マインドアップロード(精神転送)を目指して

意識は傍観者である 

デイヴィッド・イーグルマン脳の知られざる営み

精神転送 – Wikipedia
精神転送とは、トランスヒューマニズムやサイエンス・フィクションで使われる用語であり、人間の心をコンピュータのような人工物に転送することを指す。

精神転送とは (セイシンテンソウとは) [単語記事]

精神転送は実現可能ですか?知っていることを教えて下さい。

Netflixドラマ『オルタード・カーボン』で描かれる精神の転送は可能か:専門家に聞いてみました

Netflixドラマ『オルタード・カーボン』で描かれる精神の転送は可能か:専門家に聞いてみました
Image Courtesy: Netflix

はてしない未来のことになるのかな?

Netflixのオリジナル・ドラマ『オルタード・カーボン』の世界では、人間の体はもはや意味を持ちません。登場人物のひとりは「蛇の脱皮みたいに(身体を)捨ててしまう」と表現します。この世界では人間の意識はデジタル化され、ひとつの体から別の体(実際の人間の身体でなく、人工の身体もあります)へと移し替えることができるんです。精神の転送が可能になっているわけですね。

物語の舞台は今から数百年後の未来。しかしそこに登場する技術はどれも私たちの現代にも開発が進められているものばかりです。たとえば脳機能マッピング、人間とAIを接続させるニューラルリンク、そしてコンピューターへの意識のアップロードなど…。

現実に、いずれ我々の意識を「デジタル化」することができる未来を約束するテクノロジーに、何百万ドルという資金が注がれてきました。そのいっぽうで、そもそも人間の意識/精神は複雑すぎて、デジタル/プロダクトにするのは不可能だと考える人々も多く存在します。デジタル化された意識が人間の別の身体へと移されたときに何が起きるのか、という疑問は、はるか未来の議論なわけです。

さて、我々の意識を別の身体にアップロードするなんてことは、いずれ可能になるのでしょうか? それを可能にすべきなのでしょうか? そんなことが達成されたとき、われわれは自分たちのことを人間と呼び続けるのでしょうか? 専門家に素朴な疑問をぶつける企画「Giz Asks」、今回は神経学哲学未来学の専門家たちに話を聞いてみました。


Susan Schneider(コネチカット大学、哲学/認知科学プログラム)

(デジタル意識の)アップロードを達成したとき、その生物はホモサピエンスとは厳密には呼べないでしょう。そのため人間ではない、といえるかもしれません。しかし、ゆるやかな定義で考えれば、我々が「人間らしさ」として考える特徴を持ちつづけるでしょう。たとえば論理性であるとか人間が抱える不安や感情などです。そういった意味では人間らしく存在するかもしれません。
また、時間がたつことで新しい環境に慣れていき、どんどん人間らしさが失われていくかもしれません。これは人によってはSF映画のようで非常にクールだと思う人もいるでしょうね。
はたして、自分の意識をほかの身体にアップロードするということが可能になるでしょうか。私はいくつかの理由から、実現には懐疑的です。

懐疑的な理由その1

ドラマに登場するアップロード・センターの「マインドスカルプト」に行ったとしましょう。あなたは死に至る病を抱えており、どうしても意識のアップロードをしたいと考えています。
マインドスカルプトではあなたの性格、感覚体験、記憶などに関わる脳のあらゆる特徴を測定します。

これはいつかの未来、本当に可能になることでしょうか? 現時点では、脳のどの機能が思考、性格、感覚などを担当しているか、我々の理解は完璧には程遠い状態です。もしもこれらの機能に微細な量子現象が関わっていたとすると、自分自身を正確にアップロードすることは不可能でしょう。量子系について私たちが知り得ることには原理的に限界があるからです(ハイゼンベルグの不確定性原理)。残念ですが、そのため意識をアップロードすることはできないということになります。

懐疑的な理由その2

ところで、仮に自分の脳をコンピューターで複製するということが可能になったとしましょう。さらに、アップロード技術が完成したとします。そしたらあなたはマインドスカルプトに行くべきでしょうか? 私の答えはノーです。
マインドスカルプトでアップロードが行なわれたとき、あなたの現在の脳は破壊されません。となると、その脳がスキャンされプログラムに「移された」後でも、テーブルに置かれた脳にあなたの意識が残るのではないのでしょうか。まだ機能している生物的な脳をわざわざ離れて、なぜあなたの意識はコンピューターへと移るのでしょうか。そんなことが可能なんて、まるで魔法のようだと私は思います。あなたの脳の働きを真似するプログラムが作られただけで、あなたの意識自体はテーブルの脳に残ったまま存在している。このほうがより現実的な仮説です(これについてはより詳しくここで語っています)。

これに少しでも納得していただけるのであれば、アップロードに同意して法的な書類にサインをしてしまうことは避けたほうがいいと思えるのではないでしょうか。アップロードをするため、機能を測定するプロセスにおいて生物的な脳が破壊されてしまうサービスならなおさらです(「破壊的アップロード」と呼ぶことにしましょう)。すると、非破壊的なアップロードは単なるお金の無駄遣いになるでしょう。コンピュータ・シミュレーションで(自分ではない)自分の複製を作ってしまうことになるだけです。それどころか、自分の持っている身体によく似た身体にその意識が移されることだって考えられます。その新しい「自分」が、もしかしたらあなたの仕事や配偶者を奪おうとするかもしれません。というのも、彼自身は自分こそがあなただと考えているからです。そういった状況において、法的な責任はきっとあなたに降りかかってきます。

懐疑的な理由その3

最後に、AIが人間的な意識を持つことができるかどうか、我々はほとんどわかっていません。自分の脳機能のコピーをアップロードしたとしても、そこではいわゆる「意識」は存在しないかもしれないのです。

アップロード版は今の自分自身とは異なるだろう、という推測がここからもできます(参照:David Chalmers、「機械は感じることができるのか?」)。さらに、大きな質問がまだ残されています。意識とは何なのか?
アップロードのプロセスを通過しても、あなたの意識が無事なままなのかどうか…。それを知るためには、「意識とは何なのか」を知ることが重要になります。それがただ脳そのものを示すのであれば、あなたの意識はアップロードを通過して生き残ることはできないでしょう。人間の思考はプログラムであると主張する人たちもいます。しかし、プログラムは数式と同様に抽象的な存在です。数式は、それを記述したものは存在していても、数式自体は存在していません。推定上は、あなたの意識とは具体的な存在なはずです。なんらかの場所を占めているはずです。もしかしたらIT用語でいうところのプログラム・インスタンシエーションが「あなた」なのかもしれません。プログラムを動かしている、何か(ある意味で、コンピューターのようなもの)です。では、それは一体何なのか? ここで最初の疑問に戻ってしまうわけです。意識とは何か?

Anders Sandberg(オックスフォード大学、人類未来研究所研究員)

可能か?

我々の意識をほかの身体にアップロードする。これにはふたつの問題があります。ひとつは哲学的なものでもうひとつは技術的なものです。
その人物が持っているアイデンティティーも移してしまうのか、それとも同じ(もしくは異なる)アイデンティティーを持つコピー/クローンを作ることを意味しているのか、もしくはまったくそれ以外のことを意味しているのか。これが哲学的な問題です。多くの人は直感的にどれかひとつに違いないと思うのでしょうが、ほかの人が異論を唱えると不快に感じるものです。

哲学者のDerek Parfitが彼の本「Reasons and Persons(1984)」で行なった有名な分析では、似たようなケース(スタートレックに出てくるような転送マシーン)をあつかっています。そこでの彼の意見に同意しますね。それは、誰がオリジナルの人物の「本当の」継承者であるかを確定してくれるような事実は存在しないという意見です。重要なこととして検討される要素のなかで、最も示唆的なものでも、せいぜい気持ちが「つながってるかどうか」くらいなものでしょう。

また、技術的な問題とはもちろんどうやって実際にそれを実行するか、ということです。現在、我々の意識は脳の活動から生まれます。もしくは脳の活動そのものを指します。つまり、意識の転送には同じことを行なうことができる脳を作る方法が必要となります。
「脳エミュレーション」の議題については、私も書いたことがあります。そこでは、脳の機能すべてをソフトウェアでシミュレーションするという未来の仮説です。そのためには、おそらく脳をスキャンする必要があります(この過程で脳は破壊されるかもしれませんが)。スキャンデータからニューラルネットワークを再構築し、コンピューターで適切なシミュレーションを行なう、ということですね。

『オルタード・カーボン』の世界では、皮質スタックを移植することでこれらのプロセスを可能にしています。おそらく脳のニューラルネットワークを、ナノテクノロジーのファイバー・ネットワークのようなものを使って常にスキャンしているのでしょう。脳にはたくさんの情報が含まれています。約1000億のニューロンが、それぞれ8,000ほどのシナプスによってほかのニューロンとつながっています。つまり、これらのトラッキングを実現しなければならないのです。もちろん、それぞれのシナプスにも複数の情報が含まれているでしょう。すべてをスキャンするためには、数ナノメートル単位での3D解像度が必要になります。これは現在の顕微鏡技術でも可能ですが、対象は極めて小さく(数マイクロメートル)なければならないうえに、冷凍されている/プラスティネーション(標本から水分や脂肪分をプラスチック樹脂に置換して固めること)されている必要があります。ニューロン同士の接続、そしてシナプスが持つ情報は10ペタバイト(約1万テラバイト)にもおよぶかもしれません。そして、実践するとなれば必要な3Dスキャンの情報量はもっと大きくなります。さらに、必要になる電気化学的なプロセスを考慮すると、非常に困難な作業になるでしょう。少なくとも今日の技術では不可能です。しかしムーアの法則があり、科学は今後も進歩するということを覚えておくことは重要です。つまり、今後数十年間のテクノロジーの発展によっては可能になるかもしれないということです。
冷凍された脳とは違って生きている脳ではあらゆる物が動いていますし、それをスキャンすることはおそらくいっそう困難で、免疫機能がそれを妨害しようとするでしょう。スキャン自体が脳の活動を邪魔するようでは困ります。物理的には可能でも、現代のスキャンと比べてはるかに困難な作業であるといえます。非常に高度なナノテクノロジーが必要なだけでなく、脳を電子的に変換する高精度な理解が必要です。それは巨大な変換であるため、冷凍スキャンと比べると非常に長い時間がかかるでしょう。
『オルタード・カーボン』ではもうひとつ、受け手側の身体に関する問題があります。ほぼ完全にオーガニックであるクローンの身体か、ドナー身体が受け入れ容器となっているようです。脳の役割をするソフトウェアをコンピューターが動かし、それが生身の身体をコントロールするということは想像できます。しかし、脳のネットワークを受け手の身体に存在している脳にダウンロードする技術は、想像でさえ非常に困難なこと。すべての接続を、ダウンロードを受ける側の体で再現する必要があるのですからね。これは、高度なナノテクノロジーをもってしても非常にトリッキーな作業です。多くのニューロンは長くのびて脳全体にひろがっており、そのルートを完璧に再現する必要があり、この再現は現実的ではないと考えます。

するべきか?

ドナーの身体を使うとなった場合、倫理的な問題が明らかにひとつ存在しています。「住む家=身体」がなくなった意識をどうするのか、という問題です。ほかにも次々と問題は想像できます。身体を持つ権利を失うことはあるのか? 身体を売ることができるのか? 身体を賃貸しすることができるのか? 身体を捨てられるものとしてあつかうことは悪いことか?…(ロール・プレイング・ボードゲームである「Eclipse Phase」は、こういった多くの問題をあつかっています。災害から避難する難民たちが避難する唯一の方法として、自分の意識をアップロードしソフトウェアとなる例や有機体を所有することのできない貧困層が低クオリティのロボットにアップロードされる例、そして富裕層が「デザイナー身体」を購入する例などがあります)

しかしこういった問題は身体から身体へと意識が移されることが倫理的であるかどうかの答えを与えてはくれません。ただ社会的な重要性を持つだろう、というだけです。これは医療制度の議論にも似ています。医療はどのように供給され、誰が対象になり、どの医療行為が義務であり、禁止され、許されるべきか。こういった事柄は大きな倫理的な問題につながりますが、医療自体が倫理的かどうかについては結論を与えてくれません。

たとえば意識のアップロード行為は「自然に反しているから、間違っている」という議論もありえます。人間は、身体を移し替えることで不死を達成するべきではない、という声です。しかし、何かが自然であるからといってそれが倫理的もしくは受け入れられるべきだとも限りません。我々は、ガンや社会の不公平を治療/解決しようとします。これはどちらも自然な世界の一部といえるでしょう。

さらに議論を深めれば、人間の人生は死の存在によって形作られており、それを変えることでわれわれは人間ではないものになってしまうということもいえるでしょう。そのため人間がそれを目指すのはよくない、という意見が出るかもしれません。しかしこの議論によると、たとえば猿は芸術や科学、宗教、スポーツなどを享受する「人間」になろうとするべきではない、ともいえますよね。こういった行動の楽しみは猿にとっての楽しみではないというのが理由になります。でも、これって本末転倒ですよね。われわれは猿の楽しみを享受することもできますし、また猿であることの制限の多くを人間は進化によって排除してきました。
これと同様に、意識をアップロードすることによって人間の生活における大きな制限を排除することができ、そのうえで我々が選ぶ楽しみも持ち続けることができるでしょう。もしくは多くの人が、いろいろな制限があるからこそ人間らしくいられるのだと考えるかもしれません。しかし『オルタード・カーボン』の世界にも多くの制限が存在します。人々が不死でいられるからといって、失恋、残酷さ、抑圧、テクノロジーの故障といったネガティブな事柄がなくなるわけではありません。我々のテクノロジーがどれだけ高度になったとしても、つねになんらかの制限と戦うことになるだろうと私は思っています。ほかには、生物としての機能を高めようとするとあらゆることをコントロールしようとするのではないか、と心配する人もいます。我々のあらゆる要素がデザインやエンジニアリングの対象となることで(変更できないからこそ我々の身体が持っていた)「本物としての価値」は減ります。また、つねに身体を調整しようとすることで細かい性質に対して不満を抱えるようになるでしょう。この懸念はすでに今日の社会に類似したものが存在しています。(我々の先祖と比べて)多くの自由や融通を得たことで、我々は多くの「贅沢な悩み」を抱えていますよね。しかしこういった悩みがあるからといって、生物としての機能を高める能力を持つべきではない、ともいえません。賢く、責任を持って生物として機能を高めることは可能だからです。

それは人間と呼べるのか?

このような技術が可能になったときに、我々は自分自身を人間と呼べるでしょうか。私の回答はイエスです。人間であるということはこの世界においてある特定の視点を持っていることを指しています。独特の偏見、動機システム、考え方、感情といった人間としての意識です。意識を転送することに成功すれば、純粋なソフトウェアであれ、ロボットであれ、生体であれ、何かが人間の意識を抱えることになります。この技術によって我々の意識を拡大・改善することができれば、(意識自体が変化したということで)我々を人間を越えた「トランスヒューマン」と呼べるようになるかもしれません。さらには「ポストヒューマン」とすら呼べる日がくるかもしれません。しかし、はるか遠くの未来に存在している超知的意識ですら、自分たちのことを「人間」という言葉で形容するだろうと私は思います

Randal Koene(カーボンコピーズ財団創立者、神経科学者)

可能か?

おそらく可能でしょう。多くの科学者にとって「我々の思考や意識とは、脳の生物学的な働きの結果の現象である」というのがデフォルトの仮説となっています。この仮説はこれまであらゆる反論に打ち勝ってきました。原理的には、脳の働きを理解しそれを実行することができさえすれば、思考や意識を生みだすはずです。

脳の働きの中心となっているのはニューロンと呼ばれるものです。この極小のプロセッサーたちは活動電位の伝導(興奮)によって細胞膜の電位が変わる以外の情報は何も持っていません。ある値に達すると、みずからの電気放電によって反応を示します。何十億のニューロンがこの行為を行なうことで、巨大なシンフォニーを生みだすんです。これが私たちが「存在する」という体験です。人間の脳について、この認知機能を数学的に複製するのに十分なデータを記録し、その数学的な機能をほかのデバイスで実行し、同じ意識を生みだすことが意識のアップロードとなります。そうすれば意識を脳から別の脳(デバイス)へと移すことができるので、「基板独立性(substrate-independence)」を達成したといえるでしょう。それを達成するために使われる神経工学を全脳エミュレーションと呼びます。

脳が持つ必要なデータすべてにアクセスすることは、最大の難関です。今日の神経工学では、全脳エミュレーションにおける最初のステップは神経補綴人工の神経、脳の小さな部分の代わりとなるもの)を作ること。南カリフォルニア大学のBerger研究所で行なわれている網膜補綴や野心的な海馬神経補綴といったプロジェクトがその例です。これによって海馬機能不全を抱えた患者が新しい記憶を作ることが可能になることを目指しています。脳が持つ部分すべてを神経補綴によって代替することができれば、原理的にはそれは全脳エミュレーションと同じになるでしょう。さらに研究が進んでいき、3Dスキャンによって脳のもつ活動を回復させる方法を知ることができるようになれば、そのようなスキャンから全脳エミュレーションが可能になるかもしれません。そうすれば意識のアップロード、精神の転送につながる道の誕生です。

するべきか?

はい、そう思います。カーボンコピーズ社では、これに取り組むことが非常に重要だと考えています。医療用の神経補綴が有益で患者の脳機能不全を治療するために望ましいということはすでに明らかです。それだけでなく、神経補綴は人間の能力を向上させる可能性を持っています。たとえば海馬神経補綴を持っているとしましょう。想像してみてください、何を記憶して何を忘れるかということを自ら選ぶことができるかもしれません。脳の機能をマッピングしモデル化することは、科学、医療、そして人工知能で何ができるかということを学ぶうえで重要なことは明らかでしょう。脳エミュレーションが可能なレベルまで神経補綴製造技術が達すれば、人間の歴史でも特別な時点となる可能性があります。従来であれば脳のある部分とやりとりをしようとしても、認知機能に絶対的な限界があります。たとえば、ニューロンはマイクロ秒のレベルで起きることに反応できるような、もしくはそれを認識できるような速度で反応はできません。そのため宇宙の現象の多くは機械にしか(発生と同時には)体験・観測できないものがたくさんあります。こういった制限を克服することで「人類の繁栄」につながる、というのは意識のアップロードに対するひとつの賛成理由となるでしょう。宇宙があたえてくれる物のごく限られた部分だけを人間は体験し、より大きな可能性は機械に託すのではなく、より多くのことを我々自身で体験し、参加する、そんな人間の能力を拡大/発展するという選択肢が得られるわけです。

また「人類の生き残り」のために必要であるという議論もあります。われわれの精神を修正することができなければ、進化上のニッチにしかとどまることができません。そして進化の歴史が明らかにしたのは、ニッチな存在は消え去る傾向にあるということです。人工知能の発展の現状をみても、人間の思考の重要性は、将来ますます小さくなることを示唆しています。変化に適応することは生き残るための必要条件かもしれません。

それは人間と呼べるのか?

私は、意識をアップロードされた存在が人間以外であると考えたことはありません。人工内耳や義足を身につけた人も、我々は人間だと考えます。なので人工の身体を持っていたとしてもそれは人間と呼ばれるだろうと私は想像します。それどころかテクノロジーを通じて我々の能力を拡張するということは、歴史上においても常に人間特有の行為でした

Miguel A. L. Nicolelis(デューク大学、神経生物学、生体医療工学、心理学、神経科学教授)

(意識のアップロードは)不可能です。我々の意識はデジタルではまったくないからです。デジタルの方法では抽出できない、脳の組織に埋め込まれた情報に(意識は)依存しています。これはSF都市伝説であり、いかなる科学的な根拠も有益性も持っていません。人間の独特な性質をデジタルの機械と比べることで矮小化し、知識を持たない人々に恐怖を植えつけるだけです

Image: Gizmodo US
Source: UCLA Brain Mapping CenterThe VergeBBC News, Wikipedia(123), The New York TimesDavid ChalmersYouTubeIT用語辞典Journal of Evolution & TechnologyFeasibility of Whole Brain EmulationWhole Brain EmulationCornell University LibraryMonte Carlo model of brain emulation developmentEclipse Phase

Beth Elderkin – Gizmodo US[原文
(塚本 紺)


  1. 脳の約75%は水でできています。つまり脱水状態になると少量でも脳の機能に悪影響を及ぼすことがあります
  2. 人間の脳は生後1年で3倍に成長します。成長は18歳くらいまで続きます。
  3. 頭痛は、首や頭の筋肉や神経と結合した脳内の化学反応によって引き起こされます。
  4. 脳は体内の酸素と血液の20%を消費しています。
  5. アルコールは、目がかすむ、言葉が不明瞭になる、歩行が不安定になるなど、脳にさまざまな影響を与えます。これらは通常、酔いがさめると消えます。しかし、長期間にわたって頻繁に飲酒した場合、アルコールが脳に永久的な影響を与え、再びしらふになったときに元に戻らないという証拠もあります。長期的な影響としては、記憶力の問題や認知機能の低下が挙げられます。
  6. エジプトでは、ミイラ化する際に、鼻から脳を取り出すのが一般的でした。
  7. 人間の脳は年をとると小さくなる。これは通常、中年以降のある時期に起こります。
  8. 人間の脳は20代後半になると ある程度の記憶能力と認知能力を失い始めます。
  9. 頭がキーンとなるのは、まさに翼口蓋神経節神経痛です。冷たいものを食べたり飲んだりしたときに起こります。喉の奥にある血管や動脈を冷やします脳に血液を運ぶ血管も含めてです。これらは寒いときに収縮し、再び暖かくなると元に戻り、額に痛みを引き起こします。
  10. 夢は、想像力、物理的な要因、神経学的な要因の組み合わせと考えられています。寝ている間も脳が働いていることを証明しているのです。
  11. 人間は脳の10%しか使っていないというのは迷信です。実は全部使っているのです。寝ているときも10%以上使っているのです。
  12. 人類の進化の過程で、脳の大きさは3倍になりました。
  13. 脳は15ワットの電球とほぼ同じ電力を使っています。
  14. 年老いた脳が遅くなるのは、脳が弱くなったからではなく、より多くの情報を保持しているからなのです。
  15. 脳は質量では2%ほどしかありませんが、血液は20%も使っています。
  16. 脳は心臓が止まってから最大6分まで生存できる。
  17. 脳は痛みを感じることができない。
  18. 人間の脳は、強力なスーパーコンピューターよりも1秒間に多くの計算をすることができる。
  19. あなたの脳の皮質を平らにすると、新聞の1ページほどの大きさになります。

    皆さんはテレビアニメにもなった『銀河鉄道999(スリーナイン)』という松本零士氏のSFマンガをご存じでしょうか。

    この物語は、主人公の少年・鉄郎が謎の女性メーテルとともに、銀河鉄道999号に乗って宇宙を旅するストーリーです。

    その概要はこうです。

    宇宙の多くの裕福な人々は機械の身体に魂を移し替えて、永遠の生を謳歌していたが、貧しい人々は機械の身体を手に入れることができなかった。

    生身の人間は、機械化人の迫害の対象にされ、主人公の鉄郎は、母親を機械化人に殺されてしまった。

    そこで鉄郎は、機械の身体を求めて、それをタダで実現してくれるという惑星を目指し、メーテルと銀河鉄道999号に乗り込み、星から星へと旅をする、というものです。

    その中の、ある惑星でのエピソードから、「幸せとは何か」を考えてみたいと思います。

    そこは科学文明がめざましく発達した星。

    オゾン層破壊、環境ホルモン、核ミサイルなど、科学の負の面がなく、人間が便利に、快適に生きやすくなることにのみ科学文明が使われている、まさに理想社会が実現されている世界。

    生産活動は、全部ロボットがやる。店の従業員も、すべてロボットなので、人間はそのサービスを受けるのみで、仕事をしなくていい。定年を待たずして、毎日が日曜日です。

    鉄郎は「ここは夢のような星だ。理想郷だ」と思います。

    ところが意外なことに、その星の人はみんな目がトロンとして、生気のない、つまらなそうな顔をしているのです。

    何でも機械にまかせ、ラクばかりして、“食べて寝て”を繰り返していますからブクブクと太ってしまってます。

    鉄郎は、その星の人と接し、理想郷なんかではないことを知ります。

    「この星は便利だ。だけど充実がない」

    ●「有無同然(うむどうぜん)」

    40年ほど前のマンガですが、機械化が進む現代に生きる私たちを予言しているかのような内容でした。

    私たちは物が豊かになり、生活が便利になれば幸せになれると信じてきました。

    ところが実際は、どうでしょう。

    昔も今も、幸福感はほとんど変わってないのが実態ではないでしょうか。

    お釈迦さまはこの真実を、2600年前、

    有無同然(うむどうぜん)」

    と、説かれました。

    お金や物が、有っても、無くても、苦しんでいることは変わらない、同じだということです。

    私たちはお金や物、名誉や地位、恋人や家族などが「無い」ことが苦しみの原因だと思い、それらを得れば幸せになれると一生懸命ですが、果たして本当に幸せになれるのでしょうか。

    いや、昔の人に比べたら、既に格段に便利な世の中に暮らしているはずですが、「ああ、なんて幸せなんだ」という実感があるでしょうか。

    なかなか、そうとはいえない現実があります。

    なぜ、そんなことになってしまうのか。

    それは、苦しみの本当の原因を知らないからだ、とお釈迦さまは教えられています。

    では、本当の苦しみの原因はどこにあると仏教は教えているのでしょうか。

    ●心が熱病にかかっている

    お釈迦さまは、苦しみの真の原因は「己の暗い心にある」と診断を下されています。

    例えば、インフルエンザにかかって、40度の高熱が出たら、どんな高級料理を出されても、おいしく味わうことはできませんよね。

    同じように、心の暗い人は、どんな幸福も心から味わうことができないのだよ、と教えられているのです。

    この暗い心を、仏教の言葉で「無明の闇(むみょうのやみ)」といわれます。

    これこそ、古今東西のすべての人に共通する苦しみの根本原因であると仏教で教えられています。

    そしてお釈迦さまは、この「無明の闇」を晴らすお力のある仏は、大宇宙広しといえども、あらゆる仏の先生である阿弥陀仏以外にない、と説かれ、「早く阿弥陀仏に救われなさい」と教えてゆかれました。

    ●仏教が私に与える幸せ

    阿弥陀仏を、大宇宙のすべての仏が「先生」と仰ぐのは、他の仏にはない、ズバ抜けた力を持たれているからです。それこそ「無明の闇を破る力」なのです。

    「我にまかせよ、すべての人の心の闇を破り、必ず無上の幸福にしてみせる」

    この阿弥陀仏のお誓いを「阿弥陀仏の本願」といわれます。

    どんな人も、この阿弥陀仏の本願のお力によって、無明の闇が破られた一念に、生きている現在ただ今、無上の幸福になることができます。

    このとてつもない幸せの身に生かされた時、「人間に生まれてきたのは、このためだった!」と、人生の目的が、ハッキリします。

    親鸞聖人は29歳の時、阿弥陀仏の本願によって無上の幸福に救い摂られ、90歳でお亡くなりになるまで、この弥陀の本願の救いひとつを伝えていかれたのです。

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