八犬伝と、モブサイコ100
アマゾンプライムで「八犬伝」と「モブサイコ100」を見た。
時は江戸時代、滝沢馬琴は、友人の絵師・葛飾北斎に、構想中の新作を語り始める。里見家にかけられた恐ろしい呪いを解くために、娘の伏姫が祈りを込めた八つの珠を持つ八人の剣士が、運命に引き寄せられて集結し、壮絶な戦いに挑むという物語だ。北斎はたちまち夢中になる。やがて馬琴の生涯を懸けた仕事として、異例の長期連載へと突入していく。
「正しい者が勝ち、悪は罰せられる」そういう世界を描く目的で戯作を書いている。
この世はそう上手くいくかね。
ゆかんから、物語として書くんだ。
悪が勝つこともあるこの世の中だからこそ
別の世界を読者にはあじわってもらいたい。
つまり、虚の世界だね。
舞台の奈落 https://engeki-audience.com/article/detail/15534/
善因善果、悪因悪果、勧善懲悪を貫いている。
「忠臣蔵」という実の芝居に、なぜ虚の怪談話をはめ込まれた?
怪談そのものが「忠臣蔵」の裏返しになっている。
さすがは、曲亭先生です。裏返しにお気づきでしたか
そうやって実の世界に虚の世界を加えることで、妙な味がでてきませんか
本当は、「四谷怪談」のほうが実で、「忠臣蔵」が嘘話、つまり虚だと私は考えるいるのでございます。
「四谷怪談」が本当に怖いなら、あれが実の世界を描いたものだからでございましょう。
わたしは、この浮世は、善因悪果、悪因善果
良きものが憂き目に遭い、悪しきものが栄える。
まるで、辻褄のあわない、怪談だらけの世の中だと思っております。
辻褄があわない世の中だからこそ、辻褄があう世界が必要とされているのだ。
それは無意味なつじつま合わせではござりませんか。
有害な方が、無意味より、まだ意味があるとわたくしは、意味があると考えている。
正義は、虚であっても、それを貫いて、一生を終えれば、その人の人生は実となる。
決して、虚とはならんと信じております。
クライマックスに差しかかった時、馬琴の目が見えなくなってしまう。苦悩する馬琴は、義理の娘から「自分に手伝わせてほしい」と申し出を受ける─