第14回 世界の考古学② -西アジア-

第14回 世界の考古学②-西アジア-
1 人類史における西アジア
2 考古学からみた西アジアの先史時代
3 西アジア考古学の貢献
【キーワード】
ヒトの進化と拡散、定住、農耕牧畜、古代文明、国家、文字、都市、宗教、社会の複雑化、考古学の方法論


1.海外の考古学

西アジアとは、いわゆる中近東。アジア大陸の南西部に位置する北アフリカの一部を含めることもある。

地理的というよりは、文化的地域である。

西洋文明の起源地。ギリシャ、ローマ文明より古いメソポタミア文明。

旧約聖書(ユダヤ教)、新約聖書(キリスト教)の記述

19世紀から発掘が始まるC.レイヤード(イギリス)、E.ボッタ(フランス)らの大規模調査。

ホルサバード遺跡

19世紀から発掘が始まる、

C.レイヤード(イギリス)イギリスの旅行家、考古学者、楔形文字研究者、美術史家、美術品収集家、作家、政治家、外交官であり、ニムルドの発掘でよく知られている。、

E.ボッタ(フランス)、フランス外交官考古学者アッシリア学の草分けで、1843年にコルサバード(ドゥル・シャルキン)のサルゴン2世の王宮を発掘したことで知られる。

日本では

1956年 西アジア各地

1968年 ペルー アンデス調査団

1959年 南アジア ガンダーラ仏教遺跡調査団

2.西アジアの考古学的課題

更新世(こうしんせい) : 地質時代の年代区分の一つで,新生代の第四紀を二分したときの前半の世。 洪積世,最新世ともいう。 人類の出現した時期で,約 258万年前から約 1万1700年前の期間にあたる。 およそ氷河時代に相当し,氷期,間氷期を数回繰り返し,古気候,海水準の変動,生物群の変遷,火山活動などに著しい特徴がある。
完新世(かんしんせい) : 地質時代の区分の一で、最も新しい時代。更新世の最後の氷期が終わり、温暖化が始まった1万年前から現在まで。人類が大発展し、ほぼ新石器時代以降にあたる。沖積世 (ちゅうせきせい) 。現世。
更新世(こうしんせい)
前期旧石器時代   200万年前   人類が西アジア進出
中期旧石器時代   25万年前    現生人類の拡散
後期旧石器時代     5万年前    現生人類の本格的拡散
終末旧石器時代        2万年前    定住的狩猟採集
完新世(かんしんせい)
新石器時代     1.15万年前   農耕牧畜の開始
           9000年前   土器製作の開始(文字のルーツ トークン小型土製器)
銅石器時代      7500年前   社会の複雑化進展
青銅器時代      5000年前        古代文明が開花、文字が出現したこれ以降は歴史時代
鉄器時代       3500年前        ユダヤ教、古代帝国が発展する。
ローマ時代       2300年前        キリスト教
イスラム時代       7世紀以降        イスラム教

(1) アフリカ大陸からユーラシア大陸へのヒトの拡散

600万年前 アフリカ大陸で誕生
200万年前 ユーラシア各地に拡散
      シリア アイン・アル=フィル遺跡(アフリカと同じ石器技術)
180万年前 ジョージア ドマニシ遺跡
160万年前 ウベイディア遺跡(アフリカと同じ石器技術)
30万年前 アフリカ大陸で現生人類が誕生
10万年前 西アジアに拡散
5万年前  ユーラシア大陸に定着
      西アジアでは、ネアンデルタール人と一定期間、共存していた可能性がある。

西アジアの旧石器時代:Paleolithic age in Southwest Asia

ジスル・ベノート・ヤコブ遺跡 イスラエル北部ゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡
イスラエル スルーフ カフゼ両洞窟 アムッド洞窟 アムッド人とその人類進化上の意義
ネアンデールタール人骨と共伴石器

(2) 食料生産経済の開始(新石器時代)

ムギ類とマメ類の栽培と、中型家畜の飼育
肥沃な三日月地帯
G.チャイルド 新石器革命
ヴィア・ゴードン・チャイルド(Vere Gordon Childe、1892年4月14日 – 1957年10月19日)は、オーストラリア生まれの考古学者文献学者。ヨーロッパ先史時代の研究を専門とし、新石器革命(食料生産革命)、都市革命を提案した。また、マルクス主義の社会・経済理論と文化史的考古学の視点を結合させ、異端視されたマルクス主義考古学英語版の提唱者でもある
終末旧石器時代        2.5〜1.15万年前    オハロ第二遺跡 23000年前頃の穀物の耕作
終末旧石器時代後葉   1.5〜1.15万年前     シリアのアブ・フレイラ遺跡
新石器時代の前半 先土器新石器時代 史跡からムギ類が多く出土
G.チャイルドのオアシス説  チャイルドのオアシス仮説(oasis theory)
→ヒトが動植物が水辺に集中した結果、始まった
→農耕牧畜に適した植物が自生し、かつ動物が生息していた地域における長期にわたる文化蓄積の結果
人口説
→定住と集約的な動植物利用が進んだ結果、人口が増大し、非適地に拡散した集団が食料生産を始めた
先土器新石器時代の半ば、1000年前頃以降 栽培家畜種が確立

(3) 古代文明の発生

新石器時代 初期農耕社会である。
自給自足ではなく社会分業にもとづく集住システム
「都市革命」(G.チャイルド.1930)
  ・高い人工密度
  ・専業集団の存在
  ・金属器生産
  ・社会階級
  ・官僚組織
  ・文字
イラク テル・サラサート遺跡   Tell Thalathat イラク北部,アルマウシル西方約 60kmにある遺跡。 1956年以来東京大学イラク=イラン遺跡調査団が発掘を行なっている。遺跡は5つのテルから成る。第2号丘の文化は,新石器のハッスーナ期 (前 6000~5500頃) ,ウバイド期 (前 4000~3500頃) ,ウルク期 (前 3500~3000頃) ,の3期に分けられる。ハッスーナ期には,住居が竪穴から方形建物に変化し,粗製土器がつくられた。ウバイド期には,周囲に溝をもつ村落が形成され,彩文土器が製作された。ウルク期には,小神殿が建てられ,刻文土器が焼かれた。第5号丘は,ニネベ第5期 (前 3000頃) のテルで,方形の倉庫,円形の土器を焼くが築かれた。彩文の台付き大鉢,円筒印章が発見された。第1号丘の最上からは前 1500年頃 (フルリ時代) の構築物が発掘された。しかし第1,3,4号丘のほとんどは未発掘である。
メソボタミアの古代文明 都市社会

アッカド帝国 わずか200年で滅亡した古代国家「アッカド帝国」の謎

アッカド帝国で鋳造された「バセトゥキ像」(Photo by Paula Bronstein/Getty Images)

しかし、そのアッカド帝国はわずか200年という短い期間で消滅した。学術誌「ジオロジー(Geology)」に掲載された論文によると、その背景には気候変動があったようだ。
中東では年に数回発生する「シャマール」と呼ばれる強風が大規模な砂嵐を引き起こしている。アッカド帝国の首都テル・レイラン周辺の当時の気温や降雨パターンを分析するため、日本の北海道大学の研究チームは、オマーン北東部の海岸に津波の影響で流れ着いた3000~4600年前のハマサンゴの化石のサンプルを調査した。
ハマサンゴは霰石という炭酸カルシウム(CaCO3)を使って石質の骨格を形成する。サンゴに含まれる炭素や酸素の化学的特質や同位体特性を研究することで、海上の気温を推定し、さらには周辺の降水量と蒸発量のバランスを確認することができる。
その結果、アッカド帝国が滅亡した約4100年前の冬のメソポタミア地域は、極度に乾燥し、寒冷な気候だったことが分かった。
ここから推測できるのは、天候不順が作物に深刻なダメージを与え、飢饉や社会不安を引き起こしていたことだ。弱体化したアッカド帝国は周辺の部族の餌食となり、侵略により滅亡したと考えられる。
アッカド帝国の滅亡と同じ時期に世界規模の干ばつが起こり、複数の文明が破滅した「メーガーラヤン(完新世後期)」と呼ばれる時代が始まったとされている。
バビロニア バビロニア(Babylonia)
《バビロンの地の意》西アジア、メソポタミア南東部、チグリス・ユーフラテス川の中・下流域地方の称。 世界最古の文明の発祥地。 シュメール人の文化のもとに、シュメール・アッカド2民族の共生が進み、アッカド王朝・ウル第3王朝を経て、前19世紀バビロン第1王朝が成立。
ヒッタイト ヒッタイトの位置 ヒッタイト人はインド=ヨーロッパ語族に属し、前17世紀中ごろ、小アジア中心に王国を建設し、一時はメソポタミアに進出し帝国の支配を拡げた。都はハッシュシャ。西アジアに鉄器をもたらす
ヒッタイトはインド=ヨーロッパ語族に属する一民族で、前1900年頃、西アジアに起こった広範囲な民族移動の動きの一つとして東方から小アジア(アナトリア=現在のトルコ)に移住し、既にその地で始まっていた鉄器製造技術を身につけ、有力になったと考えられている。ヒッタイト人はハッティともいわれ、前1650~1200年頃にかけてその地を支配し、さらに西アジアのメソポタミア地方にも進出した。
前1680年には、ヒッタイト王ハットゥシリ1世はハットゥシャ(ハットゥシャシュともいう。現在のボアズキョイ)を首都として王国を建設、さらに前1595年にはバビロンを攻撃、バビロン第1王朝を滅ぼし、アナトリアからメソポタミアに及ぶヒッタイト帝国となった。
南メソボタミアのエリードゥ遺跡
メソポタミアは古代文明発祥の地!メソポタミア文明の5つの特徴と歴史
シュメール社会  シュメールは「葦の多い地方」という意味で治水が難しく、大洪水が度々農地や都市を押し流し、厳しい暑さとともに人々を苦しめた。一説によると、『旧約聖書』の創世記はに納められている「ノアの箱船」の原型はシュメール社会(『ギルガメシュ物語』ウトナピシュティムという賢人が家族と一緒に大洪水から救われた)にあったといわれている。
楔形文字のルーツは、新石器時代から用いられていたゲームの駒のような小型土製品(トークン)にあったとされている。

楔形文字の起源

最古の楔形文書は、シュメールの都市ウルクで発見されており、ウルク期の後期、紀元前3100年ごろの地層から約5000枚もの大量の粘土版に記されていた線描絵文字がその起源と考えられており、それらは「ウルク古拙文字」ともいわれている。その内容は85%が物と数量を記した記録で、残りの15%が文字リストである。文字リストとは語彙集でもあり、書記になることを目指して読み書きを習っていた生徒が残したもだった。これら古拙文書に記された文字は、神殿の財の出納管理の役割を果たす実用化された文字であり、後の完成された楔形文字に比べて画数は多いが、絵文字というよりは楔形文字に近いものになっている。 最近(1992年)、アメリカのテキサス大学美術史学科のデニス・シュマント=ベッセラ教授は、ウルク古拙文書に見られる絵文字は「トークン」と呼ばれる小さな粘土製の計算具を先の尖った筆記具で粘土版上に書き写したもので、楔形文字の起源はトークンにある、という新説を発表、注目されている。<中田一郎『メソポタミア文明入門』2007 岩波ジュニア新書 p.64-74>

世界最古の文字はメソポタミアで誕生した「ウルク古拙文字」だ。(歴史の世界を綴る)

(4) 世界宗教の誕生

前1千年記ユダヤ教、後1世紀キリスト教、後7世紀イスラム教が誕生した地。こうした世界宗教がどのような社会背景で誕生し発展したのか
ダビデやソロモンらの王国時代
始祖モハンメッド
ダマスカスを首都とするオマイヤド朝 シリアの中心都市で古代のアラム人の交易都市として始まり、イスラーム勢力支配後はウマイヤ朝の都となる。その後マムルーク朝、オスマン帝国の支配などを経て、現在はシリアの首都。

3.西アジア考古学を学ぶ意味

人類史の普遍的課題
  ・アフリカからユーラシアへの人類拡散
  ・農耕牧畜の開始(一次的新石器化)
  ・古代文明の発生
  ・世界宗教の背景
第二次大戦の反省にたって文明とは何なのか
ぶん‐めい【文明】 の解説

人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。 特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。

(1) 世界の考古学潮流
(2) 文化遺産保護の問題
H.ローリンソン 19世紀、古代オリエントの楔形文字の解読に成功したイギリス人。
バーミヤン仏像の破壊
ニネウ゛ェ、ハトラ、バルミラ
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