八犬伝と、モブサイコ100

アマゾンプライムで「八犬伝」と「モブサイコ100」を見た。

時は江戸時代、滝沢馬琴は、友人の絵師・葛飾北斎に、構想中の新作を語り始める。里見家にかけられた恐ろしい呪いを解くために、娘の伏姫が祈りを込めた八つの珠を持つ八人の剣士が、運命に引き寄せられて集結し、壮絶な戦いに挑むという物語だ。北斎はたちまち夢中になる。やがて馬琴の生涯を懸けた仕事として、異例の長期連載へと突入していく。

曲亭馬琴 – Wikipedia

椿説弓張月 – Wikipedia

南総里見八犬伝 – Wikipedia

「正しい者が勝ち、悪は罰せられる」そういう世界を描く目的で戯作を書いている。

この世はそう上手くいくかね。

ゆかんから、物語として書くんだ。

悪が勝つこともあるこの世の中だからこそ

別の世界を読者にはあじわってもらいたい。

つまり、虚の世界だね。


舞台の奈落  https://engeki-audience.com/article/detail/15534/

善因善果、悪因悪果、勧善懲悪を貫いている。

「忠臣蔵」という実の芝居に、なぜ虚の怪談話をはめ込まれた?

怪談そのものが「忠臣蔵」の裏返しになっている。

さすがは、曲亭先生です。裏返しにお気づきでしたか

そうやって実の世界に虚の世界を加えることで、妙な味がでてきませんか

本当は、「四谷怪談」のほうが実で、「忠臣蔵」が嘘話、つまり虚だと私は考えるいるのでございます。

「四谷怪談」が本当に怖いなら、あれが実の世界を描いたものだからでございましょう。

わたしは、この浮世は、善因悪果、悪因善果

良きものが憂き目に遭い、悪しきものが栄える。

まるで、辻褄のあわない、怪談だらけの世の中だと思っております。

辻褄があわない世の中だからこそ、辻褄があう世界が必要とされているのだ。

それは無意味なつじつま合わせではござりませんか。

有害な方が、無意味より、まだ意味があるとわたくしは、意味があると考えている。


正義は、虚であっても、それを貫いて、一生を終えれば、その人の人生は実となる。

決して、虚とはならんと信じております。

 

クライマックスに差しかかった時、馬琴の目が見えなくなってしまう。苦悩する馬琴は、義理の娘から「自分に手伝わせてほしい」と申し出を受ける─


 

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カテゴリー: TV