危機が近い、半農半Xにならねば、日本は「飢餓国」だ。

日本が有事になった場合、日本人は絶滅してしまうのだろうか? このままサラリーマンだけをしていては、立ち行かなくなるだろうと思い、早く農業をしなければならいと改めて思う記事が出ていた。

早く、田舎に農地を確保して、作物を育てられるようにならなければならい。


日本はすでに「飢餓国」だった!食料自給率の試算でわかった“驚きの数値”とは?

日本の食料自給率が低いのは周知の事実だが、それがどれほど危機的なことなのかを知る日本人は少ない。もし日本で有事が半年続いた場合、国内で食料不足から餓死者が続出するという恐れもあるのだ。日本という「隠れ飢餓国」の実態を暴く。本稿は、高橋五郎『食糧危機の未来年表 そして日本人が飢える日』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。


日本の食料自給率は38%ではなく18%!?

「食料自給率」という言葉を知らない日本人はほとんどいないだろう。加えて、世界的にみても食料自給率の関心の比較的高い国の代表も日本人である。アジアに限れば、日本に次いで関心が高いのは韓国と台湾くらいではなかろうか。

アメリカやカナダ、オーストラリアやブラジルではいたって無関心、中国の場合、政府は高い関心を持つが庶民は無意識など、それぞれのお国柄が反映されている。

日本や韓国のように食料の自給が厳しい国では自給率への関心が高い一方、食料が足りて輸出さえしている国では、一部の専門家を除くと関心が低いのが一般的なのはやむをえない。

日本は食料自給率に関心が高いとは言ったものの、実際には政府や専門家、食料関係者など一部に限られるかもしれない。日常の食料にさほど困らない国民の関心が薄いのは不思議なことではない。食料の大部分を海外に頼るとはいえ、コンビニやスーパー、まちのレストランへ行けば食べたいものはすぐにでも手に入る。食料価格が高騰しても消費者の多くは、「じたばた騒いでもどうなるわけでもなし」といった諦め感がまさり、深く考えることもなんらかの行動を起こすこともない。

そのために、日本人には食料不足に無縁なアメリカ人やオーストラリア人ほどではないにしても、食料不足感や食料危機意識が広く浸透する状況は生まれにくいのが現実である。

またそれ以上に重要な問題は、日本の農水省が公表している食料自給率38%という数字は確かに低いといわれているが、だれもその妥当性を検証したことのないもので、本書の試算では、それよりも20%も低い18%程度が実態である。現実をしっかり認識して問題に取り組むのであれば、国民にはわかりにくく、疑問の生まれる数字をみせるべきではない。

農水省が言う食料自給率については、農水省のサイトに「日本の食料自給率」というページがあるので、ぜひアクセスすることをお勧めする。ただし、本書はそこに記されている数値や試算根拠などの一部については、かなりの疑問を持っている。


前述の通り、日本においては現状を心配する消費者は限られると思う。だが、欲しい食料がなんでも手に入る幸福な時代もそろそろ終わりになるかもしれない。食料の大部分を輸入に頼ってこられた背景には、日本の経済成長とその成果の一部としてため込んだ1兆ドルを超える潤沢な外貨準備があったがためである。

ところが日本の毎年の経済成長率は先進国のなかでも最低かほぼ0%、工業製品が輸出競争力を失いつつあるため輸出に以前ほどの勢いがなくなり、一方で円安傾向がはっきりしたにもかかわらずエネルギー需要の世界的な伸びや資源高などから輸入額が大きく伸び、貿易収支は赤字が拡大、黒字が出てもわずかという体質に陥ってしまった。

貿易収支が赤字体質に変わっても第一次所得収支は黒字だから安心だという声に対して、その黒字の源泉(資産)は海外にあり、その所有者の企業が貿易赤字を埋めるために取り崩すこともあり、外貨状態を円に替えない限り使えないし、他の企業が輸入代金決済に使えるわけでもないのであまり当てにしない方がよいという専門家もいる。

貿易収支が赤字体質に変わったのは円安や新型コロナの前、2008年のリーマンショック以後のことである。もはや以前のように貿易黒字が外貨準備の源泉になるという時代は過ぎ去ったといえるだろう。また貿易がだめなら直接投資収益が大きいから大丈夫ともいえず、輸出力の低下は貿易収支と第一次所得収支の黒字を合わせた経常収支に与える影響が避けられなくなっているのである。

このため、経済力が強く世界の隅々から食料を買いあさってこられたこれまでの日本の購買力が落ちることは避けられない時代に入り、この傾向は今後ますます強くなると見通すことができよう。

食料輸入量がマイナスの影響を受ければ、日本の食料自給率は、名目上は上昇するだろう。しかしそれはいいことではない。それは食料を欠く日常に近づくことと引き換えることであって、国内に流通する食料が減ることを意味する。結局は、この日本にとって最も安心できることは国内生産を増やすことなのである。

日本政府は有事を想定していない?

もし日本に直接関係する有事が起きたそのとき、日本人の食料、特に主食のコメは大丈夫なのだろうか? 国内自給率が最大のコメが大丈夫でないとすると、事態は深刻と言わざるをえない。

農水省によると、日本で獲れるコメは年間約730万トン、輸入が70万トン程度、コメの需要は680万トン(大部分が国内消費)、輸出は無視できる程度に過ぎない状況である(2022年)。そして生産量も消費量も、長期的に見ると減少する傾向が続いている。

コメの政府備蓄量は100万トン程度と決められ、民間在庫(販売待ちの在庫)を合わせた月別の保管量(政府備蓄+民間在庫)は月によって変動し、農水省によると、最多は全国の新米が出そろう11月で450万トン程度、最少は収穫期が始まる前の8月で200万トン程度と、250万トンもの差がある。

政府はこれで十分だと太鼓判を押しているようだが、この量では有事や大災害を想定したものからほど遠い「10年に一度の不作(作況指数92)や、通常程度の不作(作況指数94)が2年連続した事態」が前提でしかない。世の中が平和である時はこれでもいいのだろうが、冒頭で述べたような有事の際にはまったく意味を持たないのではないか?

日本に直接関係する有事にでもなると、海外にほぼ100%依存する農業機械向けの石油燃料と化学肥料や化学農薬の原料は大きな制約を受けずにはいられない。平均年齢68歳の稲作「高齢者農業」を支えてきたのは、農業機械化と化学肥料・農薬である。

そのほか、ほぼすべてを海外に依存する超低自給率の小麦・大豆・トウモロコシ、肉類に食用油原料、野菜類や加工食品、魚介類の輸入も、平和のときとまったく同じようなわけにはいかないだろう。

四方を海で囲まれた日本列島自体が海上封鎖される可能性もなくはないが、最も懸念される事態は、マラッカ海峡や台湾海峡、インドネシアからグアムまで膨らんで日本列島に至る第二列島線(中国が想定する海上軍事線)を通過する船舶のリスクである。アメリカがついているさ、という声は海のかなたに消えてしまう恐れがある。

本書の想定では、もし日本に関係する有事が半年でも続いた場合、このわずかな食料の保管量では、国内では食料不足から餓死者が続出する悪夢が現実になる恐れがある。特に人口が集中する東京や大阪には食料の備蓄も在庫もほとんどなく、交通事情から地方の余剰食料を運ぶにも苦労するおそれが十分にある。なんといっても、東京や大阪の食料自給率はゼロに等しいことをこの2つの大都市住民は知っておくべきであろう。

日本に関係すると想定される有事とは何かというと、朝鮮半島・台湾海峡・尖閣諸島での紛争や突発的な超大国間軍事行動などである。いつ起きてもおかしくないと言われている南海トラフ地震や首都直下型地震も、広い意味では有事に属するのではなかろうか。

これらの有事を想定した国内食料システムの構築が急務だと思われるが、政府にはその気も問題意識もなさそうである。本来は、国民に対しては少なくとも半年分以上の食料を家庭で備蓄することを勧め、生産現場に対しては普段から生産・流通体制のあり方の構築を実践的・自主的に促すべきではなかろうか? もちろんそれには、農政のあり方を基本に立ち返って再考することが不可欠であろう。

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