ある心臓の“悲劇と贖罪”の物語

ある心臓の“悲劇と贖罪”の物語

Illustration: Getty Images

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ワシントン・ポスト(米国)

Text by Gene Weingarten
1986年12月28日、恋人を惨殺して自らも命を絶った殺人鬼の心臓が、若い女性に移植された。その日、男の中で何が起こり、サイコキラーと化したのか。あの日から33年、殺人犯の心臓をもらった女性はどんな運命をたどったのか──。そこには悲劇と奇跡、そして贖罪の壮大な物語があった。
サイコキラーの心臓

「蝶の羽」のように切り開かれた男

1986年12月28日深夜。

アラン・スピアは一滴も酒を飲んでいなかった。電話を待っていたからだ。

電話は午前0時01分にかかってきた。スピアは、姉の家で眠りに落ちたばかりだった。スピアはクリスマス休暇で家族とともに、バージニア州シャーロッツヴィルにある姉の家を訪れていた。

真夜中に誰がわざわざ電話をかけてきたのか、いったい何の用事なのか、スピアにはわかっていた。これから始まる数時間が忙しくなることも。いや、興奮でぞくぞくする時間になるだろうことも。

当時、スピアはまだこの分野では名前を知られていなかった。四半世紀後にチェイニー元副大統領の心臓移植チームの一員となるスピアは、1986年には、ごく普通の心臓外科医として、ワシントンDC近郊で病院勤務に明け暮れていた。

思ったとおり、電話をかけてよこしたのは同じ病院の外科医エドワード・レフラックだった。レフラックが簡潔に伝えた内容も予想通り、ドナーが待っているというものだった。

その言葉でスピアは完全に目が覚めた。すぐに着替えて車に乗り込み、バージニア州フェアファックスへ向かっていた。フェアファックスにある病院までは2時間かかる。

その間、頭の中で心臓外科医の心得を反すうしていた。その5番目くらいには、まず自分の心臓の高鳴りを落ち着かせること、とある。

スピアへ連絡したあと、レフラックはさらに数ヵ所へ電話してから、残りの電話は他の人に任せた。午前3時までにはチームの全員が揃った。医師4名、看護師11名、医師助手1名に医療機器技師2名が、2部屋の手術室に集合していた。

そのひとつ、第12手術室では、手術台の上に人間の体が蝶の羽のように切り開かれ、仰向けに横たわっていた。やや小柄か中背で筋肉質の男の体が、喉元から股間までまっすぐに切り裂かれ、臓器を取り出しやすいように開創器で両側に開かれていた。

話し声はほとんど聞こえない。静けさの中に換気装置の空気を吐き出す音だけが絶え間なく続いていた。

男の首から上は垂直のカーテンに仕切られて、外科医たちからは見えないようになっていた。それはむしろ幸いだった。22口径の単発式ライフルが至近距離から額の真ん中へ発射され、銃弾は脳の両半球を貫通していた。

そうした損傷はほぼ間違いなく致命傷になるが、たまに心臓が動き続けることもある。この男の場合がそうだった。そこで、救急車に乗り込んでいた救急救命士は死にかけている男の気管に管を通し、呼吸を続けさせたのだった。

そういうわけで、男の体はいまここに、フェアファックス病院の第12手術室に、蝶の羽のように切り開かれて横たわっていた。

ワシントン初の心臓移植手術

むき出しになった人間の心臓が鼓動しているさまは、血眼になって怒っているように見える。ぐいっと握っては緩める、ぐいっと握っては緩める、といった具合に。

脂肪の層で覆われ保護されているので、赤いというより黄色っぽい。大男の拳くらいの大きさしかないが、どんな手術室でも周りを圧倒するだろう。目を離すことができないのだ。

長身で手足の長いレフラックは、疲れたような眼でその心臓を見下ろしていた。外科医特有の不可思議な落ち着きを漂わせている。すべてが順調に運べば、この心臓は、廊下の先の第6手術室にいる女性患者の胸に収まることになる。そこでは、スピアが患者の胸を開いて待っていた。

これから行われることは、レフラックとスピアの双方にとって初めての心臓移植手術だった。バージニア州とメリーランド州を含むワシントンDC首都圏においてもまったく初めての試みだった。

1986年当時、心臓移植術を指導する学校はまだ存在していなかった。そうしたなか、レフラックは2年にわたり、自ら選び抜いた医師、看護師、技師たちのチームと一緒に、「解剖用の死体」を用いて練習を重ねてきていた。

その同じチームが、これから「生身の人間」に向かってメスを入れ、数時間の大手術を共にすることになる。それは、レフラックのキャリアにとってもこの病院の成功にとっても、大きな賭けだった。

もう一つ別のチーム、腹部外科医とその助手も、腎臓を摘出するため手術室の中に待機していた。臓器は貴重で引く手あまただ。若くて健康な体から取り出された臓器なら、なおさらのこと。

手術台の上の男はマーク・ウィリーという名前で、まだ19歳だった。

手術台に横たわる「忌まわしい犯罪者」

その日、1986年の12月28日は日曜日だった。そうした出来事が日曜のごく早い時刻に起こったのは意外ではない。

若くて健康な人たちは金曜や土曜の深夜に騒いで、命の危険を招く向こう見ずなまねをしやすいため、臓器移植は日曜や月曜の午前1時、2時に行われることがよくある。ほぼ24時間の遅れがあるのは、事前の検査や事務手続きの準備にそれだけの時間がかかるからだ。

臓器移植には「外交手腕」も必要とされる。その仕事は、手術台から離れて立っていた、もう一人の男に任されていた。

ジェームズ・カトラーはこの病院の移植コーディネーターであった。細かいところにまで気配りのきく男で、葬儀屋のような同情的態度を身につけている。それは職業上の長所にもなっていた。

カトラーの仕事の一つは、悲しみの底にある近親者から移植の同意を取りつけることであったが、それには巧みな技術が必要となる。説得していると思わせないで、相手を説得しなければならない。圧力を感じさせることなく、自由に決断が下されるようにしなくてはならないのだ。

通常、カトラーはこの目的を果たすため、「より多くの人の幸福につながるように」と穏やかに訴えかける。加えて、別の手段をとることもある。相手の感情を害さないように慎重に、しかし、はっきりと説明するのだ。今回はその方法を使った。

「わかってください」と、カトラーは悲嘆にくれる両親に向かって言った。「事情が事情ですから、監察医の手で息子さんの検死が行われることになるでしょう。いずれにしても、遺体は解剖されて臓器が取り出されることになるのです」

「事情が事情ですから」の一言で、両親からの同意は取れた。それ以上説明するには及ばなかった。カトラーがほのめかしたのは、手術台に横たわっている若者は「忌まわしい罪を犯したのだから」ということだった。【つづく】

カレンは高校時代、吹奏楽部でフルートを演奏していたPhoto: Courtesy of Ursula Ermert Jones

カレンは高校時代、吹奏楽部でフルートを演奏していた
Photo: Courtesy of Ursula Ermert Jones

Text by Gene Weingarten

19歳同士の淡い恋はいつしか束縛愛とDVに変わっていた。我慢の限界を越えた彼女がついに別れを切りだすと、彼は逆上して……待っていたのは「最悪の結末」だった。

ケネディ暗殺犯に似たタイプ

アースラ・アーマートがその手紙を見つけたのは、娘の死からかなりの時が経った頃だった。遺品を整理していたら、ルーズリーフの用紙に手書きされた2通の手紙が出てきたのだ。

日付はなく、どちらもマーク・ウィリーからカレン・アーマートへ宛てたもので、ラブレターのようだった。あとで考えてみると不吉な手紙だった。手紙だけではない。あとから考えれば、多くのことが不吉な予兆だったように思われた──。

カレンとマークは同じ19歳だった。二人は2年くらい前から付き合っていた。高校は別だったが、80年代半ばの郊外の若者たちの多くがそうであったように、ショッピングモールで知り合った。

カレンは陽気で活発だった。聡明そうな顔に、ブロンドの髪。意志が強く頑固だけど、茶目っ気があって、ふいに人を笑わせるようなことをしたりする。

カレン(右)の高校卒業時の記念写真。母親のアースラと一緒に
Photo: Courtesy of Ursula Ermert Jones

マーク・ウィリーについては、ケネディ暗殺犯のリー・ハーヴェイ・オズワルドみたいなタイプとでも言おうか。情緒不安定で、印象が薄く、くよくよ考え込む性格だった。自動車整備士として働き、両親と同居していたが、父親とは反りが合わず、むっつりして言葉も交わさない。誰か心を打ち明けられる相手を必死に求めていた。

ある日、アースラが娘のカレンと高校の屋外スタンドにいたところ、マークが下のグラウンドへ現れた。マークは観客席にカレンがいないかと捜していた。その彼の顔に際立っていた不安の影を、アースラは忘れられない。まるで自分がこの世に一人ぼっちと感じていて、帰属感に飢えているような……。

傷つきやすい人間に違いない、とアースラは思った。

カレンは世話好きだった。だから最初、マークの傷つきやすさは魅力的に思われた。だが、彼の激しい情熱はじきにカレンを息詰まらせることになる。

1986年には、それを言い表すための精神医学用語はなかったが、今日なら「強迫的愛情」と呼ばれることだろう。その症状のすべてにマークは該当する。

いつも不安そうにしているか? イエス。
その繊細な心に思わず惹かれてしまう魅力があるか? イエス。
相手を支配しているか? イエス。
そして最後の問いは──破壊的か?

背筋が凍る「狂気の手紙」

アースラ・アーマートは1960年代にドイツから移民としてやってきた。カレンが12歳のときに夫を亡くして以来、一人で娘を育ててきた。

高校を終えると、カレンは家を出てウェストバージニア州にある大学へ進学したが、まもなく退学した。マークがそうするように言い聞かせたからだ。「君がいなくて寂しくてならない」とマークは言った。

カレンが働きだすと、マークはよくカレンの職場に何の前触れもなく現れた。一度など、オフィスパーティーに押しかけてきたこともあった。カレンが働いている職場が気に食わなかったのだ。そこには男たちもいたから。

そうしたことすべては、手遅れとなってしまってからアースラが発見した短い手紙の中に書かれていた。手紙は、強烈な嫉妬と恋人を慕う芝居じみた言葉に溢れていた。とりわけ、相手を支配したいという息詰まるような欲求に。

昼も夜も、マークはカレンの行動を監視していて、不満を募らせていたようだった。ちゃんと自分が望んだ時に、自分が望んだ場所にカレンがいないと、そのたびに短い手紙を寄こした。

 

僕はシャワーを浴びて上等な服を着て、できるかぎりのことをやった。そうすれば、君が毎日顔を合わせている素晴らしい男たちに多少とも近づけるんじゃないかと思って。連中と同じくらい格好よくなって君の注目を引けるなら、僕は何だってするつもりだ。

カレン、僕はいまひどく惨めな気持ちだ、泣き出したいくらいだよ……。君はどこにいるんだ。食事には出かけたかい。僕は待ちぼうけを食わされた間抜けみたいな気分でいる。君をとても愛しているよ。どんなに君を愛していることか、愛しているという言葉を書き連ねられるなら、紙がどれだけあっても足りないだろう。また君の家に電話するよ。

カレン、もし他の誰かと付き合いたいんなら、そう言ってくれ。はっきり言ってくれた方が僕の心の傷は浅いだろう。

愛してるよ、マーク

カレン、どこにいるんだい。本当に心配だよ。僕がこんなふうに気を揉まなくていいように電話くらいしてくれてもいいだろう。

君が事故に巻き込まれたのではないかといつも心配になる。そうなっても僕のところに知らせは来ないだろうから。

ああ、もし君が死んだら僕も自殺するよ。君が僕にとってどれほど大切な存在か、君にはわからないだろう。

母と娘は「逃げる」作戦を練った

事件の起こる少し前、アースラは腎臓結石になった娘を病院の救急外来へ運んでいったことがあった。その時、カレンを見た看護師がもう一度まじまじと見直して尋ねた。「2週間前にも頭にけがをしてここへやってこなかった?」

誰か他の人と勘違いしているのだろうと、アースラは思っていたが、そうではなかった。

「マークに殴られたの」と、カレンはあとで打ち明けた。

1986年のクリスマス頃には、二人の間の緊張は限界まで高まっていた。もうたくさんだと、カレンは考えていた。別れるつもりだと、アースラに言った。

ただし、それはカレン一人の下した決断だった。別れるというより、むしろ逃げると言ったほうがいいだろう。残された課題はその方法だった。

母と娘は一緒に計画を練り上げた。カレンはマークに真実を巧みに言いつくろって知らせる。いわく、ダレス国際空港でドイツ軍のために働く仕事を見つけたのよ、と。それは事実だった。

それから、ドイツ語を勉強するのにとても忙しくなるので、もうデートなどしている暇はなくなる、と。これは必ずしも事実とは言えなかった、カレンはドイツ語が流暢だったから。

アースラもカレンも考えた。そんなふうに話せば、相手は自分が拒絶されたとはあまり感じないだろう、うまく行けば、マークの嫉妬から逃れられるだろう、と。

しかし同時に、二人の関係は終わったのだとはっきりわからせなくてはならない。クリスマスに、マークは手作りのテーブルをカレンにプレゼントしていた。だから、カレンはそれを返すと言い張るつもりだった。

そういう作戦で、カレンは12月26日金曜日の夜、電話でマークに話すことにした。

「殺してやるって言われた」

その日、自宅にいたアースラは電話機のそばで待っていた。夜の早い時刻にカレンから連絡があった。

「やったわよ」とカレン。
「向こうはなんて?」
「殺してやるって言われた」

カレンはくすくすと笑った。あまりにほっとして笑いが漏れたのだ。安堵の気持ちで他のことはすべて忘れてしまっていた。警戒心までも。

「うちにいらっしゃい。私のところで過ごしなさい」と、アースラは言った。

だが、カレンはためらった。マークの脅しを言葉どおりに受け取ってはいなかった。

「あの人の私への愛情にはうんざりさせられるけど、それでも愛情であることに違いない。どうして私を殺せるっていうの。今夜はもうあの人から電話はかかってこないと思うけど、何か問題が起こったら連絡するわ」

そうカレンが約束すると、アースラは電話機を枕元に置いて眠った。

午前2時頃、電話が鳴った。少なくとも、鳴ったとアースラは考えている。その夜は眠ったり眠れなかったりしていたので、心配のあまり電話の鳴る夢を見た可能性も否定はできない。

いずれにしても、受話器を耳に当てたときには発信音しか聞こえてこなかった。そこで、カレンのところへ電話した。

聞き慣れない男の声が、もしもしと答えた。「どなた?」とアースラが尋ねると、「リー捜査官です」と返ってきた。

アースラは番号を間違えたことを詫びて電話を切り、もう一度かけ直した。

「はい、リー捜査官」
「こちらはアースラ・アーマートです。おたくは私の娘の部屋にいらっしゃるの?」
「そうです」
「何があったんです!」
「ちょっと、電話ではお話できないのですが……」

アースラは急いで着替えて車に飛び乗り、15分の距離にあるカレンのアパートへ向かった。運転しながら勝手な憶測はしないように努めた。実のところ、自分は何も知らないのだ。さまざまなシナリオが考えられる。どれも不吉なものだけれど、なかには少しはましなものもある。

母は復讐してやるつもりだった

結局、最悪のシナリオであったことを告げたのは、アパートにいたトミー・リー刑事だった。30年後、リーはあの時のことを振り返って、それまでの警察官の職務の中で最も悲しい仕事だったと語る。当時は39歳で、自身にも16歳になる娘がいた。

リーの話を聞いて、アースラは息を飲んだ。膝ががっくりと折れて、リーの腕の中へ倒れ込んだ。

あれから30年以上が経ち、アースラはいま自宅の書斎で筆者と話している。ここはかつてカレンの寝室だった部屋だ。娘の遺灰の入った箱が棚の一番上の段に置いてあった。アースラはあの時のことを振り返り始めた。

アースラはすぐさまリー刑事に尋ねたという。「マークはどうしてるの、どこにいるの」と。リーは、マークが自らを銃で撃ったこと、やはり助からないだろうということを教えてくれた。

あの情況で、マークのことを尋ねたのは奇妙に聞こえるかもしれない。だが、そうではない。マークが死んでいなかったら、アースラはその場でただちにマークを殺すつもりだった。そのためにどんな代償が払われようとも。

アースラは微笑みながら、かすかなドイツ語訛りで穏やかに言った。

「そうしていたら、ちょうど今頃、刑務所から出てくることになっていたかもしれないわね」

Photo: Getty Images

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ワシントン・ポスト(米国)

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Text by Gene Weingarten

別れ話の修羅場から狂気の殺人事件へ──嫉妬に怒り狂ったパラノイアの男は、彼女の頭部に銃の狙いを定めた。警察の記録や関係者の証言から、「血塗られたクリスマス」の惨殺現場を再現する。

 

響きわたった自殺の銃声

銃撃があったという通報がフェアファックス市警に入ったとき、最初に現場へ急行したのが、パトロール警官のエド・ヴォーンだった。

ヴォーンが向かった先、ゲインズバラ・コート11100番地は、フェアファックス市の端の貧しい地区にある。中庭を囲んで、幾つもの質素な2階建ての共同住宅がU字形に集まっている場所だ。

部屋の扉には鍵がかかっていた。そこで、ヴォーンはいったん建物の外に出て6号室を探した。6号室は2階にあり、バルコニーがついていた。その脇に登れそうな木があるのが目についた。

その時、1発の銃声が聞こえた。ヴォーンは瞬時に身をかがめたが、その必要はなかった。実は、それが最後の発砲、自殺の銃声だったのだ。

警察があとで事件の経緯を推定したところによると、マーク・ウィリーはライフルを背中に吊るして木をよじ登り、銃をバルコニーに隠すと、中に入れてくれとガラスの引き戸を叩いた。

どうしてそうしたのか、理由は永遠にわからないが、カレン・アーマートは引き戸を開けてマークを部屋の中へ入れた。口論があった。声が大きくなり、非難のぶつけ合いが始まった。別れは決定的となって、マークは部屋を飛び出していったが、すぐにライフルを手に戻ってきた──。

それが1986年12月28日の地元各紙に掲載された事件のあらすじだった。ガールフレンドが別れ話を持ち出し、クリスマスプレゼントを返した。怒り狂った相手の男が彼女を殺して自殺した。

ところが、この事件にはもう一つ別の側面があった。もう一つの悲しみの物語が。アースラが知らなかった、新聞が報じなかった事実があった。それは警察の調書に記されている。

殺されたカレン・アーマート。高校時代、吹奏楽部でフルートを演奏していた
Photo: Courtesy of Ursula Ermert Jones

「もう一人の男」の存在

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