
イーロン・マスク率いるニューラリンク社が開発するロボット義肢とは
「意識のアップロード」の存在意義④
イーロン・マスクの立ち上げたニューラリンク社は、手足の動かなくなった患者に、脳からの信号だけで意のままに動くロボット義肢を提供することを、研究開発のプライマリー・ターゲットに定めている。
果たして、数年以内に、車椅子生活だった人が街なかを自在に歩き回る日は来るのか?
アメリカや中国などのブレインテック(脳科学を応用したテクノロジー)先進国の今と未来、そして、遅れをとる日本の情勢についてみていきたい。
第一回記事はこちら『ヒトの意識をコンピュータへ移植することはできるか?』
第二回記事はこちら『生きたまま、ヒトの意識をコンピュータに移す方法とは?』
第三回記事はこちら『ヒトの意識をコンピュータに移したら、どんな世界が待ち受けているか』
サイバーパンクな未来は訪れるか?
脳に電極を入れ、ロボット義肢を装着した人々が街を歩き回るようなサイバーパンクな未来は、2020年代のうちに訪れるだろうか。
わたしが訊きまわった感覚からすると、日本の専門家はおおいに懐疑的だ。日々、脳を捌く神経科学者にしても、手術を行う脳外科医にしても、はたまた、大型科学技術予算を企てる官僚にしても。彼らが口を揃えていうのは、得られる便益に対してリスクが高すぎるということだ。
だが、世界はもう走り出している。2016年には、北米DARPA(Defence Advanced Research Projects Agency: 国防高等研究計画局)がヒトの「100万ニューロン・ブレイン・マシン・インターフェース計画」を打ち出し、アメリカでは幾多の民間企業が参入している。中国でも、後述する特殊な研究戦略に基づき、莫大な科学技術予算が投じられている。
本命馬券を大人買いするイーロン・マスク
ニューラリンク社をご存知だろうか。インターネット電子決済のさきがけとなったペイパル社を創業し、その売却益で莫大な資産を築いたイーロン・マスクが、2016年に立ち上げたブレイン・テック(脳科学を活用したテクノロジー)・ベンチャーだ。まず最初の開発ターゲットとして、脊髄損傷で手足が動かなくなった患者に、脳からの信号で直接駆動するロボット義肢を提供することを掲げている。

イーロン・マスクのビジネスモデルは一貫している。当たるも八卦当たらぬも八卦の大穴馬券に相当する基礎研究開発はあくまで国に張らせ、そこで芽吹いたものを本命馬券として大人買いする。
ポイントは、彼自身の財力と名声をフルに活かして、到底真似できないような資金を投入することだ。それでこそ、本命馬券として成立する。一気に技術開発を加速させる彼の手法は、電気自動車関連のテスラ社、航空宇宙関連のスペースX社などでも見受けられる。
では、ニューラリンク社設立のきっかけとなったアカデミア(大学や公的研究機関)発の当たり大穴馬券とは何だろうか?
汎くみれば、1950年代から急速に進展してきた神経科学全般だが、より直接的なものとして2つほどあげられる。
ひとつは、まさに、ニューラリンク社がヒトへの医療応用を目指しているもので、脳からの信号で直接ロボット義肢をコントロールする、いわゆる神経機能代替(ニューラル・プロステティクス)だ。ブラジル出身の脳神経科学者、ミゲル・ニコレリスらが中心となり、90年代後半から動物実験が進められてきた。
ニコレリスらが2000年代初頭に手掛けたサルを用いたプロジェクトでは、身体運動を担う脳部位に電極を埋め込み、そこで得たニューロン活動をもとにリアルタイムでロボットアームを制御した。最初のうち、ロボットアームは出鱈目に動き回るだけで、サルの思いどおりにはいかない。それが、アームの動きを目でみながら試行錯誤するうちに、だんだんとサルが操れるようになっていく。そして終いにはリンゴをつかみ、見事、口に運ぶまでに至る。
この一連の変化の過程は、脳の柔軟性を物語ると同時に、神経機能代替の将来を約束してくれるものだ。成熟した脳がより固定化されたものであり、神経機能代替など受け付けない可能性も十分にあった。
豆腐のような脳にそっと寄り添う電極
ニューラリンク社にとって、もうひとつのアカデミア発当たり馬券は、“やわらかい電極”である。
脳は豆腐のように柔らかく、身体の動きに合わせて頭蓋のなかでつねに揺れ動いている。それゆえ、従来の硬い電極を長期間にわたって動物の脳に入れつづけると、血管を傷つけて出血し、ニューロンが壊死してしまったり、生体防御反応として電極表面に生体組織が付着し、ニューロン活動が拾えなくなったりする。

これらの問題を解決するべく、この10年ほど、柔らかな電極の開発が進められてきた。電極の芯材として、それまでのタングステンや半導体にかえ、ポリマーを用いることで柔軟な電極が実現した。わたしも実際に使用したことがあるが、それまでの苦労が嘘だったかのように、同一のニューロン群の長期の追跡記録が可能になった。
神経機能代替のヒトへの応用にしても、電極の埋め込み後、何年、何十年と安定して動作し続けなければ、とても保険当局の承認など得られないだろう。事実、ニューラリンク社も、自社開発した電極の芯材にポリマーを採用している。
大穴馬券から本命馬券へ ―― 無線皮下封印
では、ニューラリンク社は、アカデミア発の当たり馬券を、いかにして本命馬券に改めようとしているのだろうか。お金のかけどころはいったいどこにあるのだろうか。
通常、脳に挿入した電極は有線で機器につなぐ。電極からの信号を忠実に記録するうえで、それが最善の策だからだ。
ただし、有線ならではの問題が生じる。
術後、頭皮が塞がらないために、その部分から細菌が侵入し、稀に脳にまで至ることがある。その昔、とある盲目の男性が、有線の電極を介してビデオカメラを脳に直結する手術を受けた。インフォームド・コンセント(医師がリスクを説明したうえで本人が了承)のもとのプロトタイプということで、カメラの解像度にしても、それに対応する電極の本数にしても、決して高いレベルの視力回復が期待できるものではなかったが、おぼろげながらも見えるようになり、本人はいたって感激したという。ただ、残念なことに、その後、脳への感染が原因で彼は死亡している。
また、つい先日、スタンフォード大学のグループが、正常に喋れない状態にあったALS(筋萎縮性側索硬化症:視聴覚などの感覚は正常に保たれながら、身体が動かなくなる指定難病)患者の言語野に電極を埋め込んだとのニュースが界隈を駆けめぐった。

ブレイン・マシン・インターフェースを介したAIシステムで再び言葉を紡げるようになり、毎分62単語という神経機能代替の世界記録を樹立したのだ。ただ、患者さんがシステムを用いて対話する様子が動画として公開されているが、先の盲目の男性にしても、わたし自身がサルを扱った経験からしても、ヒトの頭から通信ケーブルが伸びているのはあまり目にしたくない。
ちなみに、脳外科手術前の検査目的などで、ヒトの脳に有線で電極を埋設することはあるが、感染などの問題が生じる前に、ごく短い期間で電極を抜いてしまう。スタンフォード大学の論文を読んでもそのような記述は見当たらなかったが、通常の硬い電極を用いていることからも、短期の検証実験の可能性はある。
ニューラリンク社がもっとも力を入れているのは、まさに、埋め込み電極の長期的な安全性を担保するための“無線皮下封印”だ。これはわたしの造語だが、要は、電極との通信を無線化し、皮膚を完全に塞ぐことで、感染リスクを低減させようとしている。
皮膚の下に納めさえすれば、体内に機器を入れること自体にはなんら問題はない。心臓ペースメーカーにしても、術前に滅菌し、無菌環境で施術し、術後に抗生物質を処方することで、その後、電池が切れるまで十年超、問題なく動作しつづける。装着した方が亡くなり、火葬時に中の電池が爆発することで、遺族がはじめてペースメーカーの存在に気づくなどといった笑えない話もあるくらいだ。
また、一般にはあまり知られていないが、脳への電極の埋め込みも、脳疾患の治療としてすでに実用化されている。胸部に電流発生器を埋め込み、皮膚下に這わせた電線を介して、脳の深部に挿入した電極とむすぶ。脳深部刺激療法とよばれるもので、電極からの電流で異常な脳活動を抑制することにより、パーキンソン病の症状を軽減するなどの効果をもつ。外部との通信を必要としないため、厳密には無線皮下封印とは言えないが、日本でも2007年から保険適用の標準治療として確立しているものだ。