「出世を望まない」で生きられる人は、かなり幸せである理由

「本当に出世したくない」と割り切れれば幸せ

「出世する」とはどういうことか。

 組織のなかで、中枢の位置を占め、重要な意思決定を担う。その職責の大きさゆえに報酬は高い。また、社内外からの高い評価を得られやすい。

 しかしながら、一方では、そのポジションを狙う他者との間での競争が常にあり、双肩にかかるプレッシャーも大きく、また結局のところ、ポジションを獲得するためには上位者たちの覚えをめでたくする(そして反対者を減らす)必要がある。よって常に良い結果を収めるとともに、あらゆる場面で如才なく立ち振る舞う必要がある。

 あとはこのような日々を送ることが本人にとって幸せかどうかなのだが、もちろん幸せな人もいるだろうが、それを幸せと思わない人もいる。そして、どちらとも言えないという人が一番多いだろう

“積極的に出世をしたくない人“はかなり幸せである。社内外の評価や報酬のためにプレッシャーと対峙(たいじ)するよりも、自分のやりたいことだけをやっていた方がよいと割り切れるからだ。

 周囲から「出世したくないの?」と聞かれても、「だって、能力がないし向いていないんだもの」と一蹴してしまえばおしまいである。別に偉い人に取り入るために、お世辞を言う必要もない。プレーヤーとして他者と同等の仕事をしておれば、幸いなことに職を失う可能性は低いから、やるべきことだけを最低限やっておけばよい。

 問題は報酬である。過去とは違って、職責が上がらないと給料も上がらない人事制度を多くの企業が採り入れているため、報酬が増えないことが想定される。これも、そこは覚悟を決めて、生活水準を上げない、消費生活以外の楽しみ方を身につける、といった方法でどうにか対処できる(会社の給与水準がそこそこ悪くなければ)。

 以上を勘案すると、積極的に出世をしない人生は、かなりおすすめである。とくに、専門職志向の人にとっては明らかにメリットがある。専門性の高さで職責を高く認定してくれる会社も多いので、プレーヤーとして専門性を究めながら、報酬もそれなりに得つつ、かつ社内外の評価も得られる。こんなに良いことはないだろう。

 場合によっては、その専門性でもって独立し、もといた会社をクライアントにし、他からも契約をとって報酬を得ることも可能だ。こうなると報酬も、サラリーマン時代を大きく上回る可能性がある。

 問題は、ほとんどの人が、そうはいっても職責の高い業務につき、権限を行使しながら、高い報酬も得て、社内外の称賛も得たい。その一方で、激しい競争にさらされたり、上位者の機嫌とりをしたり、如才なく振る舞う緊張感のある日々を送りたくないと考えていることだ。

 これらの人たちは、「出世したいか」と問われれば「まあちょっとくらいは出世したいです」あるいは「それほど出世したいとは思いません」という答えになるが、「出世はしたい。でもそのためにそれほどの犠牲は払いたくない」というのが実際のところだ。

 したがって、心から出世を望んでいる人との争いには負ける可能性が高くなる。本当に出世を望んでいる人は、徹底的に自分の見せ方を工夫し、野心でギラギラしていても、それらを上手に覆い隠して落ち着いた態度を示すだけでなく、成果が出そうなところに自分の身を置き、失敗プロジェクトからは上手に姿を消すからだ。

 出世はしたい、でも煩わしいことには身を置きたくないという中途半端な姿勢では、徹底して出世を目指す人にはまず対抗できない。

出世か出世放棄かではなく中間的な道もある

 一般的な成功者の本などでは、こういう中途半端な状況こそストレスの原因であり、良いキャリアを積むためには、しっかり腹決めをせよということが書かれていることが多い。そしてたいてい、以下の三つの選択肢が示される。

【選択肢1】出世するジェネラリスト:ある程度の如才なさを発揮しながらも、出世して権限を手に入れて、社会に貢献できる立派な仕事をする

【選択肢2】スペシャリスト:自分の得意な領域に特化して、プレーヤーとして一流を目指す

【選択肢3】出世放棄:出世などはもうすっかり諦めて、自分の居場所を失わない程度にしっかり仕事をして、仕事以外のところに楽しみを得る

 このあたりが勧められているはずだ。しかし、やってみて判明することだが、なかなかこの三つの中から一つを選ぶことはできない。選択できる人は、人から言われなくても決めて実行している。心も体もこれらの選択肢のどれかに沿うことが快適だからだ。一方、決められない人はいつまでも決められない。それは、これらが自分に合う選択肢ではないからだ。

 どれにしても、無理なものは無理なのである。よって、私の提案は、「本当のところは、出世はしたい。でもそのためにそれほどの犠牲は払いたくない」を肯定的に解釈して、このように生きることを良しとしてはどうかということだ。

【選択肢4】適度に仕事をして適度に出世を目指す。ただし、そのために大きな犠牲は払わない。

 要するに、仕事はそれなりにしっかりする。ただし、上司のちょうちん持ちはしない。行きたくない飲み会にはいかない。出世に関しては、そのために過剰な努力をしていない分、努力をしているものとの比較において劣位である。よって出世の確率は低い。そうすると、出世を目指す人たちにはたいがいは負けるが、後輩に先を越されても卑屈にならない(だって、投資額が少ないんだから)。上司から出世を餌にコンプライアンスに問題のありそうな指示を受けそうになったら、あまり深く聞く前に断る(聞いてしまったうえで断ったら、ずっと嫌がらせを受けることになる)。または、常々、出世のためにコンプライアンスに問題のあるようなことはしませんと公言しておく。

 このように中途半端な自分を肯定的にとらえ、それに沿った期待値設定をし、自分を過大評価せず、他人を恨まずうらやましがらず、それなりに楽しく生きるという方法だ。

 かつて昭和の時代、植木等というコメディアンが映画で「サラリーマンは気楽な稼業」だとして、二日酔いや寝ぼけていても、タイムレコーダ―さえ押せばなんとかなるさ…などと歌った。

 今は「二日酔いでも寝ぼけていても、PCカメラの設定次第で、どうにか格好がつく」時代である。そこそこ成果を出していればクビにもならない。こんな感じで気楽にサラリーマン生活をすればよいのである。

 人事考課の評定、普通であればOKである。そのうち、自分が心から燃えるような仕事に出合ったなら、一生懸命に頑張ればいいし、選択肢1に変わってもいい。仕事以外に楽しみを見つける選択肢3に変わってもいい。選択肢4は可変性の高い選択肢なのである。

 60歳定年時代ならトータル40年程度の時間軸で考え、およそ20年で“勝ち組”に入り、後半15年で仕上げて、最後の5年はのんびりするといった人生設計でよかった。ただ、これからは80歳くらいまで現役なのだとして、60年くらいは働くのである。

 これまでの成功法則の時間軸とは明らかに異なるから、その戦略も違うものであってよいのだ。もちろん選択肢1でも2でも3でもよいが、「シン植木等」としての選択肢4でも何も悪くないのだ。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)

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