《本来の寿命は「55歳」程度である》人間が“寿命の壁”を乗り越えている「特有の理由」

ノンフィクション作家・河合香織氏の新連載「老化は治療できるか 人は何歳まで生きられるのか――最新研究の現在地」を一部転載します。(月刊「文藝春秋」2023年3月号より)

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「人は500歳まで生きられる」?

 今、老化制御ビジネスが世界中で高い注目を集めている。

河合香織氏

河合香織氏© 文春オンライン

「不老不死は難しくても、寿命を100年延ばすことはできるのではないか」。グーグル共同創業者のラリー・ペイジは、こう発言している。そして寿命を劇的に延ばすことを目標とする研究所カリコを設立し、15億ドルを投資した。

 グーグルの投資部門の責任者だったビル・マリス(グーグルは「不老不死ビジネス」に賭ける! 投資部門トップが退社前に明かした「史上最大の投資先」)もこんな予測を口にする。

「人は500歳まで生きられる」

「私は死ななくてもすむようになるまで長生きしたい」

 実際、アメリカでは老化予防ベンチャーの設立が相次いでいる。

 権力も金もほしいままにした人間が、究極的に求めるもの……秦の始皇帝も、エジプトのファラオも、そして現在の世界の富裕層も躍起になって求めているのは「不老不死」である。ロシアのプーチン大統領も、鹿の血の風呂に入っているとメディアで報じられたことがあった。

 金持ちや権力者だけではない。いま日本では一般人にもアンチエイジングが大流行である。老化防止を謳う化粧品や健康食品が市場に溢れ、テレビCMでも頻繁に流れている。

 しかし、不老不死が人類の永遠の夢であっても、決定的な妙薬や技術はいまだ発見されてはいない。はたして人は何歳まで生きられるのか? 不老不死は可能なのか? 最新研究の現在地を追ってみた。

人類史上最も長く生きた人物はフランス人女性

 さて、いきなり夢を壊すようだが、実は「人は何歳まで生きられるのか?」という問いには、統計学分野からの答えがいったん出ている。

 2016年、米ニューヨークのアルバート・アインシュタイン医科大学の研究グループは、人間の寿命には上限があるとする研究結果を英科学雑誌「ネイチャー」に発表した。

 同グループは世界約40カ国の死亡年齢などの統計データによる疫学調査を行った。その結果、100歳を超える高齢者の寿命は1980年以降、延びが止まったという。さらに世界最高齢者の死亡年齢も1990年代から上昇していないことがわかった。125歳の人を見つけることは天文学的な低確率で、地球を1万個探索する必要があるという。研究チームのヤン・ファイフ教授は「人間の寿命の限界は115歳ぐらい」とメディアに答えている。

 記録で調べることが可能な人のうち、人類史上最も長く生きた人物は、122歳まで生きたフランス人女性ジャンヌ・カルマン(1875〜1997)である。しかし、娘が相続税逃れのために母親と入れ替わったのではないかという疑惑も噴出した。この疑惑についてフランスの国立保健医学研究所は2019年、「彼女は間違いなく史上最高齢の記録保持者である」との見解を示した。ただ、これが事実であっても、122歳が長寿の限界である。

 一方、人間の最大寿命は120歳から150歳であると推定した論文が、2021年に「ネイチャー・コミュニケーションズ」に発表された。シンガポールのバイオテクノロジー会社Geroなどによる研究で、UKバイオバンクと米国国民健康栄養調査による50万人以上のデータを用いた。この研究によると、人間の寿命には「生物学的年齢」「回復力」という二つの要素があるという。数理モデルでシミュレーションを行い、120〜150歳で身体の回復力は完全に失われ、死に至ると結論づけている。

 だが、なぜ歳をとると回復力が低下するのか――そのメカニズムは、いまだ見いだせていない。

 人間は長生きになったと言われるが、平均寿命と最大寿命は異なる。2019年のWHOの世界保健統計によれば、世界の平均寿命は73.3歳。平均寿命が最も長いのは日本の84.3歳だった。1950年の日本人の平均寿命は約60歳だったから、この半世紀で急激に長生きになった。

寿命の「絶対的な限界」

 しかし、人間の最大寿命には絶対的な限界があるというのだ。

 ベストセラー『生物はなぜ死ぬのか』(講談社現代新書)の著者で東京大学定量生命科学研究所の小林武彦教授は言う。

「日本における100歳以上の人口は、毎年数千人増え、現在は9万人を超えています。私が生まれた60年前は100歳以上の人は150人ほどでした。ただし、これほど平均寿命が延びたのに、なぜか最大寿命はほとんど延びていない

 115歳も120歳も122歳も、数字としてはそれほど大きく変わらないが、最大寿命という意味では大きなカベがある。115歳の人は稀にいても、125歳の人は見つかっていない。

 小林教授は、人間の本来の寿命は「55歳」程度であると推定している。

「その根拠は二つあります。一つは55歳を過ぎるとがんの死亡率がぐんと上がること。もう一つは、人間と同じ霊長類でゲノムが約1%しか違わないチンパンジーやゴリラの寿命が60歳を超えないからです。このように考えると、本来の大型霊長類の寿命である55歳を超えて生きられるのは、ヒト特有の何かがあるのだと思います」

 人間だけではなく、生物はそれぞれ最大寿命が決まっている。ハツカネズミの寿命は約3年であり、5年生きるハツカネズミは存在しない。

 一方、マウスと同じげっ歯類でも、アフリカのサバンナに生きるハダカデバネズミは約30年生きる。同じげっ歯類のなかで10倍長生きする種類がいるのであれば、人間も他の霊長類より10倍長生きし、500歳まで生きられるのではないかという考えも成り立つ。

 だが、小林教授はこうした考え方には否定的だ。

長寿の生物は、DNAの修復能力が高いことが特徴です。たとえばゾウは体が大きいため、細胞の数も多く、その分どれかの細胞ががんになる確率も高いと考えられます。それなのにゾウの寿命が長いのは、DNAの修復能力が非常に高いからです。

 一方で現在の人類は縄文人と比べると身長が10センチほど高くなり、平均寿命も長くなりました。けれども、DNAの修復能力は簡単に変わらない。だから最大寿命も延びないのだと考えられます

人類の「生存戦略」を崩すリスク

 小林教授はDNAの修復メカニズムを研究し、修復能力を高めるために必要な物質を探索している。だが現時点では、まだ決め手となるものは見つかっていない。

「DNAの傷の修復能力を高める物質や方法が見つかれば、120歳という寿命の壁は越えられると考えています。理論上は、ゾウが持つDNAを修復する遺伝子をヒトの遺伝子に入れてやれば修復能力が上がる。もしゲノム編集がフルにできるなら、ヒトの最大寿命を延ばすことは可能だと思います

 ゲノム編集技術の発展で、いまや遺伝子自体を変えることも可能になった。ただ、現在のところヒトに対するゲノム編集は法的にも倫理的にも認められていない。しかし、現在は法的に禁止されているものの、不老不死の薬を探し回らなくても、実は技術はすでに存在する。それを認めるかどうか、つまりゲノム編集によって寿命を延ばすかどうかは、社会に決定権が委ねられている。

「結局、人の寿命を決めているのは社会だとも言えます」(小林教授)

 人工的に最大寿命を無理やり延ばすことには、もう一つの危惧がある。それは、もともと人類が持っていた「生存戦略」を崩してしまうことにならないか? という危惧である。

 生物は、それぞれ進化のなかで最適な生存戦略を選択してきた。人類の最大寿命はなぜ125歳なのか、その理由はわかっていない。

 ただ、そのような性質を持つ人類が種として生き残ってきたことは事実である。もしそこに人工的な手を加えてしまったら、何らかのバランスが崩れ、人類が種として生き残れなくなる恐れも否定できないのである。

ノンフィクション作家・河合香織氏による「 老化は治療できるか 人は何歳まで生きられるのかーー最新研究の現在地 」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年3月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

(河合 香織/文藝春秋 2023年3月号)

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