悪い無職になりたい。週の初めの月曜日

障害年金更新(はじめての更新)の結果待ち状態。

今週も、会社に行くのかと思いながら在宅勤務をしている。

2年休職していたため、今年は有給休暇を貰えないので、休むと欠勤になってしまうので、どうにか休めないか考えている。

今週は、健康診断の二次検査のため公用外出使えるか確認中。

残業はしないで、その穴埋めに、障害年金を当てているので、

更新が上手くいって、同額を頂けると助かります。

貰えなかったら、どうしようかな。

更新申請を送付してから三週間経過したが、まだ結果が返ってこない。

とても心配である。

労働(負け組) + 障害年金受給者(勝ち組) = ハイブリットな特権階級

このような特権階級ではあるが、純粋な特権階級(生活保護者)には、まだ昇れていない。

しかし、このハイブリットな特権階級も、障害年金の更新が出来なかったら、

ただの労働者階級に、なり下がってしまう。

そんなことは、恐ろしくて、考えたくもない。

「働かなくても生きていけるもの」となるために日夜努力をすることにする。

資本主義である以上、無職は勝ち組である。

カール・マルクス「資本論」では、資本主義社会は、「資本主義社会のなかにおいて、人やカネに働かせる資本家と、労働力を商品として資本家に売るしかない労働者の2つに分けられる。」

この理論では、無職は、国民に働かせる生活保護受給者、金に働かせる投資家等と同じ資本家階級であり、勝ち組ということになる。

「無職は足るを知っている」

「足るを知るものは富む」という言葉を知っているだろうか、これは古代中国の「老子」の第33章に収められている言葉だ、「満足をすることを知っている人は、たとえ貧しい状況にあっても精神的には豊かである」ということである。

労働者は、競争社会に生きなければならない、つまり競争社会に生きる限り、「足る」を知るということがなく際限なく欲してしまう。このように、労働者は永遠の渇望の中に生きている。労働を提供した対価で物を購入し、物は沢山所有しているが、心が貧しい生活をすることになる。

無職には、競争という概念すらない。それにより人と比べることがなく、際限なく欲することもない。「足るを知っているのである」つまり、心が豊かな生活を送ることができる。

この日本では、労働者が競争して心を無くして資本家に提供したものは、間接的に無職者への貢物として提供している。

 

 

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