なぜ人事査定があるのに「働かないおじさん」が生まれるのか? 濱口桂一郎氏に聞く
なぜ人事査定があるのに「働かないおじさん」が生まれるのか? 濱口桂一郎氏に聞く
新卒一括採用で職種を限定せずに「就社」した人たちが、若い頃は馬車馬のように働かされながらも、中高年になってから、上がった賃金にみあった仕事をしていないと批判される「働かないおじさん」問題が長年指摘されている。
最近、日本の大企業が、職務内容を特定して、必要な人員を採用、配置する「ジョブ型雇用」を導入しようとしている背景には、組織の一員としてみんなで出世を目指す「メンバーシップ型雇用」が、結局は年功序列になりがちであるため、新制度で歯止めをかける狙いもあるようだ。
しかし、なぜ、多くの企業で人事査定をしているにもかかわらず、「働かないおじさん」が出てくるのを止めらないのか。新著「ジョブ型雇用社会とは何か: 正社員体制の矛盾と転機」を上梓した労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎研究所長のインタビュー後編では、この問題を扱いたい。(編集部:新志有裕)
ジョブ型雇用社会とは何か: 正社員体制の矛盾と転機 (岩波新書 新赤版 1894)
●日本企業における「能力」は「中身がなくてインチキ」
――多くの企業では査定をしているはずなので、仕事のできる人とできない人の差をもっとつけられないのでしょうか。
日本の「メンバーシップ型雇用」における査定とは、「能力査定」と「情意査定」なので、そういった対応が難しいんです。「能力」というのは、職務遂行能力といって、潜在的な能力のことなので客観的な測定が困難です。情意査定とは、いわゆる「やる気」のことなので、遅くまで頑張っていると評価されます。
「メンバーシップ型」の日本ではジョブ型と異なり、新入社員から査定をするわけですが、成果の査定なんてできるわけがないので、「能力」と「やる気」で査定するしかありません。それが課長になってもずるずるといって、成果が出てなくても、「能力はあるし、頑張ってるし」ということでどんどん上がるわけです。
――この「能力」というのが、潜在的な能力であるため、まともに評価できないとうことでしょうか。
今回の本では、人事労務の専門家向けには「あなた方が言っている『能力』とは中身がなくて、全部インチキでしょ」と訴えているつもりです。この本では能力という言葉をすべてカギカッコでくくっていますが、こんな表現をしているのは、普通名詞の中では能力だけです。
中身がないものなので、基本的に年功で上がる、としか言いようがないんです。一生懸命やっている人は査定がよくて、いい加減な人は査定が悪い、という程度の話です。これは成果とは必ずしも比例しないですよね。
大して成果が出ない人でも「あいつは成果は上がらないけど頑張ってるからな」と査定されて、それが積み重なったものが「能力」と称されているわけですよ。だから、今の査定でなんとかなると思っているうちは絶対に変わらないです。
――ただ、仕事を積み重ねるうちに能力があがっていく、ということは、実際の現場で起きることなのではないでしょうか。
日本の新卒一括採用はスキルのない状態で入りますよね。それを上司や先輩がビシバシ鍛えるので、確かに若いうちは能力は上がっていくんですよ。自分自身も気づくだろうし、周りを見てもそう思うでしょう。
だけど、それを「能力」という概念にしてしまうと、定量的な指標がなくて、みんなの共同主観でしかないんですよ。共同主観のまま、いつまでも上がり続けていると、いつの間にか感覚と違うぞ、となって、「働かないおじさん」問題につながるわけです。この感覚を皆さんもう少し反省してよ、と言いたいですね(笑)。
「働かないおじさん」も、若い時は「働くお兄ちゃん」だったはずですけど、なんでああなるの、っていう話ですよ。そこを抜きにしたらこの問題は表層的だなと思います。
●「働かないおじさん」という括り方は「差別的」なのか
――「働かないおじさん」問題をめぐっては、「ダイバーシティの時代に『おじさん』というレッテルが差別的ではないか」「なぜ男性だけが槍玉にあげられるのか」と指摘されることもあるのですが、どう考えればいいのでしょうか。
そもそも、この言葉は私が言い出したわけではありませんが、先ほども説明したように、日本のメンバーシップ型雇用では年齢というのが重要な基準で、年齢差別的な要素が含まれているんですよ。本にも書いてますが、定年なんてまさに年齢による強制退職制度ですが、堂々と存在し続けているわけです。
「男性だけ」ということについては、男女雇用機会均等法以前と以後で、日本の雇用システムは変わったのです。以前は女性は新卒採用から結婚退職までの短期的メンバーシップだったのですが、以後は新卒採用から定年退職までの男性と同じ長期的メンバーシップになりました。
特に、1997年の第2次均等法改正によって、日本の企業の行動パターンはそれまでの男性型正社員コースに女性も乗せていくというやり方に変わり、それから20年ちょっとが経っています。
いま、女性管理職が年々増えている背景には、年齢に基づく日本社会で、ちょうど女性管理職が出てくるまでにかかる時間が経過した、ということがあります。裏を返すと、「働かないおばさん」が出てくる可能性もあるということです。
結論としては、男女ともに働かない人はいるかもしれないけれども、年齢というものは日本の雇用システムでは非常に重要な基準であり続けているということですね。
●部分的ジョブ型論、「45歳定年制」と根っこの部分は同じ
――「働かないおじさん」の待遇をこれ以上あげないために、メンバーシップ型雇用と、ジョブ型を組み合わせようという意見はよくみかけますが、そのような部分的ジョブ型論というのはアリなのでしょうか。
本来ジョブ型とは「就社」なのか「就職」なのかという入口(採用)、ひいては雇用システム全体に関わる話なので、それをジョブ型と呼ぶことについては我慢できないところもあるのですが、賃金だけをジョブ型にするという、局所的なジョブ型はありうるだろうと思います。
ただ、それは成果主義とは関係ないですよ。本来、ジョブ型は査定がないのが当たり前で、ジョブ・ディスクリプション(職務記述書)で決められた仕事をこなせるかどうか、ということです。成果をどう測るのかとは別問題です。
――そういう意味では、ジョブ型にしてしまえば、とりあえず賃金が増加していくのは止まるということでしょうか。
若いうちはある程度年功的にやるしかないのですが、ある年齢からは、ジョブ型的なフラットな職務給の選択肢を用意することですね。
最近、急に出てきた「45歳定年制」とか、10年前に出てきた「40歳定年」は、そこで全部定年でクビにしようと思っているのではなくて、上がるのを止めようという意図なんだろうと推察しています。それと同じ流れでしょう。
しかし、本来的なジョブ型というのは、雇用システム全体の話であり、局所的なジョブ型とは全く別のものであることはわかってほしいです。全体を総取っ替えするというのは、相当現実性が低い。
――濱口さんご自身も、「ジョブ型正社員」というものを提唱されていますよね。
混乱してしまうかもしれませんが、これは、就職氷河期の若者対策として、メンバーシップ型雇用で変わらない日本社会では、新卒一括採用で会社に入れずに漏れてしまうと、後から潜り込むのは難しくて、非正規としてそのまま歳をとっていくという問題に対応するための考え方のことです。雇用システム全体を分析する際の、ジョブ型、メンバーシップ型とは別の考え方なのです。
中高年のジョブ型賃金も含めて、部分的なジョブ型論を否定はしませんが、社会全体が変わるという話ではありません。そこは明確に区別して議論をしてほしいです。
インタビュー前編「流行りの『ジョブ型雇用論』が間違いだらけの理由」はこちら
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