死ぬこと以外かすり傷とは、
死ぬこと以外かすり傷とは、
この言葉は、ちょっと前にテレビドラマで「ハゲタカ」の主人公が言っていた言葉と記憶している。
「死ぬこと以外かすり傷」
「泥水をすすってでも生きろ」
「夢とは実現する意思のない人間が使う言葉」
「自力で飛ぶ覚悟を持て。話はそれからだ」
「私はまだ、生きている。これから宣戦布告です」
「ピンチこそチャンスです」
「重要なのは、勝つこと以上に負けないことだ」
いろいろ名言が記憶に残っているが、ここでは一番の名言「死ぬこと以外かすり傷」について考えてみたい。
人間には、生老病死(生まれること、年老いること、病に罹かかること、死ぬことの四つ。 「生老」を「せいろう」と読み誤らない。)がある。
この仏教でいうところの四苦。苦は「苦しみ」という意味ではなく「自分の思うようにならないこと」の意味で、
生きている限りは避けることのできないこの世での人間の苦悩のことです。
これに愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を足して八苦という考え方もあります。
愛別離苦は愛する者との別離、
怨憎会苦は怨み憎んでいる者に会うこと、
求不得苦は求める物が得られないこと、
五蘊盛苦は五蘊、つまり人間の肉体と精神が思うがままにならないことを言います。
四苦八苦という言葉がありますが、非常に苦労するさまや、大変大きな苦しみをあらわす時に使う言葉です。
「死ぬこと以外かすり傷」とするならば、
四苦八苦のうち死以外の苦は、かすり傷になるのだろうか
ならば仏教でも死の1苦のみで良いのではないだろうか
死以外は、どんなに自分の思うようにならなくても、かすり傷である。
いじめ、家庭環境の問題、破産、過労、男女間のもつれ、末期がん・うつ病になること、事故で下半身不随になること、失明して目が見えなくなること、多額の借金を抱えること、親友に裏切られることなどもそして人生に絶望し生きているのが死ぬより辛くてもかすり傷
これらのことをすべて経験した上で言えるのだろうか。
それともこれから経験するであろう艱難辛苦(かんなん-しんく)に立ち向かうための言葉なのだろうか
私は、後者だと思う。自分を奮い立たせる言葉であり、他人を奮い立たせる言葉になる。
この世の中、精神的に弱い人間は、人生生きるだけで大変なことが多くなっている。
生物学的には、生きているだけで他のことは何のことないと言っている人がいましたが
人間は考えてしまったら、他人と比較してしまったりいろいろ複雑で大変になる。
また、欲があるためにどろどろな事柄が発生しているように思う。
子曰はく、
「吾、十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順ふ(したがふ)。
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰えず(こえず)」と。
言っているが、私は50歳を超えても「不惑(惑わないこと、心が乱れたり悩んだりしないこと)」は、まだまだそんな心境にはなれない。
また、「70歳にして心に従って振舞っても道を外すことがなくなった(=自分の思うままに行動をしても人としての道理を外れることはなくなった)。」と
なれれば、本来の生物として生きるだけを精一杯おこない死んでいくそれ以外はすべてを受け入れるようになれれば
「死ぬこと以外かすり傷」は、あながち間違いでもないのかな。