古舘伊知郎が語る「自我」との上手な付き合い方とは?
悩みとの付き合い方。
この永遠とも思えるテーマに、日々もがきつづける方も多いと思います。
自分の人生の一大テーマは「自我を低下させること」。そう話すのは、言わずと知れた名アナウンサー、古舘伊知郎さんです。
自身も自我に悩みつづけている古舘さんがR25世代に向けて語ってくれた「自我との上手な付き合い方」、ぜひ最後までご覧ください。
記事提供:新R25
悩みが尽きないのは、「自分100%」になっているから
「本当は、自分というものは存在しない」。
僕は母校の立教大学で「言葉」「仏教」「脳科学」「情報化社会」を融合させたテーマを教えていますが、若い人たちにいつも伝えていることです。
今は何かと「自分らしさ」が問われる時代ですが、それにとらわれすぎて「自我の塊」になってしまうと、悩みも倍化しますよね。
でも、自我が小さくなれば、悩みや葛藤も小さくなるんです。「まあいいか」と思える余白が生まれますから。
この「自分という存在は“虚妄”である」というのは釈迦仏教の教えのひとつで、2500年前にお釈迦様が唱えていたことでもあるんです。
もちろん、“自分”を持つことは人間が生きていく上で必要なことです。
ただ、自我12畳のワンルームに住むよりも、自我の部屋と無我の部屋がそれぞれ6畳間ずつある部屋に住んだほうが圧倒的に悩みは減る。
そのバランスが大切だと思います。
自我の膨らみを抑える「自己冷却装置」を併設しよう
僕は誰からも評価されなかった不遇の20代後半、とあるプロレス実況が跳ねたことがありました。
それまで自分のことを凡才の極みだと思っていたのに、急に「天才だ!」と世間から注目されるようになったんです。
初めての成功体験に、嬉しくて嬉しくて、身体が爆発するような感覚だった。
その強烈な体験から芽生えた自我は、未だに抜けていません。
だから僕はいつも、「お、また自我が芽生えてきたな」「そんな自我はいい加減捨てなさい!」と自分自身を実況中継するんです。
そうやって自分に冷や水を浴びせないと、自我がどんどん膨らんでしまうので。
自分が生きるエネルギーを燃やす自家発電装置を持ちつつ、バックアップとしての自己冷却装置を併設する。
そんな感覚ですかね。
自分を“諦める”ことでラクになれる
この「無我」の境地は、「諦める」という感覚に近いと思います。
といってもこれは、みなさんがイメージする「諦める」とは違います。
仏教の世界では、「諦める」の語源は「明らかに見極める」という言葉であると言われています。
自分を「諦める」というのはすなわち、自分を「冷静に見る」ということ。
この感覚を身につければ、がむしゃらにがんばっているときも暴走を抑制することができるし、落ち込んでいるときも、「今が本当にどん底なのか?」「そう思えるだけまだ余裕があるんじゃないのか?」と自分を客観視できる。
そうすると、少し気持ちがラクになります。
こういう仏教精神って、漢方薬のようなものなんです。即効性があるわけじゃないけど、忘れたころにじわじわと効いてくる。
そういうものだと思って、自分の内側に取り込んでおくとよいと思います。
ポジティブになるには「ネガティブの海」を泳ぐことも必要
僕は、「前を見ろ」って言葉が好きじゃないんです。
もちろん、人は過去だけに囚われていたら前に進めません。
ただ、ポジティブアイランドは「ネガティブという大海原」を泳いだ先にあると思うんです。
「これだけネガティブになって苦しい思いをしたんだから、そろそろ前を向こうか」と思える。
それなのに今は前を向くことだけがよしとされて、後ろ向きになる時間を与えてくれない。
うまくいかないことがあるとすぐに苛立ったり、他人に当たったりする人がいるのは、そんな“ポジティブ・イリュージョン”に支配されているからでもあると思うんです。
だから僕は、ネガティブもありで、うじうじした時間も大事だと言いたい。
「うじうじの果て」に前がありますから。それを忘れないでくださいね。
「悩み」は誰しも持っていて、生きていくうえで避けては通れないもの。
それを無理に解決しようとするのではなく、自分を俯瞰してとらえることでうまく“扱って”きた古舘さん。
漢方薬のようにゆっくりと、日々の苦しみから解放される大切なヒントを教えてもらいました。
〈執筆=清水紗良(@r25_shimizusara)/取材・編集=渡辺将基(@mw19830720)〉