「人生100年時代」等身大の姿とは? 100歳を100人取材して気づいたこと

 厚生労働省によると、2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きると推計され、日本は世界一の長寿国にもなる。人生100年時代の等身大の姿はどのようなものか。貴重な調査に携わったジャーナリストに話を聞いた。

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■調査したジャーナリストに聞く

長寿の国といわれる日本。現在、100歳以上人口は8万6510人(2021年9月)で、年々、増加傾向にある。100歳の人たちは、どういう暮らしや生活をしているのか。そんな素朴な疑問から、金丸弘美さんらライターや編集者18人でプロジェクトを組んで全国の100歳100人のインタビューを試みた。1995年のことだ。その調査は「百歳、百人、百様の知恵」(実業之日本社)として出版された。以下は金丸さんの話だ。

 インタビュー当時の1995年は、100歳以上の人は約6500人でした。ということは、ここ27年で、8万人も増えているということになります。

当時の調査では、自立して生活し、私たちと対等に話せる人たちは21%とありました。つまり100歳といえども5人に1人は元気だったんです。残りは介護や病気や車椅子などが必要な人でした。

100歳でも元気な人たちは、庭いじり、家事、野菜作り、編み物、店番、書道、俳句、山登り、囲碁、将棋、音楽の演奏(オルガン、マンドリン)など趣味がある。なかには現役の農業、芸者、医師もいました。

家族構成は、1人暮らしが1人で、3人暮らしがもっとも多くて20人。最多は13人暮らしの方が1人、病院が4人、老人ホームが21人などでした。

 一緒には住んでいないが孫たちがちょくちょく遊びに来るという人も多かったですね。老人ホームでは仲間がいて和気あいあいと楽しむ人も少なくない。触れ合いや会話というのも長生きに必要なことがわかります。

食事をしっかり取り、規則正しい生活をしている。健康にも配慮している。喫煙は3人ありましたが、8割以上の人がまったく吸っていませんでした。残りは過去に吸った経験があるが今は吸っていない方たちでした。お酒を全く飲まない人が6割、残りは今も少したしなむ程度という人です。

生活習慣とリズムが大切だというのがわかります。

趣味や仕事など生きがいが大事

三味線を弾ける人が多く、集まると踊りとなる(徳之島で)/(金丸弘美さん提供)
三味線を弾ける人が多く、集まると踊りとなる(徳之島で)/(金丸弘美さん提供)
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 しかし、それ以上に、当人にするべき趣味や仕事という生きがいがあるということがもっとも大切なのだと知りました。

東京・恵比寿にお住まいだった現役医師の寺田廉さんは、若いときにはテニスローラースケート、ゴルフなどスポーツをたしなみ、100歳の時は庭いじり、囲碁、短歌が趣味でした。食事は好き嫌いなく食べる。ただし塩分控えめ。朝、早起きして診察をして、昼食後は、新聞を読んでくつろぎ夕方まで診察。夕食後風呂に入り、読書の後22時には就寝という生活をされていた。「死ぬまで働き、頭を使うこと。頭は使えば使うほどよくなる。たとえ何歳になっても頭は使わないとボケる」とおっしゃっていたことが印象的です。

■現役の芸者、新聞配達員も

 東京都台東区の100歳で芸者だったのは加藤はるさん。朝起きてヘチマコロンをつけ、眉を引き、口紅をつける。家ではタスキをして、家事の片づけ、掃除をする。月2回ほど座敷に出る。お客さんの要望は、話を聞きたい、記念写真を撮りたい。100歳にあやかりたいというお客さんが来る。ちょっとお酒を飲むと気が乗って三味線を弾くという方です。

島根県の加茂町(当時)の藤原福蔵さんは、お会いしたとき97歳でしたが、現役の新聞配達員でした。小さな村で若い人がいないということから友人に頼まれて70歳から新聞配達を始めたといいます。毎朝6時から約30年以上にもわたって新聞配達をしていた。そのかたわら趣味で、地域の歴史研究会に入っていて調査をしていました。なにせ生き字引のような人で、日露戦争のときにはロシアの艦隊を目撃している人です。仕事は農業で、こちらは80歳まで現役でした。

マサさんが元気だったわけ

食環境ジャーナリスト・食総合プロデューサーの金丸弘美さん(提供写真)
食環境ジャーナリスト・食総合プロデューサーの金丸弘美さん(提供写真)
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 そんな多くの100歳にお会いしましたが、沖縄の「大名」という特別養護老人ホームで会った兼島マサさんの言葉が印象深かったです。

マサさんは、小さい頃、学校が嫌で行かなかったそうですが、好きな帽子作りや、着物作りをして暮らしてきました。親は沖縄でさまざまな食料を運ぶ仕事をしていたそうです。20歳そこそこで結婚し、夫と台湾に渡って30年暮らし、終戦で沖縄に戻ってきました。ご主人が亡くなってからは親戚に世話になりました。沖縄は年長者を敬う習慣があって、みんな親切にしてくれたそうです。ホームに入ってからも、庭仕事や自分の服は自分で縫うなど、ずっと好きなことを貫いてきたマサさんに長生きの秘訣を尋ねました。

「毎日、ご飯をきちんと食べて、くよくよしないからです。人の悪口を言うのは嫌い。悪口を言われるのも嫌い。私は品行の悪い人とは、友達になりたくありません」

マサさんは、お洒落をしたいと、わざわざ、外の美容室に通っていました。自分の好きな仕事と、いい人との出会い。お洒落、それが彼女を元気にしていました。

■自分のリズムで暮らし仕事があること

鹿児島県の奄美諸島。2021年、世界自然遺産に登録された徳之島の伊仙町は、120歳まで生きてギネスブックに掲載された泉重千代さんと、114歳ごろまで生きた本郷かまとさんが生まれ育ったところ。島には長寿の人たちがたくさんいます。お願いして100歳の人たちの座談会もしてもらったし、いろんな高齢の人たちの家にも遊びに行きましたね。

102歳の政岡さんぶさん宅も何度か訪ねましたが、彼女は98歳まで牛を飼っていました。亡くなるまで畑を耕し自分の家庭の野菜を作っていて、訪ねると自ら郷土料理「あぶらソーメン」をごちそうしてくださった。

島には、80歳、90歳の人たちがたくさんいますが、決まって元気な人たちは、農業や塩作りや黒糖作りといった加工品作りなど、仕事の現役でした。自分たちのリズムで、自分の仕事がある。長寿の人たちは島の季節の旬の野菜、果物、食事を食べる。地産地消の食事です。よく働き、仕事があり、好きなことがある。適度の運動とバランスのよい食を重ねていました。

さらに共通点がありました。みなさんお洒落だということです。100歳で元気な人は、現役、あるいは最近まで仕事やボランティアや習い事をしていたという方が多かった。人に触れ合う機会があることから身なりをきちんと整えるんですね。女性の方はしっかり髪も整えている人が多かったです。

金丸さんの話を聞いて、“老後”やFIRE(経済的自立による早期リタイア)などは過度に意識しないで現役で生きようと痛感した。

■最近のご長寿調査の結果は?

青汁で知られる食品会社キューサイ(福岡県)は2016年から100歳以上100人に対面調査や家族アンケートを実施している。

長生きの秘訣は「食事」「運動」「交流」などと分析している。食のためには歯が大事。半数以上がかかりつけの歯医者も持っていたという。

 

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