多神教の社会では生け贄として神々に捧げられたのに… ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も「豚」を忌み嫌うのはなぜか?

「豚に真珠」ならぬ「豚に花」やる馬鹿(16世紀前半の風刺画) Photo: Heritage Art / Getty Images

「豚に真珠」ならぬ「豚に花」やる馬鹿(16世紀前半の風刺画) Photo: Heritage Art / Getty Image

 

さまざまな宗教にさまざまな食物規定があるが、とりわけ一神教で豚が忌避されてきたのはなぜなのか。宗教史が専門のドキュメンタリー作家が、仏高級紙「ル・モンド」で考察する。

豚は、古代世界でことさら珍重された。紀元前3000年紀、エジプトの農民は豚を飼育し、大量に消費した。そこに豚を見下す風潮はなかった。それどころか、その肉はオシリスの神に捧げるのに相応しいものとされていた。

多神教の社会(ギリシャ、ローマ、ゲルマン、北欧、ケルト、スラブ)では、神々を讃えるために豚を生け贄に捧げた。豚は人々の命を支える食べ物だった。その肉はごちそうであり、その脂は灯りに使い、皮革と腱は楽器の弦に、毛はブラシや筆になった。

では、なぜ一神教では、豚が蔑視されることになったのか。

悪徳を体現するような動物?

中世のキリスト教世界では、豚が主要な食肉だったのに、少しずつ蔑視されていった。もっとも、いつも鼻で地面を掘り返してばかりいて、神がいる天に目を向けようともしないこの動物をどうとらえればよかったのだろうか。

しかも、この動物は、ほかの動物の糞や死骸も食べるのだ。悪魔の特徴といえそうなものも、もれなく備わっていた。色は黒(中世ヨーロッパの豚は、アジア由来のピンクの豚と混じっていなかった)。開かれた口からは地獄の淵のような光景がのぞいた。視力が弱く、神という光を見ることもできない。

中世の美術作品では、豚には「不潔」「暴食」「淫乱」「憤怒」といった特徴があると強調され、まるで悪徳を体現するかのような動物として描かれた。ぬかるみに浸る豚は、おのれの罪に舞い戻る人間の象徴だった。

ヨーロッパでは、中世・近代ともにユダヤ教を敵視する風潮があり、ユダヤ人が忌み嫌うこの動物の名が、ユダヤ人の呼称に使われた。13世紀から17世紀まで、ユダヤ人の子供がメス豚の乳を吸う絵も出回った。

とはいえキリスト教徒は、豚肉を食べることを禁じられていたわけではなかった。それが、豚肉を食べることが厳禁だったユダヤ教とは異なるところだ。

(古代イスラエルの民に与えられた「モーセ五書」のひとつであり、祭祀律法書である)「レビ記」(11章7~8節、聖書協会共同訳)にはこう書かれている。

「豚、これはひづめが割れて、完全に分かれているが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。これらの肉を食べてはならない。死骸に触れてはならない……」

生きた豚に触れてはならず、豚の名を口にしてもならなかった。

イスラム教の聖典「コーラン」にも同じタブーがあり、複数の節でその禁忌が書かれている(2章168節、5章4節、6章146節、16章16節)。

加えてイスラム教では、正規の作法に則って喉を切って殺した動物でなければ、その肉を食べてはならないことになっている。もっとも、これは特定の動物の肉の禁忌というよりは、血に関するタブーだ。

イエスのたとえに出てくる放蕩息子は有り金を使い果たし、ユダヤの民にとって穢れた豚の世話をする……アルブレヒト・デューラー作「放蕩息子」(15世紀末) Photo: Historical Picture Archive / Getty Images

なぜ豚は忌避されたのか?

それにしてもなぜ豚は忌避されたのか。衛生上の理由や気候を原因として挙げる人もいる。豚はゴミを食べ、その肉は消化しづらかった。よく火を通して調理したり、適切な条件で保存したりしないと不衛生だったというわけだ。

フランスの歴史家ミシェル・パストゥローが唱える説は、それとは異なる。豚を食べるのが禁じられたのは、人類学的な観点から見たときの人と豚の近似性が原因だというのだ。

豚を食べるのは、人肉を食べるのと同然とみなされたという見方である。実際、中世では教会が人体の解剖を禁止していたので、医学校では人体の構造を知るために豚を解剖していたこともある。

パストゥローによると、豚が変わり種の動物であることにも留意すべきだという。豚は反芻動物のようにひづめが分かれているが、反芻しない。このような「収まるカテゴリーがない」動物は、穢れているとみなされることが非常に多い。

分類不能ゆえに忌み嫌われた動物──それが豚の歴史なのだ。

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