実は脳の神経細胞が「縮んで」いた!ついにわかってきた「うつ病」のメカニズム

自閉スペクトラム症、ADHDなどの発達障害、統合失調症……。多くの現代人を悩ませる「心の病」について、原因と治療法の研究が進んでいます。

脳科学の視点から最先端の研究を紹介した『「心の病」の脳科学』(講談社ブルーバックス)の中から、特に多くの人々を悩ませる「うつ病」について紹介しましょう。

*本記事は『「心の病」の脳科学  なぜ生じるのか、どうすれば治るのか』を一部再編集の上、紹介しています。

日本人の100人に6人が発症する「うつ病」

WHO(世界保健機関)によると、「気分が落ち込む」「何に対しても興味や喜びを感じることができない」といった症状が現れるうつ病は、2021年時点で、世界で約2億8000万人もの人々が苦しんでいる精神疾患です。

厚生労働省によると、日本では100人のうち約6人という高い頻度で発症します。

うつ病は、統合失調症や双極性障害などに比べて遺伝要因よりも環境要因が発症に強く影響するという調査報告があります。精神的ストレスや身体的ストレスなどの環境要因によって、誰もが発症する可能性がある精神疾患だと言えるでしょう。

うつ病とはなにか

誰でも何らかの理由で気分が落ち込むことがありますが、やがて元気を取り戻します。うつ病の患者さんの症状は、そのような多くの人たちが経験する気分の落ち込みとは、質の異なるものです。

理由がないのに気分の落ち込みが続き、生きていることに価値を見出せない苦しみに襲われます。その苦しみを止めるには死を選ぶしかないと思うけれど、死ぬ元気もなく苦しみに耐えているといった症状が現れるのが、うつ病です。

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現在では、さまざまな種類の抗うつ薬が開発されています。その多くは、脳の広い範囲に拡散して気分を安定させたり高めたりするセロトニンやノルアドレナリンという神経修飾物質のはたらきを強めるものです。

既存の抗うつ薬は、副作用が軽減され、うつ病の患者さんのうち7割ほどの人たちの症状を改善しますが、まだ問題点が残されています。服用を始めても治療効果が出るまで数週間かかる一方で、いまだに残る副作用はすぐに現れるため、服用を止めてしまう患者さんがいることです。

既存の抗うつ薬は3割の人には効かない

また、既存の抗うつ薬は、うつ病の患者さんのうち3割の人には十分な効果が出ないという、もう一つの大きな問題点があります。そもそも、うつ病の発症メカニズムがよく分かっていません。

したがって、セロトニンのはたらきを強める既存の抗うつ薬が、うつ病の発症メカニズムに作用する根本治療薬なのか、症状を緩和する対症療法なのかも分かっていません。同じうつ病でもなぜ3割の患者さんには効果が不十分なのかも不明です。

発症メカニズムの解明を進め、客観的な診断法や、既存の抗うつ薬とは異なる作用を持つ新しい治療法の開発が求められているのです。うつ病の原因について、これまでさまざまな仮説が提唱されてきました。

そして近年、新しい視点や技術によって、うつ病の発症メカニズムに迫る研究が進展しています。

中でも私たちは、慢性ストレスによる脳内炎症がうつ病を引き起こす、という仮説のもと研究を進めているところです。

ストレスによって分泌される「あるホルモン」

まず、うつ病の原因となるストレスとは何か、ストレスによって脳にどのような変化が起きるのかお話ししていきましょう。

うつ病の発症リスクにもなるストレスは、もともと物理学の用語で、物体に力を加えたときに生じる「ひずみ」のことです。それを生物学の用語として導入したのが、「ストレス研究の父」といわれるハンス・セリエ(1907~1982年)博士です。

セリエ博士は、血液中に分泌される情報伝達物質であるホルモンの専門家でした。1930 年代、彼は新しいホルモンを見つけようと、動物にいろいろな種類の刺激を与えました。

当時の常識では、寒冷や騒音などの物理的な刺激と、薬物などの化学的刺激では、別のホルモンが分泌されると考えられていました。しかし、刺激の種類にかかわらず同じように分泌されるホルモンがあること、それらの刺激によって免疫や消化機能の低下、睡眠障害、やる気の消失といった共通の変化が心や体に現れることが分かりました。

そのような生体の「ひずみ」「ストレス」とセリエ博士は呼びました(図参照)。

さまざまな刺激によって共通の変化が心や体に現れる。それらの生体の 「ひずみ」をストレスと呼ぶ。 *図:『「心の病」の脳科学』(講談社ブルーバックス)より
さまざまな刺激によって共通の変化が心や体に現れる。それらの生体の 「ひずみ」をストレスと呼ぶ。 *図:『「心の病」の脳科学』(講談社ブルーバックス)より© 現代ビジネス

ストレスによって神経細胞が退縮する⁉

ストレスが共通の変化を心や体に引き起こす仕組みとして、セリエはグルココルチコイドというホルモンに注目して研究を進めました。

ストレスを受けると、脳にあるホルモン分泌の司令塔である視床下部―下垂体の指令により、腎臓の上部にある副腎皮質から、グルココルチコイドの分泌が促されます。

そして1990年代、ストレスによって分泌されるグルココルチコイドを動物に投与すると、学習や記憶に重要な海馬という脳領域の神経細胞が変化することが発見されました。ほかの神経細胞からの信号を受け取る樹状突起の枝が減って短くなる退縮が起きたのです。

当時は、一度できた神経細胞の形状は大きく変化しないというのが常識でしたので、樹状突起の退縮は驚くべき発見でした

うつ病患者で縮小している「重要な脳の部位」

脳の変化はうつ病の患者さんでも起きていて、海馬と前頭前野(ぜんとうぜんや)の一部、内側(ないそく)前頭前野の体積が縮小しているという報告があります(図参照)。脳体積の縮小は、細胞死以外に、樹状突起の退縮やシナプスの減少によっても起きます。

脳の断面図。うつ病患者では、海馬と内側前頭前野の体積が縮小しているという報告がある。内側前頭前野は扁桃体を制御している。 *図:『「心の病」の脳科学』(講談社ブルーバックス)より
脳の断面図。うつ病患者では、海馬と内側前頭前野の体積が縮小しているという報告がある。内側前頭前野は扁桃体を制御している。 *図:『「心の病」の脳科学』(講談社ブルーバックス)より© 現代ビジネス

うつ病の患者さんで縮小が見られる内側前頭前野は、扁桃体(へんとうたい)を制御しているといわれています。

扁桃体は、敵に襲われるなど怖い出来事があると活性化して、敵と戦う、あるいは逃走するという適切な対処を促します。そのような恐怖体験を記憶する役割も扁桃体にはあります。

理由のない不安感や無気力はなぜ起こるか

危険な状況では扁桃体が活性化して適切な行動を取る必要がありますが、理由もないのに日常的に扁桃体が活性化していると、理由がないのに不安感が続いたり、目の前の出来事から逃げ出したりする無気力な行動(うつ様行動)が現れます。そのような扁桃体の不必要な活性化を内側前頭前野が抑制しています。

しかし、内側前頭前野の神経細胞の樹状突起が退縮してしまうと、扁桃体を抑制するはたらきが弱まってしまい、うつ様行動が現れるのでしょう。

軽症のうつ病には、抗うつ薬を使わない治療法である認知行動療法が効果を発揮するケースがあります。それは出来事をネガティブに解釈する認知のゆがみを、専門家の指導のもとで修正していく方法です。それにより、内側前頭前

野による扁桃体の制御が回復して、うつ病の症状が改善すると考えられています。

本書『「心の病」の脳科学』では、うつ病の効果を控える可能性のある物質な

ど、最新のうつ病研究の成果とともに、より詳しくご紹介しています。

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