法の人間勘の相対化
伝統的な法の人間観について「現代急速に進歩している社会心理学、神経科学、行動経済学など人間諸科学は、そうした法における人間理解に大きな疑問を突きつけている」と指摘し「人間の知的営為としての法が抱えてきた根源的問題の延長において理解し対処するための準備」の必要性
1.当事者主義的司法と治療的司法
(1)当事者主義的司法
(2)治療的司法
問題解決型裁判所
ドラッグコート
2.少年司法と非行臨床の課題
(1)問題解決型裁判所としての家庭裁判所
(2)少年司法の構造
(3)少年司法と非行臨床の課題
(4)家庭裁判所の現状
3.司法・犯罪心理学の展開のために
(1)法律家と臨床家が共通の目標に向かって協働すること
(2)法律家と臨床家もお互いをよく知ること
(3)法の軸と臨床の軸による細分化
(4)加害者臨床の展開のために
エピローグ 「悪」は排除されなければならないのか
(1)非行少年と「悪」
(2)悪理学
依存症 – メンタルヘルス – 厚生労働省
悪理学の三原則
L.ワトソンさんは、「善」というものと「悪」というものについて考え、次のような三原則を提案してたりする。
- よいものは、場所を移されたり、周囲の文脈から外されたり、本来の生息環境からどけられたりすると悪いものになりやすい。
- よいものは、それが少なすぎたり多すぎたりすると非常に悪いものになる。
- よいものは、お互いに適切な関係をもてなかったり、つきあいのレベルが貧困化したりすると、きわめて悪質なものになる。
悪理学の考え方
うん、何となく、ぜんぶしっくりくる考え方のような気がする。
つまり、ワトソンさんは、「善」と「悪」は、裏と表の関係、よーするに、「善」の反対が「悪」ではないって言ってる。「善」と「悪」は相対的なものっていうのが結論。
「悪」を排除することはできない
ということで、「悪」を排除していって、完全な「善」の状態を達成しようと考えることは、人間っていう存在自体を否定してるってことになるみたい。
まあ、「善」と「悪」は紙一重ってことかな。
参考図書
ダーク・ネイチャー〜悪の博物誌 筑摩書房
ライアル・ワトソン『ダーク・ネイチャー』(筑摩書房)
を、読み始める。
副題「悪の博物誌」が示すとおり、「邪であることの起源と意味」を、宗教学や倫理学ではなく「進化生物学、人類学、心理学における最近の発見に準拠しながら」探求しようという野心的な一冊である。
ワトソンは、「行動の規則を問題とする」「倫理学 ethics」に対して、「非行を問題とする」学問を「悪理学 pathics」と名づける。悪理学には三つの公式がある。
1.秩序は、場所の喪失によって乱される(質)
2.バランスの喪失によって秩序は乱される(量)
3.秩序は多様性の喪失によって破壊される(交流)
それぞれについて、オーストラリアに持ち込まれ、野生化して生態系を撹乱したたウサギの事例や、生物の教科書にも載っていた北米の野ウサギとオオヤマネコの増減の事例などを引いて説明しているが、日本において起こっているさまざまな問題も、これらのいずれかに該当するな、と思った。
1.については、例えば各地でいざこざを引き起こしたブラックバスやタイワンザルなどの外来種。2.は、天敵であるオオカミが絶滅し、その上手厚く保護されているためシカが増えすぎた事例。この場合、少なすぎるオオカミも多すぎるシカも「悪いもの」である。3.は、今や国民病となった花粉症の主要原因を生産する、放置されたスギ林。
一方でワトソンは、「ゴルディロックス効果」というものを紹介する。ゴルディロックスとは、童話『三匹のクマ』のヒロインで、クマの家にはいり込み、「自分に「ちょうどいい」もの」を手に入れる少女である。進化とは、正の方向であれ負の方向であれ「○○すぎる」ことのない「ちょうどいい」を目指すのではないか、と示唆する。そしてそれが、「善」なのではないか、と。
善と悪は、道教のシンボルのように半々なのではなく、正の方向に過剰な領域と負の方向に過剰な領域、両方が「悪」であり、それらの中間の細い帯状の部分が「善」なのではないか、という説は説得力がある。
この本の原書は1995年に出版されており、日本語版の刊行は2000年である。「凶悪な」としか形容のしようのない事件が起こり続けている今、タイムリーな一冊だと思う。大きな枠組みが変わらない限り、科学的な考察は古びない。
https://www.u-tokyo.ac.jp/publiclectures/121.html
第121回(平成27年春季)東京大学公開講座
「悪」
当事者主義的司法と治療的司法に関する次の①~④の記述から,誤っているものを一つ選びなさい。
① 当事者主義的司法とは,自由意思をもつ主体的存在としての人間観を基本前提として展開される伝統的な司法である。
② 当事者主義的司法では,国家の刑事罰権(検察側)と加害者の人権(弁護側)という対立的な関係図式で法的論戦を行う。
③ 治療的司法とは,犯罪者の抱える問題や犯罪の背後に潜む問題について解決を提供することによって安心安全な社会を目指す新しい司法である。
④ 日本における治療的司法として,薬物事犯に特化した問題解決型裁判所がある。
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正解は④です。
【解説/コメント】
自由意思をもつ主体的存在としての人間観を,基本前提として展開される伝統的な司法が当事者主義的司法である。
これをもとにした刑事裁判では,国家の刑事罰権を有する検察側と加害者の人権を守る弁護側,という対立的な関係で法的論戦を行います。検察官が被告人の罪を指摘して処罰を主張します。弁護人は冤罪はもとより過度の刑罰が下されないように被告人の権利を守るという対立構造で展開されます。
裁判官らは証拠に照らして,罪の認定と量刑を決定します。犯罪が立証されれば,その罪に対する応報として国家が,犯罪者に対して刑務所などで刑罰を科します。これが,わが国のみならず刑事司法の基盤になっている伝統的な司法観です。
治療的司法とは,1980 年代にアメリカで提唱された治療法学に基づく新しい司法観が「治療的司法」です。犯罪者の抱える問題や犯罪の背後に潜む問題について解決を提供することによって安心安全な社会を目指す,まったく新たな刑事司法の思想的潮流です。
たとえば,アメリカ,カナダ,オーストラリアなどでは,薬物犯罪など特定の犯罪に特化した問題解決型裁判所で実践されています。日本では薬物犯罪など特定の犯罪に特化した問題解決型裁判所はありません。
司法的機能と臨床的機能及びその認識論に関する次の①~④の記述から,誤っているものを一つ選びなさい。
① 司法的機能と臨床的機能の交差領域に浮かび上がる機能が,司法臨床の機能である。
② 家庭裁判所の少年事件では,司法的機能だけでアプローチしている。
③ 直線的因果論とは,原因が結果を規定するという認識論で,司法判断の根幹をなすものである。
④ 円環的認識論とは,事象を円環的,回帰的な関係の連鎖の中で捉えるシステム論的家族療法の臨床的認識論である。
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正解は②です。
【解説/コメント】
司法臨床の機能は,その司法と臨床の協働,すなわち司法的機能と臨床的機能の交差領域に浮かび上がる機能が司法臨床の機能です。
家庭裁判所の少年事件では,司法的機能と臨床的機能の協働,すなわち司法臨床の機能でアプローチしています。
直線的因果論とは,原因が結果を直線的に規定するという因果論に基づきます。犯罪事実の認定や当事者の責任を明らかにするための司法判断の根幹をなすものです。
円環的認識論を採用しているシステム論的家族療法などでは,原因が結果を規定するという直線的因果論によらず,事象を円環的,回帰的な関係の連鎖の中で捉えることが特徴です。
■開講にあたって
かくして、悪は人間にとって宿命である。それゆえに、宗教、文学、哲学、法学、倫理学などの文化領域や人文科学は、伝統的に、人間の悪しき性をその最も重要な主題の一つとしてきた。これに対して、自然法則の探求をめざす自然科学や、あるいは価値自由な客観的認識をめざす社会科学にとっては、悪という観念は無縁であるようにも思える。しかしあらゆる学問研究は、究極的に人間に関わる。それは、悪をもなしうる存在である科学者によって担われ、その過程と成果とは、何らかの意味において必ず人間に対して影響を及ぼす。それゆえ、医学はもちろん、たとえ純粋に自然法則の認識を目的とする学問といえども、何らかの形で「悪」と係わり合わざるを得ない。実際に、これまで多くの学問領域でさまざまな事物が「悪」、あるいは悪性のものとみなされてきた。また、純粋な学問的活動の成果が、人間にとって悪しきものと判断されることも稀ではない。
さまざまな学問領域の中で、人は「悪」とどのように関係してきたのか。何を「悪」と評価してきたのか、それはなぜなのか、その評価は歴史の中でいかに変化してきたのか。このような問いと取り組むことで、それぞれの学問が自己をいかなるものとみなし、人間にいかに役立とうとしてきたのかを考えてみたい。
委員長 西川 洋一
(東京大学大学院法学政治学研究科長)