第10回 精神文化

第10回 精神文化
1 考古学による精神文化へのアプローチ
2 人物造形品からさぐる先史時代の儀礼
3 銅鐸を用いた農耕儀礼
4 王権の儀礼、国家的な祭祀
【キーワード】
呪術、儀礼、祭祀、縄文時代、弥生時代、古墳時代、土偶、石棒、動物形土製品、銅鐸、埴輪、人面墨書土器、農耕儀礼、王権、国家的祭祀


  1. 縄文時代の土偶
  2. 弥生時代の銅鐸
  3. 古墳時代の人物埴輪
  4. 律令期の人面墨書土器
  5. 中範囲理論を活用し、コンテキストから1〜4の歴史的な意義や進化を探る

1.考古学による精神文化へのアプローチ

祭祀(さいし)〘名〙 神や祖先をまつること。まつり祭典祭事沖ノ島

呪術 超自然的な存在に訴えることによって、病気治療、降雨、豊作、豊漁などの望ましいことの実現を目ざした行為。

術は英語のmagicの訳で、まじない魔術ともいわれるが、手品師を魔術師ともいうので、手品と区別するために呪術という語が用いられている。magicは、語源的には古代ペルシア語のMagus(占いや呪術を職業としている集団)に由来し、ギリシア語のmagos(マグス人、呪術師)はその借用語である。この行為の背後には超自然的存在に関する信仰が存在することが多いが、信仰が呪術的行為の前提であるとは限らない。

J・フレーザーは、呪術が超自然的霊格を統御することによって目的を達成しようとするのに対して、宗教は霊格に対する懇願であると述べて、両者を峻別(しゅんべつ)した。しかし、諸民族の宗教体系には両者の区別が明瞭(めいりょう)でないものが多く、宗教という用語のなかに呪術を含んで使われることが少なくないし、「呪術・宗教的」という語も用いられる。フレーザーはまた呪術と宗教の関係を発達段階としてとらえ、呪術のほうが宗教よりもより原始的であると論じたが、もっとも原始的とされる狩猟採集民においても、至高神の崇拝をめぐる宗教体系がみられることがしばしばあり、一概に呪術が古いとはいえない。たとえばアフリカの狩猟民であるサンとインドネシアのスマトラに住む農耕民ミナンカバウとを比較した場合、文化的には後者のほうが複雑であるが、呪術はミナンカバウのほうにいっそう顕著である。

長い間日照りが続くと、水をまいたり、太鼓をたたいたりして行う雨乞(あまご)い儀礼は世界各地の伝統社会にみられるが、水を地面にまき、太鼓をたたいたりする呪術は、降雨と雷鳴のまねである。このように望ましい現象と似たことを行う呪術を、フレーザーは「類感呪術」あるいは「模倣呪術」とよんだ。これに対し、日本に、病弱な子供を健康にするために、じょうぶな子供の着ていた着物の布きれを集め、それを縫い合わせて着せるという習慣がある。これは、フレーザーが「感染呪術」とよんだもので、「接触呪術」ともいわれる。他人を病気にさせるために、その人の毛髪、爪(つめ)、排泄(はいせつ)物、衣服などを火にかけたりする呪術も、感染呪術の一種である。雨乞いとか健康回復を目ざす呪術は、社会や人のために行う呪術として「白い呪術」ともいわれる。人を苦しめ呪(のろ)い殺すための呪術は「黒い呪術」といい、「邪術」sorceryともいわれる。

中範囲理論(ミドルレンジセオリー)の適用
・動的現象(農業の発生理由や戦争の要因など)と考古資料(沈黙的静止的)の中間的な事象を利用して両者を橋渡しすること。
・中間の媒介は、文字史料・民族誌・実験結果など
考古学的なコンテキストを重視
・一括遺物など、遺跡や遺構における一定の遺物の状況
・考古遺物がもつ様々な情報の組み合わせ

2.人物造形品からさぐる先史時代の儀礼

(1)土偶とはなにか

滋賀県東近江市相谷熊原遺跡 相谷熊原遺跡 – 文化遺産オンライン… 滋賀県東近江市永源寺相谷町字熊原1637番 3,767㎡ 字熊原1638番 2,592㎡ 字熊原1639番 2,103㎡

(2)土偶と石棒のコスモロジー

石棒:長野県佐久市北沢川  縄文時代中期後半に、当地から産出した佐久石(志賀溶結凝灰岩)を用いて作られたもので、全長2.23メートル、直径25センチメートル、この種の遺物としては日本一の大きさである[5]。佐久穂町指定文化財(有形文化財)に指定されており、番号11・石棒という名称で登録されている[6]。

千葉県いすみ市新田野貝塚

3.銅鐸を用いた農耕儀礼

(1)銅鐸の型式学

鳥取市稲吉角田遺跡

(2)銅鐸絵画の分析

兵庫県神戸市桜ヶ丘神岡遺跡

(3)弥生土器絵画の分析

天の鳥舟

(4)銅鐸の埋納

鳥取県出雲市神庭荒神谷遺跡(かんぱこうじんだに)

南雲市加茂岩倉遺跡

岡山県倉敷市楯築墳丘墓

4.王権の儀礼と国家的な祭祀

(1)人物埴輪の性格

群馬県高崎市綿貫観音山古墳 観音山古墳は墳丘全長が97メートルの前方後円墳で、6世紀後半に造られたと推定されています。昭和42(1967)年から43(1968)年にかけて群馬県教育委員会によって発掘調査がおこなわれました。

(2)埴輪群の意味

群馬県高崎市保渡田八幡塚古墳

保渡田古墳群の画像

八幡塚古墳、二子山古墳、薬師塚古墳の3つの前方後円墳が集積する古墳群。三つの古墳は、約1,500年前の豪族が葬られた墓で、いずれも墳丘長約100メートルの前方後円墳。広大な二重の堀を巡らし、多量の埴輪を立て並べていました。

大阪府高槻市今城塚古墳

最大の特徴である埴輪祭祀場は、家、人物、動物など200点以上の形象埴輪が整然と並んでいます。大王のハニワ祭が再現されているのは日本でここだけです。ぜひお越しください。

今城塚古墳公園案内図の画像です

1.墳丘盛土を雨水からまもる工夫 2.後円部テラスの施設 3.重い石室を支えた石組 4.地震で崩れた墳丘
5.築造当初の姿をのこす南西隅部 6.儀式の場(北造出) 7.儀式の場(南造出) 8.墳丘をとりまく水濠
9.内濠をかこむ堤 10.埴輪まつりのステージ 11.聖域をあらわす垣根 12.内濠をかこむ堤
13.水をためない濠 14.地鎮のまつりと内堤の断面 15.大王の埴輪まつり 16.6世紀の大王墓 今城塚古墳

(3)人面墨書土器と国家的な祭祀

平城京東堀河左京八条三坊九坪

 

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