仕事にやりがいを見いだせない人、悩む必要はない
「仕事にはやりがいが大切」「働く意味を考えよう」。よく聞く言葉ですが、本当でしょうか。やりがいや働く意味は、そんなに簡単に見いだせるものでしょうか。
それらについて考えるのは、もちろん悪いことではありません。しかしモヤモヤしてよく分からないようであれば、ひとまず考えるのはやめて前に進めばよいと筆者は思います。
仕事が覚えられなかったりうまくいかなかったりするときに「やりがいを感じられないからだ」と理由をつけて職場を去る人もいます。本人の問題もありますが、職場の人、中でも管理職の言動に難があるケースも珍しくありません。
例えば部下が仕事で失敗したとき。「これができないのは集中力が足りないからだ、集中できないのは仕事に意味が見いだせていないからだ」などと説教するのです。
このように、それらしく部下を諭すために「仕事の意味を考えて取り組むように」と言う管理職がいますが、どれほど効果があるか筆者は疑問です。部下から「では、あなたの考える仕事の意味は何でしょうか」と問い返してみたとして、答えを返せる管理職がどれほどいるか怪しいと思います。
また多くの場合、管理職がこんな発言をするのは部下が失敗したときや、十分な成果を上げられていないときです。そんな状況にある部下は仕事の意味など考える余裕はないでしょう。
やりがいを探して転職を繰り返す
そもそも、仕事の意味ややりがいを職場に見いだす必要があるのでしょうか。生きるのに一生懸命、食べるのに必死という状況であれば、「職場は給与をもらうところ」でもよいと筆者は考えています。「週末に遊ぶお金を稼ぐこと」が仕事の意味であり、やりがいであってもいいのです。
仕事自体に楽しみややりがいを感じている人はもちろんそれでよいのですが、頑張っても見つからないのなら、無理に探す必要はありません。「求められたことをきちんとこなし、その給与で自分の生活を充実させる」というのも、仕事の意味の一つだと思います。
今の学生は、就職活動の際に「やりがいを感じられる仕事を見つけなさい」「働く意味を考えなさい」などと言われます。社会人が転職活動する際も同様です。その後就いた仕事でやりがいを持てずに「こんなことでよいのだろうか」と不安になり、また次の仕事を探しにいく人がいます。「自分に合った仕事は何だろう」と探し続けてしまうのです。
キャリア研修で筆者がよく使うキーワードに「自分試し」と「自分探し」があります。自分試しは仕事を通じて自らの力を試すこと、自分探しは自分に合う仕事を探すことを指します。
何かの目的を持った「自分試し」のための転職ならいいのですが、何が自分に合うのだろうかとモヤモヤしながら「自分探し」の転職を繰り返すのは、あまりお勧めできません。仕事に意味ややりがいが見いだせなくても、まず生活のために働くという時期があってもよいと思います。そうしているうちに、自分が大事にしたいことが見えてくることもあります。
いくらお金をためても、やりがいが見いだせない不安におびえて過ごすのは大変でしょう。「仕事にはやりがいがなくてはならない」という思いから、少し離れてみてはいかがでしょうか。
アネックス代表取締役/人事コンサルタント